Durst Polka

ひがたかいころ

 右を見る。いない。左も見る。いない。上も見る。青空だ。下は地面。背後を振り返る。人にぶつかった。
「っ……!」
「ああっ、ごめんなさい!」
 リディアが謝ると、ぶつかった女性は無言の会釈をして遠ざかる。その女性さえも十秒経てば見えなくなるのだ。いつはぐれたのかもわからない親友たちを、すぐさま見つけられるはずがない。
「……参ったなあ。折角三人揃ってるのに」
 しかし諦められるはずもなく、リディアは口先を尖らせながら辺りを見回す。だが目当ての二人は自分と同じく普段と違う髪型と格好をしている上、視界の狭い人ごみの中ではすぐに見つかるはずもない。
 元はと言えば自分が移動を開始してすぐ、屋台の物品に興味を持ち過ぎたせいかもしれないが――エイクス技術の粋を集めて造られた『音に合わせて踊る花』だそうだ――、やはりあっさり仕方ないから自分一人でも収穫祭を堪能しようと思えなかった。
 会場は街ほど広くないし歩き回れば見つけられるかもしれないが、それが可能なのは二人が大人しくはぐれた場所で待っていることが第一条件となる。アリアはそうしている可能性はあるかもしれないが、アデルはまずない。となれば、彼女たちが訪ねそうな場所を虱潰しに当たるのが得策だろう。
「って言っても、どこだろ?」
 会場でそれぞれ興味のある場所は聞いていなかったし――それ以前に彼女たちは仲間とはぐれた非常時に目的の場所に向かう神経の図太さはない――、迷子の呼び出しなんて気の利くことをこの田舎でやっているのかどうかさえわからない。そもそも迷子の呼び出しを受け付ける主催者用天幕もあるのか。
 それだったら一旦、着替えを行ったあの集会所に向かったほうが良さそうだが、ここからはそれらしいものなど全く見えやしない。自分たちが夕方から働く小天幕に行って待ち伏せしてもいいかもしれないが、自分が麦酒を楽しめない状態でアルコール臭い空間に長時間じっとしているのは気が滅入るし、はぐれた二人が三人揃ってから仕事場に集合しようとしたらこちらが足を引っ張ることになる。
 やはり歩いて探そう。決意を改めたリディアは、ちょっとしたことを閃いた。警備に就いているパーティーの男たちに二人を見かけなかったか聞くのはどうだろう、と。
 男たちは東西南北に別れるらしいと二人から聞いていたから、四ヶ所のうちどこかではぐれた二人が待っているかもしれない。男たちが動く範囲は会場内全域に比べれば知れているだろうし、遠くにいても仲間の自分が声を出せば向こうも気付いてくれやすい。待っていなくても伝言くらいは受け取っているかもしれない。
 そうと決まればリディアの動きは早い。まずは進行方向から探そうと、人波の流れに沿うようにして足を早めた。

 反撃を許す暇なく打ち込まれた怒涛の三十三打撃に、鉄魔神の分厚い甲冑から粉のような破片が微かに飛び散ってくる。
 敵の体がひび割れ始めたと知ると、レ・グェンは反撃を受けないように素早く鉄魔神から離れて自分の背後にいる少年に声をかけた。
「ノエル、頼む!」
「はいっ!」
 ノエルは新緑色の羽を大きく羽ばたかせると、剣の形状を取った杖を敵に翳して腹の底から声を出すように術を紡ぐ。魔術の発動は短い掛け声だけで済ませる人もいるが、少年はいつも慣れた気がしなかった。特に、今のような規模も威力も大きなものは――
「フォトンスパーク!」
 ノエルの声が天に響くと、彼らの周囲が薄らと夕闇色に染まる。直後その薄闇を切り裂く雨の如く、しかし縦横無尽に紫電が降り注いだ。だが紫色の電光は木々を薙ぎ倒すことなく、少年と青年の二人に危害を与えることなく、鉄魔神と隠れ潜んでいたラフレシアの体を何度となく焦がし、貫き、いたぶるように抉る。
 美しくも残酷な光景に身を堅くしていたノエルと対照的に、レ・グェンは紫電の嵐が収まると直ちに息も絶え絶えのラフレシアの花芯に短剣を突き刺す。
「ィイィィイ―――!!」
 声ならぬ叫びを上げたラフレシアは短剣を抜かれるとそのまま力なく倒れ伏し、鉄魔神は最期の抵抗をしようと腕を伸ばすが、その篭手の指がない。
 焦げ付き塵となるまで紫電に弄ばれたと知るももう遅く、鉄魔人は恨みがましい声を漏らす暇も与えられないまま、その歪んだ生を終えた。
「お疲れ」
「はああ、びっくりしたぁ……!」
 鉄魔神の屍からちゃっかりパワーストーンを頂くつもりだったのだが、ノエルの発した大きな声にレ・グェンは思わずそちらを振り向く。見られた少年は、慌てるように両手と首を振った。
「いえ、あの、もう一匹敵がいるってわからなくて……」
「ああ、それか。……こんな見晴らしの悪い場所じゃ、仕方ないだろ」
 特にラフレシアはノエルの腰ほどの大きさもないし、眼前に成人男性より遥かに大きな鉄魔神がいれば、その存在に気付かないのも無理はなかった。おまけにこの植物型モンスター特有の臭いは、今や会場側から吹く風が運ぶ様々な飲食物の臭いと混ざって分別がつかない。
 敵の存在に気付けなかったことで自信がなくなったのか。ノエルは思い出したように杖を構え、警戒心を露に見渡す。
「……まだ、何か潜んでいたりしないですよね?」
「キラービー辺りがまだ隠れてたかもしれないな。まあフォトンスパークなんて大技食らったら、大体生きちゃいけないから安心しろって」
 レ・グェンはのんびりしたもので、鉄魔神に攻撃した際、短剣が刃こぼれしていないか気になっていたらしい。じっくり梵天丸の刃先を見ながら、丁寧に鞘に直す。
「そうですか……?」
「そうそう」
「……そうですね」
 ようやく安心する気になったのか、ノエルはほっと大きく息を吐き出し杖を下ろす。こちらは鞘がないので普通の杖のようにもたれかかったり手遊びにしたりは出来ないが、普段からそうしがちな少年としては姿勢を悪くしないための武器と思えば不便と感じずに済んだ。
「ところでノエル」
「はい?」
 敵を倒したばかりの空気とは、基本的に弛緩しているものだ。すぐに新たな敵が来ることもないと思えば、先程までの緊張感が霧散を超えて緩んでしまうのも仕方ない。
 しかしノエルに向き合うレ・グェンの表情は、敵を倒したばかりにしては緊張しているようで、少年は本能的に嫌な予感を覚えた。
「もうそろそろ、現実を見ような?」
 ノエルが話題反らしを考えつくより先に、レ・グェンはにっこりと笑った。パーティー内でも特に取っ付き易い性格の彼にしてはややぎこちない笑顔だが、少年はそんなことに構っていられる余裕はない。
「……は、はい?」
 目を瞬きながらも口元だけは眼前の彼と同じような笑みを作る――と言うより、口元をひくつかせているだけに見えるが――ノエルに止めを刺すように、レ・グェンは不自然な笑顔のままで宣言する。
「俺たちのチーム、やっぱり一人足りてないから」
「………………」
 ずばりと言われ、少年は暫し棒立ちのまま放心していた。
 が、次第にその言葉をきちんと頭で受け入れてきたのか、見る見るうちに白い顔の血の気が失せて青くなる。
「……ノエル?」
 その顔色に危険を察知したレ・グェンが内心焦って声をかけると、少年は崩れ落ちるように男の上着にしがみついた。
「ど……どどどうしたら!! どうしたらいいんでしょう!?」
「いや落ち着けって! 慌てて解決するような問題じゃないだろ!?」
 どうどうと抑えるも、ノエルの混乱はなかなかに収まらない。泣きそうなまでに顔を歪めながら、少年はひたすら喋った。
「や、やっぱりジャドウさん、ボクが信用出来ないんでしょうか!? 弱いから、足を引っ張るだけだから、一人でやっつけたほうがマシだって……!」
「いやいやいや、きっと、そう言うことじゃないと思うぞ?」
「じゃあ、どう言うことなんですか!? もし、もしこれでボクたちが取り逃がしちゃったりしたら、皆に迷惑がかかっちゃうのに……!」
 嗚咽に近い声を漏らすノエルに、レ・グェンは重いため息を吐くように呟いた。
「あのなノエル、よく考えてくれ。……真面目じゃないだろ、あの人?」
「……ま、真面目?」
 よく通る低い声でしみじみと言い聞かされ、ノエルはきょとんと目を瞬く。予想外の発言に少年が我に返ったのを見ると、レ・グェンは苦笑を浮かべながらその頭をぽんと撫でた。
「ノエルはよく頑張ってるさ。そりゃ比較対象が兄さんなら、追いつかないのも無理はない。けどまあ、あの人はそんなことをきっと気にしちゃいないと思うぞ」
「……じゃ、じゃあ、どうして……」
 促されて、レ・グェンはしみじみ嘆息した。思えば最初から、件の勝手に失踪した人物は今回の依頼に乗り気ではなかったのだ。
「誰と組もうが、きっとあの人にはどうでもいいことなんだろ。打ち合わせの時点でもサボってたし、今朝も目立たないように大人しくしてただけで……最初っから抜け出す気だったんじゃないか?」
 ボローニャは昔から続く人間国家だ。その上、農地国家でもあるため国力は低く、魔王であるかの人物が、宗教的な理由を抜きに嫌う国の典型と言ってもいい。
 憎しみが消えたと言っても相変わらず人が多いところは苦手とその伴侶から聞いていたし、人間が脳天気にはしゃぎ回る収穫祭なんぞには、そもそも興味がなかろう。当然、収穫祭を守るこの仕事そのものにも興味や熱意がないことになる。
「だからノエルは自分の力不足だとか思わなくてもいい。多分あの人は兄さんと組むことになってもこうやってサボったろうし……今頃、宿か林のどこかで寝てるんじゃないか?」
「そんな……」
 うな垂れるノエルに、レ・グェンは優しくも冷静な口調で話しかける。
「世の中には色んな人がいるんだよ。偶然知り合っただけの誰かを命がけでも守りたいって人もいれば、仲間だって見捨てる人もいる。ノエルだって、その辺はわかってるだろう?」
「……はい。けど、ここの人たちは、そう言う、無責任な人なんかいないって思ってました……」
 ノエルの堅い表情に、いない人物のことを悪く言い過ぎたろうかと思ったレ・グェンではあるが、それをフォローする間もなく少年が厳しい目付きで顔を上げた。
「あの、探しに行ったり、戻ってきてもらうのは、無理なんでしょうか?」
 使命感に燃えるのはいいが、ノエルの大胆な発言にレ・グェンは少々焦りを覚える。
「探しに行くって、誰がだ? もし二人で行くんなら、その間のここの警備はどうする? 一人で行くのだって探す方もここに残ってる方も心許ないだろう」
「でも……!」
「それに無理にこっちに戻ってきてもらっても、奴さんの士気が低いんじゃノエルもやり辛いだろ? 俺も衝撃材なしのあの人にはサシで会話なんて出来ないし、ぎすぎすしてると疲れも溜まるしいらんミスも多くなる。この場は仕方ないと思って、大人しく警備に励んでいようや」
 説得されても、ノエルの表情は堅いままだ。このまま無責任にも仕事を放棄した仲間を放置するのは、やはり少年にとって憤懣やるかたない行為であるらしい。しかし、その仲間はちょっとやそっとの脅しで戻ってくるはずもなく、彼ら二人で実力行使に訴えても良い方向に行くとは全く思えない。
 となれば、ノエルが納得するような言葉で彼の心を静めるしか道はなかった。
「えーとな……それと、あの人がサボってもいいと判断したのは、もう一つ、別の考え方が浮かんだ可能性もある」
 先程からの話の流れからして信じ難い仮定に、ノエルの眉が僅かに歪む。だろうなあと思いつつ、内面をおくびも出さずに男は自慢の弁舌を振るう。
「あの人だって、モンスターを会場に入れちまう、つまり自分が仕事をサボったって恋人にバレたら問答無用で叱られることぐらいはわかってる。それは嫌なはずだ。そうならないためには自分も警備をするのが普通なのに、今回そうしなかったのはどうしてか……ノエル、わかるか?」
 訊かれて、ノエルはおずおずと口を開いた。
「失敗しても、どうでもいいと、思ったんじゃ……」
「恋人には怒られたくないのは確かだ。けど加わらなかった。……俺たちが頼りないなら、嫌々でも参加はしてただろうな」
「つまり……ボクらが、モンスターを会場に入れないくらいに強いと判断した、んですか?」
 その通り、とレ・グェンは深々頷く。可能性としては無関心の方が大いにありうるが、そう説得した方が今のノエルには効くと男は判断したのだ。
 果たして彼の読み通り、少年は少しの間俯くと、一応は納得した顔でこっくり頷いた。
「……わかりました。さぼるのはいけないことだけど、ボク、ジャドウさんの期待に応えられるよう頑張ります」
 返事を聞いて安堵したレ・グェンは、その言葉に違和感を持ちながらも宜しく頼むと微笑んだ。――しかし、彼もそれほどこの警備に真面目に取り組もうと思っている訳ではない。あの魅力的な民族衣装の女性や麦酒、更にはこの地ならではの酒の肴もあるのだから、あの魔族とは真逆に収穫祭自体が魅力的過ぎるとさえ感じていた。
 できれば自分だってここから抜け出したかったのにと思いながら、青年は吐息をつく。けれどこの少年を置いてけぼりにするのは、刹那的な享楽を好む彼とて心が痛むからこうして真面目にしているだけの話なのだ。
 だからここは自分の株を上げることで我慢をしよう。結果的にここにいない末恐ろしい人物の陰口を叩いてしまうことになったが、それだってきっと自分の予想が当たっているからであり、八つ当たりなんかではないのだ、きっと。
 心の中でそんな宣言をしていながら、レ・グェンはローストチキンの匂いに鼻をひくつかせた。


 ふと、多くの人が天井を見る。天幕の電球でもショートしたのかと思ったのだが、それらしいところは見当たらない。だが一瞬焦げ臭かったのと、大きな火花が見えたのは事実で、どうしたことかと首を傾げた。周囲を見ればそう感じたのは自分だけではないようで、錯覚ではないと知りますます客は不安がる。
 しかしいくら待っても火の手が上がった様子はないし、ウェイトレスたちに聞いても自分たちと同じく不思議がっているだけだ。ならば気にすることはないのだろう、と思考を切り替え元に戻っていく感覚が天幕中に広がって、不穏な空気が薄れていった。
 それに安堵の息を細く長く吐きながら、カルラは前を見据える。彼女にしては心なしか目付きが鋭い。
「ブリジッテ殿。何をなさっているのでするか」
 渾身のカオスフレアをアヴァランチで相殺されたブリジッテは、自分を睨んできたカルラを反射的に睨み返す。彼女の後ろには、あの憎たらしい男が腰を抜かしていた。
「あんたこそなに邪魔してくれてんのよ!」
「邪魔ではありませぬ。貴殿は無力な人を相手に暴力を振るおうとなさった。その自覚がおありか」
 厳しい表情のまま冷静に指摘するカルラだが、まだブリジッテの頭を冷やすまでには至らないらしい。それどころか犬歯を剥き出しにする勢いの反論を受ける。
「そいつが無力なら、あんたは何しても許すっての!? そこの馬鹿、アタシに燃やされても当然ってくらいのこと抜かしたのよ!!」
「たとえそうだとしても、燃やせばブリジッテ殿は加害者でございまする。侮辱と火傷では、余程のことがない限り火傷をした方が同情されるが世の定め」
「…………」
 同情と聞かされて、ブリジッテはようやく少し大人しくなる。さっきの若者が自分のことを切欠に同情を受けるのは、自分が加害者扱いされるよりも腹が立つらしい。何とも偏った考え方に、カルラは内心呆れた。
 しかし心の動向はおくびにも出さず、更に彼女はブリジッテの頭を冷やすべく舌を動かす。
「それに私どもは今この場には遊びに来ているのではございませぬ。仕事中に客に対して暴力を振るうとなれば、無関係である仲間の顔に泥を塗る上、相手の治療費を払わされるかと」
「……くぅう」
 悔しそうな声を漏らすブリジッテの眉は、怒りではない方向に歪んでいる。反省したと受け止め、少し気を緩めたカルラは、まだ麻痺しているらしい男二人を視界の隅に入れながら辺りを見回した。改めて見てみれば、野次馬たちはまだ散る気配がない。彼らも巨大な火の玉に怯え、脚が竦んでいるのかもしれなかった。
「それで……私はよく存じ上げないのですが、何故このようなことに?」
「それはねえ!」
 早すぎたのか。不満げながらも黙っていた先とは違って、ブリジッテは水を得た魚、と言うより火山口の溶岩さながらの勢いで喋りだす。
「そこのそいつと連れの奴らが、アタシの仕事の邪魔をしたのよ! どいてって言ってもどこうとしない上、ニヤニヤ笑ってあからさまに無視しやがったから、二人くらい麻痺させて強引に通ろうと思ったらそいつ、足引っ掛けてきたのよ!?」
 だからブリジッテはジョッキグラスを持っていないのか、とカルラは奇妙な点で納得した。
「何すんのよって言ったら、そいつが謝れとか言い出して! はあっ!? って話じゃない、自分のほうが先に嫌がらせしておいて謝れってどんな理屈よ!!」
「てっ……テメエが麻痺なんかさせっからだろうがよ! 大体、さ、さっきのアレだって、火傷なんてもんじゃねえだろ! 焼け死ぬぞ、人殺しだ人殺し!!」
 腰を抜かしながらも口だけは達者な若者の割り込みを受けたカルラは、掴みかかろうとするブリジッテを片手で抑えつつ、吐息を漏らしてそちらを振り返る。
「では伺いたいのですが、何故貴殿は仕事中のブリジッテ殿を無視し、あまつさえ挑発したのでするか」
「チビにチビっつって何が悪い!」
 自分の格好を理解しているとは思えない若者の口の悪さに、さすがのカルラも眉を顰めた。成程、彼がここまで図太い性格だからこそ、ブリジッテは烈火の如く怒っているのだろう。
「……あ、あんたねぇえ!」
「ブリジッテ殿。……では貴殿はチンピラ、と捉えて宜しいか。それとも下衆か、三下か」
 仲介役であり、命の恩人でもある女性にそこまで言われて、ようやく若者は調子に乗っていることに気付いたらしい。同時に周囲の自分を咎めているように冷ややかな視線を受けて、彼は口を窄めた。
「……むしゃくしゃ、してたからだよ。その件については……まあ……悪い、と思ってる……」
「では彼女に謝罪を」
「なんで俺が先に謝らなきゃなんねえんだ!!」
 唾を飛ばす勢いで抗議する若者に、カルラはやはり冷淡に説明した。その後ろでは、怒りがまだ収まっていないブリジッテが牽制するような目付きで彼を睨む。
「貴殿が拘るのは罪の重さでありましょうが、今は順序を尊重したく思っておりまする」
「あんたの仲間だからか!? 俺はあやうく殺されそうになった挙句、今も連れは……!」
 若者が言い切る前に、カルラは倒れている男二人に異常回復の魔術をかける。すると、瞬く間にろくに口も動かせなかったはずの二人の目に正気の光が宿り、本人たちも悪夢から覚醒したような勢いで立ち上がった。
 眼前で奇蹟に等しい光景を見せられた男と野次馬は、あんぐりと口を開けそれぞれ感嘆の声を漏らす。漏らさないのは、カルラとブリジッテくらいなものだ。
「……これで宜しいか」
「こ……こん、……」
「既に貴殿が『焼け死に』しそうになった件は私が差し止めたはずでございまする。恩を感じているならば謝って頂きたく」
 逃げ口を鮮やかに封じられ、若者は長いこと低い唸り声を漏らしていたが遂に観念した。気不味そうに俯いて、小さく呟く。
「…………すまん」
「ちょっと……!」
「聞こえませぬ」
 ブリジッテが声を荒らげるより先に、カルラがはっきりと指摘する。そこまで言われると自棄を起こしたのだろう。若者は立ち上がると、大声を出した。
「悪かったな!!」
「こっちも悪かったわね!!」
 言い逃げでもするつもりだったのか、背を彼女たちに向けかけた若者が信じられないものを見る顔でカルラの向こうにいるブリジッテを見る。彼女もまた、先程の彼と同じくらい苦々しい顔でそっぽを向いた。
「……アタシはあんたみたいに催促されなきゃ謝れない訳じゃないもの」
「一言多うございまするな」
 カルラの言葉を聞いても態度を改めようとしないブリジッテに、若者も鼻を鳴らして仲間二人と共に強引に人垣を掻き分けていく。幸いにも、これ以上争う気はないようだ。
 一応解決、と言うかたちで幕を閉じたこの事件に、野次馬たちも安堵したのか。少しずつ散り散りになっていく。しかしカルラを取り巻く視線はどうしたことかなくならないままで、彼女は不可解に思いながらもまだ機嫌が悪そうなブリジッテを注視する。
「……何よ」
「催促の必要がなかったこと、嬉しく思っておりまする」
 褒め言葉にしては嫌味っぽくも聞こえるが、一応ブリジッテはそれ褒め言葉として受け止めた。
「当然じゃない。あんな惨めったらしい奴と同類になりたくないもの」
「左様で」
 ではどうしてそんな奴と同類になるほどの喧嘩をしていたのか、と聞きたい気持ちを押さえ込み、カルラは元の業務に戻ろうとする――より先に、誰かが腕を掴んだ。
「なにや……!?」
「あんた、お医者さまかい?」
 邪気のない、どころか尊敬さえも感じさせる眼差しをカルラに向けているのは、どうやら地元の住民のようだ。皮ズボン姿の老人が複数いた。
「……医者、ではありませんが、何か御用で?」
「おお、あるんじゃあるんじゃ!」
「さっきの、麻痺を治しなすったんはあんただろう!?」
「あの魔法は、他のも治せるんかね?」
 口々に言う老人たちだが、不安を煽るどころかお目当てとするものがわかりやすいので、カルラは肩の力を抜いてそちらに向き直る。
「あの魔術は毒や睡眠、霞目などには対処出来まするが……」
「ほんなら治せるかもしれんな!」
 カルラの腕を掴んだままの老人が明るい声でそう仲間に言うと、仲間の老人たちも顔を明るくして賛同する。するだけならまだいいが、その上彼女の腕を掴んで何処かへ引っ張っていく。
 どこに連れて行かれるのか、それ以前に同行すると了承した覚えのないカルラは、引っ張られながら慌てて彼らの狙いであろう魔術について補足した。
「で、ですが、二日酔いや中毒症状は治せるかどうかは不明でございまする。私の魔術をあまり過信されましても……」
「いやあ、やってみるだけやってほしいんじゃ」
「それで治らんでも罵ったりはせんよ。そんな厚かましい真似はできんできん!」
「試してもらえるだけで儲けもんだわい」
「時間はかかりゃあせんからな。そこの嬢ちゃんも、安心してくれやぁ!」
 こちらは全く安心できない。そう思ったカルラはブリジッテに救いの手を求めるも、彼女はまだ事態が完全に飲み込めていないらしい。目を点にして、刻一刻と離れてゆくカルラが差し出す手を見ているだけだった。
「ぶ、ブリジッテ殿……、お助け……!!」
「えっ、あ、……あれ?」
 カルラの切実な叫びが、ブリジッテの意識に届いたときにはもう遅い。集会所で出会ったあの女性が、明るい笑顔の多かったあの逞しい体型の女性が、こちらに手を差し伸べようとした彼女の肩を無表情で鷲の爪の如くがっちりと掴んでいたのだ。その後ろには、困惑顔のリーザが見えた。先程までの騒ぎに対し、彼女が女性を応援として呼んだらしいが、それにしたってタイミングが最悪に近い。
 そして自分の肩を掴む女性の姿をブリジッテがどんな表情で見たのか、カルラは知らない。ただ屠殺場に連れて行かれる仔牛の気持ちを味わいながら、老人たちに引き摺られるだけだった。


 空は見事に澄んだ青空で、会場の方は騒がしいくらい賑やかで華々しい。
 その光景を遠巻きに眺めた後で自分が今いる場所を見ると、アルはなぜだか泣きたくなってきた。別に感傷的な気分になるわけでもなく、泣きたいほどこの環境が殺伐としているからなのだが。
 アルが背を向けている相手は二人。寡黙で何を考えているのかわからない、少なくとも温厚な性格ではない長身長髪のヒトゲノムであるデューザと、物腰は慇懃で気品すらあるが融通が利かない、そして何よりヒトゲノムに固執するエトヴァルト。よりにもよって因縁があるようなないようなこの微妙な関係の二人と、どうして自分が同じチームになってしまったのか。
 アルは頭を抱えたい気分になりながら、ひたすら収穫祭の会場の方を眺めていた。
 エトヴァルトとまた別の誰か、もしくはデューザとまた別の誰かなら、まだアルはここまで憂鬱にならなかった。けれどこの二人ほど今までの人生に重みがあるわけでもない少年は、精神的に未熟だからこそこの二人がお互いを微妙に意識していることを何となくだが感じ取っていた。
 その意識は当然ながら、良い方向ではない。縄張り争いだとか牽制だとか言った方がよさそうな空気が常に二人の間に流れており、その二人に挟まれているアルは皮膚がぴりぴりと痺れる感覚さえ覚えるほどだ。
 アルとて努力はした。当初はまだ喋りやすいエトヴァルトに話しかけ、退屈で重苦しい空気を何とか誤魔化そうとしたのだが、彼の方は前述の通り融通が利かない。デューザに対し、記憶も新しいオールドロードの話題を持ちかけたのだ。
 デューザは静かに拒絶の言葉を漏らすだけでエトヴァルトを黙らせると、途端に空気が重くなった。二人が視界に入っただけで、アルの胃が痛くなるほど重々しかった。
 しかし二人とも本来の役目はしっかり弁えているので、モンスターの気配がすると協力して退治する。淡々と、でありお互いに労いの言葉をかけるような態度は全く取らないが。
 だがそれでもモンスターの襲来は、アルにとって救いだった。重々しい沈黙の空気が、その時だけはちゃんとそれらしい理由を持った緊迫感に転じてくれるのだ。その場にじっとしているのが苦手だがそうするしかない少年は、これ幸いとばかりにモンスターたちに立ち向かった。しかし現実に襲ってくるのは少数だし、異界の門ほど怒濤のように迫ってくるわけでもない。毎回全力を出すためあっと言う間に退治して、またぎこちない空気に戻るのを何度となく経験した。
 こうして重苦しい空気に慣れてくると、胃の痛みも次第に軽くなる――麻痺しているのかもしれないが。だがやはり好き勝手に動き回ったり話しかけたりするのはどうも難しくて、アルはぼんやり収穫祭の様子を眺めた。
 遠くからでも耳に入る声は楽しそうな歓声ばかりで、自分たちのように重苦しい気持ちでいる者の存在になどこれっぽっちも気付いていないだろう。羨ましいと思う反面、脳天気にしていられるのは自分たちのお陰なのに、と妬ましい部分もある。けれど生来の性格からか妬みが長続きしないアルは、やはり素直に羨ましいと思ってしまう。
 出来れば警備の仕事なんて放り投げて、思う存分収穫祭を楽しみたい。しかしそんなことをしたら、モンスターが入り込んでくるかもしれない。楽しい収穫祭が、自分が真面目に任務に勤めていなかったせいで阿鼻叫喚の惨劇になるかもしれない。そう思うと、少年はその欲求をぐっと堪える。弱い人たちを守らないで何が勇者だと自分を戒め、今日一日頑張ろうと心の中で宣言さえする。  けれど、アルはまだ幼い。はしゃぐ声を聞き、人々の笑顔を見るとどうしてもそちらに惹かれてしまうし、何より今自分がいる場所が殺伐としていると尚更そちらが魅力的に感じてしまう。そんなときには勇者になると言う大いなる目標も掠れてしまい、勇者であった母のことを思い出すもどうも牽引力がない。
 恐らく母が今のアルと同じ状況を味わえば、適当な言い訳をつけて収穫祭を楽しむだろう。それでモンスターの侵入を許してしまっても、的確に人々を避難させ、鮮やかに退治して賞賛を浴びるに違いない。そんな考えさえ浮かんでしまうのだ。――そもそもモンスターの侵入を許してはいけないとか、持ち場を離れてはいけないとか、警備の上での前提条件があるのだが、その辺りは今の少年の頭には入っていなかった。勇者になれば面倒なことを気にしなくていいと思っているのかもしれない。
 ともかく、時間が経てば経つほど誘惑に負けそうになるアルのもとに、誘惑の使者が訪れたのは丁度そんな妄想をしている最中だった。
 民族衣装の女が会場の方からこちらに向かって歩いてきたとき、アルは誰か町の人が差し入れでも持ってきたのだろうかと期待した。時計はないが陽は高いから昼食時に近いだろうし、それくらいのことはしてもらっても罰は当たらないはずだと判断したのだ。
 だが女が何も持っていないと気付いたとき、アルは正直拗ねた。しかし何を言っているかはわからないがその女の声に聞き覚えがあり、またその女の顔に見覚えがあるものだと知ると、少年はいじけていたさっきまでの自分を吹き飛ばす勢いでその女の名を読んだ。
「リディア!? 何してんだよ、お前!」
 明るい茶髪を巻き髪にして花飾りで左側に纏めたその村娘は、アルもよく知るヴァラノワール生の一人だった。リーザと違う型の民族衣装を身に付けている上にこちらも髪型まで大きく違うため、またも少年は瞬時に見分けが付かなかったのだ。
「女の子にお前って言わない! リーザに言いつけちゃうよ?」
 注意されて一瞬怯んだアルの顔に満足したらしいリディアは、少年の背後にいる二人にもひらりと手を振った。あの殺伐とした二人に挨拶できるなんて、彼女の神経の図太さは異常だと少年はこっそり思う。
「やっはー。三人ともお仕事は順調?」
「ええ、特に変わったことはありません」
 エトヴァルトが打てば響くような返事をすると、リディアはいつもと同じように大袈裟な仕草で頷く。折角可愛らしい服を着ているのだからそれらしい仕草を取ればいいのにとアルは思ったが、からかわれそうなので何も言わないでおいた。
「そっかそっか! んーけど、……それじゃあ誰かと会ったりしてないんだよねえ」
「どうかしたのか?」
 少し残念そうな呟きに食いついたアルに、リディアはあははと乾いた笑いを返す。
「……アデルたちと一緒にお祭り回ってたんだけどさ、ちょっとはぐれちゃったから、今探してるんだよね」
「ええ〜、ドジだなあ」
「うるさいぞっ☆」
 からからと笑うアルに、がばとリディアが飛び掛る。こめかみを捉えた拳を奥へと抉る容赦のなさに、少年は断末魔の悲鳴を挙げた。
 絶叫を聞いて近くに潜んでいたらしいデスキラービーが驚き飛び出してくるも、デューザがすかさずスダルサナで捕捉する。憐れ蜂型モンスターは、敵に傷一つ付けられずに真っ二つとなって地に伏した。
 しかしそんな一連の襲撃さえも無視したエトヴァルトは、デューザの手際に歓声を挙げながらも仕置の手を止めないリディアに話しかける。
「当てはあるので?」
「一応色々考えたんだけど、とりあえず警備の皆に見てないか聞きに来たの。みんなは見てないんだよね?」
「み゛っ、……見てなっ……!!」
 ぎりぎりとこめかみを圧迫されながらアルが何とか答えるも、リディアは聞く気がないらしい。腕は静脈の血管を浮かせつつ、顔は普段通り太陽の如き笑みを振りまきながら、もう一度。
「見てないかな?」
「……ええ、見ていません。もうそろそろ、彼を放してやって下さい」
 エトヴァルトに言われて、ようようリディアが手を離す。やっと頭を開放されたアルは、転がるように彼女から離れると痛む箇所を涙目になりながら押さえた。
「……ってぇええ!! ちょっとは加減しろよ、そんな格好してんだからさ!」
「んん〜、それはどう言う意味かなぁ、アル君?」
 からかうつもりか、まだ怒りが冷めやらぬのか。悪戯っぽい笑みを浮かべながらアルに迫るリディアに、少年は及び腰になりながらも減らず口を叩く。
「別にぃ! ちらっと見たら別人だと思ったのにさ、そんなことするからリディアってリディアなんだよなあと思ってさ!」
「……ほうほうほう。そんじゃああたしらしくなく、リーザにあることないことチクったほうがいいってことなのかな〜」
「そ……!!」
 そうは言ってないだろ、とアルが反論するより先に、リディアはひらりと手を振りまた会場の方へと戻っていく。
「んじゃまたね〜!」
「ちょっ、リディア! 姉ちゃんに変なこと言うなよ、絶対だぞ!!」
 焦るアルの命令に、あははとリディアの笑い声が被さる。絶対と言われても、そも彼女には少年の命令を聞くメリットなどないのだ。むしろどこまでも小生意気な文句しか出てこない彼を、懲らしめてくれた方がありがたい。
「まあ、覚えてたらね〜」
 覚えてたら言うのか、それとも覚えていたら言わないでおいてあげるのか。どちらとも取れる発言を残して小さくなっていくリディアの後ろ姿を、アルは悔しさを滲ませつつ見るしかできずにいたが、ふと自分の腹具合を思い出す。
「……次、来るなら! 差し入れくらい持ってこいよなー!!」
 自棄が入ったアルの叫びに、遠のくリディアから微かにうん、と返事が来る。
 けれどそれはどうせそんな気がしただけだと思い、少年は妙な疲れを感じて草むらに足を投げ出し座り込む。
 変わらぬ賑やかな会場の音、嵐のようにやって来て去っていったリディア――、そしてそれらと相反する自分がいるこの場所を思い返すと、より収穫祭が魅力的に見えた。

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