Honeymoon

 

 不意にその言葉を思い出した。

 初めて聞いたのはまだ自分がネウガードで何不自由なく暮らしていた頃。日によって変わる女に夜の相手をさせて、朝になって女が帰っていく頃に、その真っ赤な唇から出た言葉。

「殿下には誰かと共に蜜月を過ごすということなど、ありえないのでしょうね」

 一体何を急に言い出すかと思いその女を見ると、ビールのような黄金色の髪を淡く揺らしながら、女は少し笑っていた。

「初めて私を見られましたわ」

 当然だな、と素っ気なく返す。

 このとき、彼にとって人魔共に女というものは自らの性欲を満たすものか、ただ存在が鬱陶しいものか、どちらかしかないのだ。そして大抵前者などは、彼にとって実に軽い存在だった。当時の彼には性に対する飢えなど小麦の一粒ほどもなかったし、それ故に女相手の快楽には刹那的なものしか持ったことがなかった。だから、性欲処理としての女は、彼にとって最もどうでもいい存在でもあったのだ。

 魔王の後継者であった以上、彼の前に現れる女はいつも極上の器量を備えた魔族ばかりだった。魔力もそこそこあり、物腰も丁寧で、強気な性格の女ばかりが、彼の前で脚を開くのだ。そして彼には、その女達に対し、何の感情も抱いたことはない。ただ、そういうものなのだという認識しかしたことがないから、そのうちの一人が急にそんなことを言い出したのは少し驚いた。

「どういう意味だ」

「お気になさらず。ただ少し、悔しかっただけですわ。殿下を夢中に出来なくて…」

「どういう意味だと聞いている」

「何がですの?」

 女のしかめた眉がやけに細いな、と思ったことも思い出す。意外に覚えているものだと、のんびりと彼は考えた。

「蜜月とは何だ」

「殿下は聡い方でしょう?お分かりにならないはずがありませんわ」

「蛆虫共のお得意の方面には興味がない」

 それもまた当時は事実だった。人間はきれい事しか口にせず、しかし欲とつく全てのものには貪欲で、大陸のもの全てを食い尽くす勢いでいる。しかし、破滅の時が来たとしたら、自分達の責任であることを認めはしない。そういうものだと、思っていた。今も一部は変わらないが。

 そうですわね、と相槌を打つと、女は素直に言った。

「親しい間柄でいることですわ。殿下は愛などには興味がないことが、よく分かりましたもの」

「お前はあると?」

「ええ。とても。・・・・・だって、私に夢中になっている殿方とするのは、夢中ではない殿方とするものと全く違うんですもの」

 そう言って、けれど自分のときは他の男とは別格だなどと下手な世辞を付け加える女を下がらせたのを思い出すと、案外自分が丸い性格をしていたのだと思えた。人間に卑下ではなく憎悪を持っていたときの自分なら、そんな馬鹿馬鹿しいことを言う女など、切り捨てるに限るからだ。

 そして、次に隣でまだ寝ている少女を見た。世辞も馬鹿馬鹿しいことも言わず、ただ自分にしか抱かれたことのない、溶けて消えそうな銀の髪をした少女を。

 相変わらず、自分の魔力に動じることなく、のんきな寝顔を晒して眠っている。その下にあるシーツを剥がし、なだらかに広がる丘のような、二つの果実の房が目の前に来るように体を移動させると、今は消えている谷間の辺りに顔を埋めた。

「ひぁっ!?

 情けない声が上から聞こえた。それに構わず、胸の房にちょうど自分の両頬が挟まるように、彼女の腋から胸の脂肪を寄せ上げる。彼女の甘い体臭と、自分の手に吸い付くような胸のさわり心地にうっとりと浸っていたが、それはその胸の保持者によって阻まれた。

「もう!なにを馬鹿なことしてるんですかっ」

 声が怒った様子で空から降ってくる。そのときに両頬は、とろけるような感触の胸ではなく、代わりに胸ほどではない柔らかさを持つ指に挟まれ、その上細い腕に顔ごと持ち上げられてしまっていた。

 自分の頭を胸から引き剥がし、真っ赤になりながらこちらを睨んでいる少女の、真っ青な瞳と目が合った。しかし、彼は彼女の逆鱗に触れていることなどお構いなしに、奪われた心地よさに再び浸ろうと体を下に傾ける。今度は有無を言わさないように吸っておこうなどと、彼女にばれれば逆鱗に触れるどころではないようなことをのんびり考えながら。

「別に何も・・・・・」

「馬鹿っ!そんな危ない考えをするひとが何もしてないわけがないでしょう!」

 彼女はシーツを胸元まで引っ張り上げようとするが、それをされたら彼のほうが辛い。彼女よりも力を篭めてシーツを引っぱり上げるが、それより彼女の腕を拘束したほうが早いことに気付き、彼女の手首を持った。

「ちょっ・・・・・」

「大人しくしていろ、スノー。別に何もせん」

「何もしないんならなんで胸なんかに顔埋めて・・・・・んぁ」

 思わず悩ましい声が出たことに恥じた彼女が、口元に手を当てようとする。しかしそれすら許さないのが彼であることを、彼女は一瞬忘れてしまっていたらしい。口元に持っていこうとした手すら自分の手で拘束すると、彼は少し笑った。

「どうした。もっと威勢のいい抵抗をするんじゃないのか?」

 谷間の辺りでくつくつと笑うと笑うと、唇に触れた胸が細かく震える。彼はその細かい振動が楽しいらしく、更に自分の顔を胸の房に寄せると、噛むように唇で痕を付ける。それに彼女が怒らない訳がない。

「んっ・・・・・・あ、も、ばかぁあっ」

 彼にとっては実に可愛らしい悲鳴が響き、上機嫌になるはずだった。まあ事実、途中までは上機嫌だったが、その途中から彼は痛い目に遭うこととなる。

 手首を拘束された彼女が、上半身の次に抵抗する態度を示したのは下半身、つまり足である。そして胸に顔を埋めることができる位置にいた彼は、見事その足の犠牲となった。

「がっ・・・・・・・・・」

 だんだん硬くなってきたはずの彼の分身が、彼女の膝で変な方向に曲げられた。むしろ、曲げられた、と言うよりも食い込んだ。

 そうして、不意に襲ってきた痛みに急に悶え苦しむ彼を不審に思ったらしい。声を押し殺して硬直するように屈みこんだ彼を覗き込みながら、彼女は不遜そうに彼を睨む。

「同情買わせるつもりでも、そうはいきませんからね!」

「阿呆!貴様、自分がどこを蹴ったのか分からんのか!」

 彼が感情を露わに言い返してきたことが少し意外だったらしい。視線を彷徨わせると、自分が抵抗した時に感じたことを思い出そうとする。

「どこって…」

 彼女が感じたのは、膝の辺りがちょうど何かに当たった、という手ごたえである。そうは言っても鳩尾に入ったとか、痣がつくとか、そこまで力を出していないつもりだ。そう言えば、そういうものではないが、丁度きれいに股の間にはまったかもしれない。二つの硬い脚に自分の肌が当たった感じがしたからだ。そして、その二つの硬い筋肉を両端に、真正面に何か、あんまり触ったことがないものをちょっと潰したような気もする。――弾力のある、芯の硬い、棒状のものを。

 それは男性の肉体の中でも一箇所しかない。そして、「ちょっと潰した」程度で彼が悶え苦しむほど繊細な箇所でもあるそこは――。

「・・・・・・・あ」

 自分が当てたものが何であるか、とうとう分かったらしい。彼女の頬とは言わず耳まで赤くなっていく。そして、毛布を引き寄せて顔ごと彼の方から隠そうと体を引っ込めた。

「・・・・ご、ごめんなさい・・・・」

 消え入りそうな声が聞こえ、同時に彼女の姿が毛布に包まれた。それを阻止して可愛らしい動揺の態度を取った彼女を苛めたくなった彼ではあるが、毛布が動くことが間接的な刺激となって、股間に響く痛みが長引いて身動きが取れない。

 それでも彼は痛みを犠牲にしてもいいと思ったらしい。下半身が沈むような痛みを持つ中、彼女が隠れている毛布を剥がそうとずるずると這って行く。

「責任感じてるんなら慰めようとせんのか…」

 体勢と同様、地を這うような声である。その声に怯えているのか、しっかりと毛布にくるまった彼女はくぐもった声で言い返す。

「責任負わせたいほど痛いんならまず大人しくしておいてください」

「何を。これしきの痛みで逃がしてたまるか」

 やっと上半身を起こすと、彼はその腕で毛布を引っ張る。すると、毛布の中にいる彼女が抵抗するように毛布の山が動いた。

「逃げません。あなたの怒りが収まるまで待ってるだけです」

「結局罪を軽くして欲しいだけだろうが。そうはいくか」

 彼が体勢を少し変え、強引に毛布を掴んで引き剥がそうと腕に力を篭める。それに彼女は体全体を錘にして阻止する。今の彼は不自由な体勢しか取れないので、力の差は五分五分だった。

「もー意地っ張り!」

「貴様に言われたくはない!」

 そう言い合いながらもお互い力を緩めるつもりはないらしい。毛布がきりきりと少しずつだが伸びていくが、お互いそんなことを気にせず必死に攻防戦を繰り広げている。

「スノー?」

 と、そんな時に。

 急に聞こえた彼らではない人の声に、二人は固まった。

「は、はいっ?」

 彼女が少し裏返った声で返事をすると、扉の向こうにいる誰かが声を返す。

「風邪で寝込んでいると聞きましたけれど、ご無事?」

 高く凛とした声には聞き覚えがあった。同盟国のエルフの姫巫女である、アゼレアだった。元々は頭の固いアゼレアではあったが、説得に説得を重ねれば何とかなるもので、今では国同士が少々遠かろうと、彼女や他の女武将を誘って茶話会などに興じたりする。その女武将がどんな種族であるか関係なしに、お茶を楽しむ余裕のある人は、森の聖女にとっていい人であると認識されているらしい。

 しかし、それでもアゼレアが断固として許さないものがあった。

 節操のない男、粗野な男がそのうちに入る。率直に言えば大蛇丸や彼がその部類に入るらしく、彼が彼女に近付こうものならヒロよりも激しい形相と言葉で盾になろうとするのだ。

 そして意外にも彼はアゼレアのその態度は苦手らしく――単に耳に残るような甲高い声でぎゃあぎゃあと言われるのが嫌なのかもしれないが――、彼女の傍にアゼレアがいた場合は逃げるように去っていく。

 そして、――今はそうとも言えないが――裸で仲睦まじくじゃれ合っていた彼らの姿をアゼレアが見れば、どういう反応が返ってくるか。想像は悲しいほど容易い。

 股間の痛みに耐えながらも寝台の下に潜り込む準備をする彼と、自分の寝巻きを拾い上げにいく彼女。とりあえず焦りながらも、彼女は返事をした。

「はいっ…今は、もう、なんとか」

 治りが早いのは無論と言うべきか、自然治癒の力ではない。彼が強引に彼女に汗を掻かせ、寝かせたためである。こういう場合、普通なら悪化するものだが、幸か不幸か彼女は身が軽くなってしまっていた。

「そう。ところで、・・・・入らない方がいいのかしら」

「はい?」

 声が完璧に裏返った彼女である。それに対し、扉の向こうのアゼレアは、微弱にだが感じられる魔王クラスの圧迫感を持つ魔力と、聖神をも凌ぐ魔力が共に長い間いたらしいということを感じ取って、眉間に指を当てながら呟いた。

「あなたが努力なさるのはいいけれど、私はあんまり嬉しくないの。今日は泊まらせていただくから、明日にでも完治してから顔を見せてくれればいいわ」

「・・・・・あり、がとう」

 彼女は苦笑を顔に貼り付けながら呟く。着替えなくて済んだらしいが、アゼレアの気迫のようなものがぴりぴりと棘を持って扉から伝わってくるので手放しでは喜べない。

「では失礼するわ」

「ええ。・・・・また、あとで」

 何とかそう言うと、アゼレアのため息と共に遠ざかる足音が聞こえる。そして足音が完全になくなると、茫然と寝台の上に突っ伏していた彼女の腰を包む腕が現れる。

「きゃ!?

 腰を掴み、寝台に彼女を横倒しにすると、もう痛みがなくなったらしい彼が疲れたような顔をして彼女に覆い被さってきた。

「ちょっ・・・・も、アゼレアがいるって言うのに…!!

「だからだろうが。とっとと興奮しろ。もうすぐ侍女が来るぞ」

 的確に彼女の体に指で刺激を与える彼。そして彼女はその刺激に耐えれるほど、慣れているわけではない。否定的な声をあげながら、それでも自分の中に生まれる熱に恥じらう彼女。

「なっ・・んでっ、あ、も、じゃ、ジャドウ・・・・っ」

「・・・・・全く。色気のある空気も作れんのか貴様は」

 そう、口調だけは怒った様子を作っていた彼ではあるが、その口元には笑みが浮かび、その血の瞳は彼女の艶やかな彼女の肢体に釘付けになっている。

 息が荒くなってきた彼女の丸い肩にそっと口付けると、彼は小さく満足げに笑った。

「まあ、その方がらしいか」

 彼女らしい、ということではない。

 ただ少し気障な言い方なので口に出しはしなかったが、彼は心の中でこう納得した。

 蜜月というものがこういうものなら、悪くない――糖蜜のように胸が焼けるような甘さを持つものではないのなら。極上の艶やかさを持つ甘さなら。

 まだ青い空に浮かんでいるのは、蜜のような金色の光を持っていない、雲より淡い白の月だった。

 

RETURN

 

アトガキ

 ウワーン。何か最後のシメがっシメがっ!

 アゼレアさん書いたの初めてな予感がします。つーかあれですか。やっぱりえちすぎますか。普通にいちゃつくだけのはずだったのに。

 書き始め当初の予定と大幅に狂ってしまいました。普通に一貫していちゃいちゃするはずだったのに。…やっぱりあれか。スノーたまが玉を蹴(以下略。←もう遅いよ