Giddiness

 

 一つの戦が長引くのはあまり嬉しいことではない。特に防衛戦の場合、城壁にかかる被害はろくでもない額で、無駄に兵力を削られるのもまた勘弁していただきたい。しかし、それと比べて攻め入るのは楽なのか、と言われるとそうでもない。

 むしろ彼女は、防衛戦の方が気が楽だった。城壁の修理に頭を悩ませるのは確かに辛いが、それでもまだ互いの被害は断然少ない。

 しかし、今は違う。長期戦にもつれこんだ、白兵戦である。両軍の疲労はピークに達し、夜の闇にまぎれての奇襲の可能性を考慮しての野営となった。

 体の疲れなんて寝れば何とかなる。だから寝るはずだったのだ。しかし、どうやら自分は精神的にも疲れ果てているらしい。

 自分用に立てられたテントから離れ、そのままずるずると体を引きずりながら、屍をあさる女のようにさ迷い歩く。その姿を見つけるはずの見回りの兵士にも見つからず――当然である。彼女はテントの背後から這い出た。――、一応本人が使うかは分からないものの、用意していたはずの彼のテントに向かう。

 無論、そこには見張りも見回りもいない。自軍の兵士にさえ恐れられる彼が、そうやすやすと自分より能力の劣る、曰く雑魚を周囲においておくはずがない。何より、彼のテントは、最も人気のない場所に立てたはずだからだ。

 少し人目を気にしながら、疲労のせいで静かになった野営地の空気を小さく肺に送り込んで、それからまた浅く吐く。

 こぢんまりとしたテントには、微弱ながら気配があった。珍しいと思いつつ、それでもほぼ千鳥足に近い歩きで足取りで中に入る。

「――ジャドウ?」

 不安そうな顔でそう尋ねる彼女に、下に敷物を敷いただけのテントの中央にいる男は、薄っすらと目を開けた。男は胡座を掻き、何にもたれ掛かることもなく、そのままの体勢で眠っているように見えていた。

「死人の顔だな、スノー」

 端的に彼女の表情を見てそう告げる彼に、彼女はちょっと笑った。それはただ彼の喩えが率直だからではなく、ただ少し、それを認めている面もある自虐性のある笑い声。

「入ってもいいですか?」

「もう入ってる女が何を言う」

 まあその通りではある。それでも、彼女はちょっと眉を潜めてもう一度訊いた。

「入ってしまっても構わないかと思ったから訊いたんです。お邪魔じゃなかったですか?」

 否、と首を振る彼。それに、彼女は浅く頷いて、少し戸惑いながらも何もないテントの中へと足を進めた。

 自分のテントはそうはいかない。寝るためだけの場所ではあるが、そのための毛布や、身繕いのための小道具が入った箱などはある。それだけでも結構荷物になるかもしれないと不安に思った彼女ではあるが、城の侍女たちなど、そんな量では足りないと文句を言った。風呂桶や、石鹸や、彼女用の様々な日用品は持っていくべきだと主張し、それどころか自分達の誰かを連れて行けとさえ言った。

 そんな無駄なことは出来ない。城に帰ればすぐにそんなことはできる、と断った彼女ではあるが、その反面、確かに湯浴みの用意ぐらいは持ってくるべきだったろうかと後悔している自分がいる。

 否、そんなことに気を取られているわけではない。そう、戦に出た以上、それはどうしようもないことだと、彼女自身、分かっていて、承知していたことだった。しかし、それでもまだ混乱し、泣きたくなる自分がいる。

 大きくため息をついて、そっと彼の真正面に座る。少し崩れた正座のような座り方をした彼女を、彼は何の感情も感じさせない血の瞳で見た。

「何だ。俺を見にきただけか?」

 そう訊ねる彼に、ただ彼女は口元だけ笑みを見せた。ただ、その青い瞳はどうしようもなく淀んでいる。

「いえ――、あなたに会えば、ちょっとは気が紛れるかと思っただけです」

 何の。と――血に飢えた月の瞳は訊ねる。

「だめですね。まだ・・・・・慣れてないんです。慣れたはずなのに、今日はちょっと、疲れちゃって・・・・・」

 少し、支離滅裂になっている。それでも彼女は、自分が何を言いたいか、彼には見当がつくのではないかと思っていた。事実、彼女が戦の何に最も恐怖を持ち、怯えているのかが分かっている彼には、彼女が何を言っているのか分かっている。

 うんざりとした表情を隠しもせず、彼は彼女を見た。

「何が悪い。それを了承しあった上での戦だぞ。殺さなければ死ぬ。それぐらい、貴様は分かっているはずだが」

 こくりと、彼女は頷く。それでもだ。それでも――

「分かっています。勿論、分かっています。それが自分の行えることなんだということぐらい、いやと言うほど分かっています。・・・・・けど、苦しいんです」

 それはそう――見渡す限り、屍の山という状態ではない。互いの規律は取れ、負傷者はまだ生き残っている味方に担がれ、救急隊のテントまで運ばれていく。戦地に残るのは不毛となってしまった大地と、血の滲んだ土と、生暖かい空気。戦争というものは――特に白兵戦というものは、人間同士で言うなら大抵実態はそんなものだ。味方と敵が入り混じり、泣きながら剣を振るう若者などいない。狂って誰でも切り刻む者などいない。ただ彼らは必死になって、死ぬまいと、倒れるまいと、ただただ本能の赴くまま冷静に、向かう敵と対決するのみ。

 なのに――どうしてだろうか。彼女は、その光景を見たあとで、とてつもなく疲れていた。これが彼女の日常でもあり、日常の中の規則的な非日常でもある。けれど規則性をもつならば、それはきっと日常。だから、慣れておくべきだし、当然自分とて茫然とできる状態ではないから必死になって馬を使い、兵の乱れを指揮する。時には魔法を使う。その中に、感傷や怯えなど入る隙もない。

「・・・・どうしてなんでしょうね。わたしも不思議です。戦の最中は何も考えてないから――その反動かしら」

 さあ、とでも言うかのように肩を竦める彼。常に彼はそうだ。彼女の気持ちなど汲み取るつもりもないし、彼はそんなことはこの女には無駄だと分かっている。

 だから彼女は、彼が好きなのかもしれない。生半可な同情を一切持とうとしない彼が、むしろひどく優しく感じるのだ。心を感じ取ることの出来る彼女からすれば、どこまでも冷静な彼は冷たくとも簡単に身を預けることの出来る壁。

「ジャドウ?」

「何だ」

 打てば響くような返事。それに、彼女は少し戸惑いながらも、軽い四つん這いになる体勢で、彼に近付こうとした。

 敷物を靴で汚さずに彼にすり寄ろうとしているように見えなくはないが、彼はそこから覗く浅い谷間に目がいって、誘っているようにしか感じられないらしい。じっと、彼女の表情とその柔らかな姿態を注視する。

「・・・・・・あの、好きにさせてくれません?」

「俺をか?」

「はい・・・・・」

 それに、彼は不遜そうに鼻から息を吐く。

「疲れていると言う割にはそういう趣向に走ったか。お前は分からん女だな」

「違いますっ!」

 どうやら、「好きに」の意味を彼流に取り間違ったらしい。自分から髑髏のような篭手を外そうとした彼を、必死になって彼女が止める。いかにも面白くなさそうな彼に、それでも必死になって彼女は睨んだ。

「わたしが言いたいのはそういう意味ではありません」

「ならどういう意味だ。生憎、俺はこういう意味しか知らん」

 それは事実であろう。そして、彼がそう言うであろうことは予想がついたにもかかわらず、馬鹿正直にあんなことを言った自分に呆れた彼女である。

「それは失礼しました。なら、そういう意味を抜きで――もちろん、物騒な意味も抜きで、好きにさせてください」

 それこそ意味が分からない。眉をあからさまにしかめる彼に、それでも彼女は懇願の瞳を投げかけた。ややその光と鮮やかさは疲れのせいで鈍くはなっているが、瞳は真剣そのものであることは間違いない。

 彼は小さく吐息をつくと、胡座を掻きなおし、そのまま静かに、それでも少し不可解そうな顔で彼女を見た。つまり、その態度は了承の意味である。

 彼女は嬉しそうな顔をすると、そのまま膝で彼の近くにまで歩み寄り、そのままそっと、彼の唇に自らのそれを重ね合わせた。

「――――」

 湿った甘い吐息の感触。艶やかで菓子のように柔らかい唇。滑りを帯びた、けれどいやらしさなどどこにもない舌遣い。

 ――結局は同じことではないのか。

 そう言いたくなった彼ではあるが、そのまま口を閉ざしていた。自分が声を発するよりも、今こうやって彼女と唇を重ねていたほうがもっとずっと有意義である。

 彼の頬に、白く華奢く、握り締めると壊れてしまいそうな指先が添えられる。その手を自らの手で包み込み、それから彼女の喉の奥にまで舌を入れようとした彼に、しかし彼女は抵抗した。

 違う。自分が望んでいるのはそれではないと。

 そう抵抗されれば仕方がない。彼は自分でも驚くほど大人しく、自らが貪ることを止める。すると、彼女はまた、自分なりに舌を使って彼の情欲を煽ろうとする。

 どういう意味なのか、それは彼には分からない。それでもこれでは結局、彼女が主導権を握りたいと言っているのではないか。小さく疑問に思いながら、薄く目を開け、まるで淫視するように彼女を見る。無論、唇を重ね合わせている以上、見える範囲など限られてはいる。

 それでも彼は彼女を見た。それはまるで誘惑。挑発。そして何よりも、彼女への欲情の告白。

「―――――ん」

 彼女の声が甘く、小さく響く。それは誘(いざな)い。彼への主導権の譲り渡し。そして彼女の主導権の放棄。

 その声を合図にするように、彼は乱暴に、その白い体を自らの下に敷いた。

 

 全て終わったあと、彼女は小さな笑い声をあげた。

「なにが可笑しい」

 彼の声に、彼女は笑いを止める。それから、微笑むように囁いた。

「・・・・・いいえ。特に何も」

 そう言いながら、その指は彼の裸の胸の上で遊んでいる。女性の――彼女とは違い、男の――彼の胸は面白いくらい硬い。まるで正反対の硬度。そのくせ、彼の体は優しい温かさを持つ。

 まるで彼自身のようではないか。そう思いながら、彼女は彼の体の上にもたれかかっていた。

 彼の胸に耳を当てると、その鼓動は鈍く、低く、しかし力強く自分の耳に響き渡る。彼女が彼の肌に当てている手も、彼の血脈の確実さとその体温を感じるためのように感じる。ただの戯れのはずなのに。

「そんなに俺の上が気に入ったのなら、今からでもしていいぞ」

 そう、彼女が自分の上にいるにもかかわらず、上半身を起こそうとする彼に、しかし彼女は不平そうな声を出す。

「このままでいいの。・・・・・このままでいいから」

 行為のせいか、彼が短時間ではあるがお預けを食らった反動のせいか、彼女の声と言葉は甘い。しかし、その甘さに媚びはなく、純粋な甘味は彼の耳に心地よい。

「・・・・・結局、お前は何がしたかった?」

 彼らを包んでいたものは、ほとんどいつもと変わりない。

 狂わんばかりの情欲と、はちきれんばかりの愛情と、ほんの少しの切なさと、互いに甘えているはずなのに甘えたりないもどかしさ。

 それらが彼らの熱となり、汗となり、そして彼らが同時に果てる原因ともなる。それは主体であり添え物。言い表すには陳腐で、言葉にするには勿体無いくらいの想いと空気。

「さあ・・・・・」

 彼女が、いつもの行為のあとのように笑う。全てを一瞬忘れたその姿は、無防備で、同時にいつも以上に華奢に脆く見える。それと同時に美しい。

 一糸纏わぬ姿となった――纏っているとすれば、それはきっと放たれた白銀の髪。粉雪よりも繊細な銀色の、淡く柔らかく白い銀の光――彼女は、彼の体の上で、ただただ彼の鼓動を感じ取るのみ。彼と一体となることも望まず、ただその音と体温と感触に身を委ねている。

「阿呆。分かっているくせに言葉を濁すのは止めろ」

 彼がまるで子どもを叱るように、彼女の頭を強く手のひらに包み込む。無論、本気ではないので、彼女を急かすためだけである。

「いたたた・・痛いってば、ジャドウ・・・・・」

「痛くされたくないなら早く言え。今日のお前の行動はいささか不可解のなことが多い」

 そう急かされてはたまらない。小さな彼女の頭にすっぽりと手を収められて、その指で持って締め付けようとするのだから、拷問とはいかないまでもお仕置きにしてはやりすぎる。

「わっ…わ、分かったから、ジャドウ・・・・・!話すからっ」

 必死になって叫ぶ彼女。それに、彼も彼女が必死であることを汲み取ったのか、ぱっと手を離す。指が跡になってないか気になる彼女に、彼は視線で問いかけた。

 無論、それに彼女も答えるしかない。一息吐いて、彼女はまるで遠くを見るように彼を見た。

「・・・・・・ジャドウ」

「何だ」

「恐いんです」

 何が恐いのかは、未だに彼女の中では分からない。戦に慣れた自分なのかもしれないし、戦に慣れさせる環境への恐怖なのかもしれないし、それを促す彼なのかもしれない。

 けれど――とにかく、恐かった。恐くて恐くて仕方がなくて、その恐怖感に耐え切れず、それが疲れているものと思い込みたかった。久しぶりの戦闘。懐かしい戦のにおい。それに憧憬を抱いているかもしれない、自分。

 いや本来は、その未来が恐いのかもしれない。そしてそうなってしまった過去が恐いのかもしれない。恐怖の根源を見れば、いつでもどこでも、誰でもどういう状況にだって、その原因は考えられる。

「何が恐いかわからない。――逃げたい」

 けれど、それが何なのか。分からない。何から逃げ出したいのか、何に恐怖しているのか。何が原因で、こうなってしまったのか。

 彼に会いたかったのは、彼と一緒にいたかったのは、彼とキスをしたかったのは、恐らくそういう理由。恐怖から逃げれるかもしれないし、逃避を望む自分から逃げれるかもしれない。情熱的になれば、それがなくなって、いつもの自分に戻るかもしれない。

 ただそれを願い、彼のもとに訪れた。

 けれど彼は憎らしいほどいつも通りで、同時に自分の違和感だけが目立ってしまい、結局今だって、なにかが恐い。否、全てが恐いのかもしれない。

「逃がしはしない」

 彼の、凛とした、低く甘い声が響く。

 はっとして彼を見ると、その顔は不敵そうに歪んでいた。

「逃がすものか」

 彼の目は強い。強すぎて、まるでこちらがいかに弱いのかを思い知らされる。同時に、そんな強い彼が羨ましくて、ないものねだりをしてしまいそうになる自分が卑小に見える。

 いやそれよりも、もっともっと強い感情がある。そう、単純に――泣きたくなる。

 既に、彼女は泣いているのかもしれない。ただ吐き気がする程の圧迫感を内側から感じて、切ないぐらいの熱を体内に感じて、彼の上で硬直する。

 上体を起こした彼は、その彼女を、まるでまだ何かの恐怖に震えているように固まっている彼女を、縛り付けるように抱きしめる。自らの中に押し込めるように、ただその体をきつく。

 そして彼女は、自分よりも大きな手のひら、自分よりも硬い腕を肌に感じながら、自分よりももっとずっと逞しく、強く、そこに存在する背中に手を伸ばし、それからきつく抱きしめた。

 逃がさないと言った彼に掴まるように。

 それが唯一の、自らの幸せであるように。同時に不幸であるように。

 自らの手の内にある、確固たるものにしがみ付きながら。

 子宮に響く切なさを、ただ噛み締めて、彼女は彼を抱きしめた。

 

RETURN

 

アトガキ

 はふう。ちょっと半トランス状態で書き上げたんで(勿論、鬼ちーの「眩暈」リピートしまくりで)、支離滅裂になってるかもしれません。ごめんなさい。

 脳内で絵が出来上がってはいるんですが、その絵を第三者的立場で描くと興ざめするし、けど書かないとトランス入ってない人にはなんのこっちゃだし。うがー。

 スノーたまにもごめんなさい。切なくて切なくて仕方ないんだが、俺の語彙が少ないせいで表現できなかったよ…(ショボン。