Go to her. Aim at her.

 

 

『ワルアンス城はヒトの誇り。未知なる勇者たちよ、いざやいざ立ち向かえ。この世の悪を滅ぼすために。』

 そう書かれたポスターの多くは、今や雨風に曝され、新しい商店や人捜しやペット捜しなどのポスターに阻まれ、最早人の視線をまともに浴びることはない。時折浴びせられたとしても、やんちゃな子どもたちの落書きの犠牲になるか、はたまた昔を語る人々の小道具としてしか役立たない。

 そんな中で珍しく、無事なポスターの前に佇む女性は、息もせずそれを凝視していた。ポスターに描かれた文字の下には、ワルアンス城を簡略化した絵と、城に向かって剣を掲げる騎士が描かれている。

 そうしてポスターから視線を上げれば、そこには紛うことなきワルアンス城がある。堂々としたその外観は、当時の兵士や志願兵たちを確かに鼓舞しただろう。しかし、その何割ほどが実際に戦場で活躍し、満足に戦い散ったのかまでは明確ではない。

「……あれが……」

「街もそうですけど、立派なお城ですね……」

 感心したように呟くアリアに、アデルが相槌を打つ。

「ええ、ワルアンス城はシンバ帝国時代からの建築物だから、歴史としては十分よ。二十年近く前の新生シンバ帝国軍の本拠地で、今は共和国の執政官が住む場所として有名だから、あと数十年はこのお城が尊ばれることでしょうね」

 教科書通りのアデルの説明に、しかしその帝国軍に深い傷を負わされたリーザは苦笑気味に付け足す。

「外見も歴史も立派なお城だけど、同時に七年戦争で最も血塗られた場所としても知られているわ。当時、地下の『狩り場』で多くの魔族の捕虜や志願兵たちが、異界の魂やインペリアルガードの力量を試すための道具にされたの。今その『狩り場』は、犠牲者たちへの追悼碑が建っているけど……」

「終戦記念日に公開してるよね、そこ。あたしたちも見に行かされたことあるし」

 見に行かされた、という言い方に眉を潜めるアデルと、半笑いを浮かべるリーザ。結局、戦争を味わった者にしか、そうした空間の重要性も悲壮さも伝わらないのだなと思いながら、リーザはワルアンス城に視線を向ける。

「隠さずにそこであったことを認めて、忘れないようにする共和国の姿勢は立派だと思うわ。けど……やっぱり苦手なものは苦手なのよね」

 自分の中で納得させたような物言いに、少女たちはややきょとんとしてリーザを見る。生と死が隣り合わせの今の世界にいながら、どうして苦手だと思うのかと。しかしあの戦争で彼女の身に何が起こったのかを間接的に知っているナイヅは、表情に陰を落とす。

「……すまない、リーザ」

「ナイヅさんが謝る必要はないでしょ」

 笑い飛ばすような気軽な言葉が、ますますナイヅの心を締め付ける。

「しかしデゴス侵略部隊の中には俺も、俺の仲間たちもいた。あのとき、俺たちが自分の目で制圧される様子さえ見ていれば……」

「過去を悔いたところで、今が変わるわけでもないでしょ。当時の敵同士だったのに、お父様と同じようなこと言わないでほしいわ」

 意地の悪い笑みを浮かべナイヅをそう茶化すリーザに、彼は難しい顔を見せた。それを言われてはどうにも上手く返す言葉がない、と。

「ただ、ちょっとこのお城に来るなんてあんまり想像できなかっただけ。物騒なことにはならないんだから、大丈夫でしょ」

 割り切ったように自分に言い含めるリーザの姿に、事情をよく知らない少女たちでも何となく読み込めるものがあった。彼女は過去、帝国軍に酷い目に遭ったらしいということを。そうなれば、お節介を焼かずにはいられないのがアデルだ。彼女としては完全な善意を持って、リーザに提案する。

「そんなに辛いなら、あなただけ外で待っていてくれてもいいのよ?」

「気にしないで。姉さまたちと久々に会えるんだし、ここでアタシだけ引き返すわけにはいかないわ。一人で待っているだけのほうが、きっと辛いもの」

 肩をすくめてそう言うリーザに、アリアは納得したような声を漏らす。仲間たちと知り合ってからは、彼女も単独行動が苦手になりつつあった。

「それに、今は弱味を見せられないのが多くて……一人で待ってるなんて言ったら、どんな反応が返ってくるかわかったもんじゃないわ」

 そう言い終わると同時に、剣を担いだ赤毛の少年が向こうの路地から姿を現した。

「おーい、姉ちゃんたち!」

 その後ろには、銃を担いだ目つきの悪い黒髪の男の姿。腕白少年と不良青年のご到来に、リーザはやや深いため息をつく。

「まったく、こんなところにいたのかよ。世話焼けるなあ……」

「あんたたちが偵察に行ってくるとか言って勝手に飛び出したんでしょ。しかもその調子だと、迷ったわね、アル?」

 いつもの表情を取り戻し、少年相手に腕を組んでお説教の姿勢になるリーザに、少女たちは成る程、とこっそりと笑う。リーザのアイデンティティは、弱味を見せられる相手よりも世話を焼かなければならない相手のほうに発揮されるらしい。

「仕方ないじゃんかよ〜。ここってどこ見ても同じような店しかないんだから、普通迷うって」

「外観じゃくて標札見なさい、標札。角の建物には付いてるでしょ? 何番地とか」

「んなもん誰も見ないって」

「見ないと迷っても仕方ないって言われてるのよ、ここは」

 こめかみを押さえながら言うリーザを気にもせず、アルは後ろのほうでまだ歩いているゼロスのほうに手を振る。

「おーい、兄ちゃーん! 待ち合わせここだってよ!」

「騒ぐんじゃねえよ、ガキ」

 吐き捨てるように呟くゼロスに、しかしアルはしっかりと反応を示した。

「ガキって言うな!」

「うるせえ、ガキ」

「ガキじゃないって!」

「誰がどう見てもガキはガキだろ」

 そうして始まった子どもの言い合いに、買い物をしていたシオラがまたかと言わんばかりの顔をして、保護者を連れたヘルメスが不思議そうにこちらを見て、まだ鞄の整理をしながらおろおろしたノエルが集まってくる。どうやら、集合時間になったらしい。

 白銀の髪を束ねた人間の女性は口元を緩めながら、それらを遠巻きに眺めていた。

 アデルがいい加減にしなさいとゼロスに口出しすると、黙っていろと言い返される。それに更につっかかるアデルに、アリアが心配そうな顔で二人を諌めようとし、リディアが能天気に笑う。アルのほうはリーザに耳を引っ張られ強引に言い合いを中断させられ、口先を尖らせる。ナイヅが呆れながらそれを見届けていると、ゼロスたちの物騒な空気に何事かとばかりにブリジッテたちがやって来る。

 水面に落ちた水滴のように、彼らの関係はゼロスを中心にして次第に広がっていく。それはこれからも更に大きく、広く繋がっていくであろうことを予感させる。これから、は未来を多く持つ者のための言葉だ。きっと彼らは、自分たちが本当に悔いなく冥界に帰るそれ以降も、更に輪を広げていくことだろう。

 そう思うと、女性は複雑な気分になる。最愛の男性のためと未来のために手放したはずなのに、やはり欲は人の心がある以上存在するのだと思い知らされる。輝かしい無限の未来を持つ彼らに、眩しさと嫉妬を覚えずにはいられない。けれど同時に、我が子を見守るように、彼らの成長を見届けたい愛しさが込み上げてくる。

「おい、てめえの相方がいねえぞ」

 待ち合わせ場所にほぼ全員集まったことを、リーダーの任を鬱陶しがるはずのゼロスは確認していたらしい。いつの間にか彼もその役が身についてしまっているようで、微笑ましく思いながらも女性は軽く周囲を見回した。

「本当ね。ジャドウ?」

 いつもの囁くような呼びかけだが、それを聞き取ったように女性の傍らに魔法陣が浮かび上がる。その魔法陣の光が解け、男性の輪郭を描いたと思った瞬間、そこには確かに実体を持った魔族の男性の姿が在った。

「呼んだか」

 悪びれもせず当たり前のように女性を見る男性に、不機嫌そうなゼロスが舌打ちをした。

「依頼主が勝手に消えるんじゃねえよ。大体、てめえらがあの城のどいつに会うのかもこっちは知らねえんだぞ」

「当然だ。それをお前たちに教える義務はない」

「ああ?」

 態度と目つきは悪いが、その声は素直に疑問を投げかけていると男性は受け止めたらしい。ゼロスを軽く見下しながら口を開く。

「いつから貴様は他人の過去に詮索する趣味を持った?」

「んなもん今も興味ねえよ。だがな、どこのどいつに会わせりゃ依頼が成立すんのかわからねえ限り、てめえと本気の勝負もできねえだろうが」

「おおよそならば教えてやる。魔族の上層部だ」

「……上層部だぁ? んなもん、俺がどうにかできるもんじゃねえだろ」

 尤もな反応だが、男性は気にする様子もなく鼻で笑う。

「それがどうした。お前はお前の持つあらゆる力を使えばよかろう」

「……はん、コネ使えってことかよ」

 ゼロスらしい物言いで男性の言葉の意味を捉えるが、彼としてはあまり乗り気ではないらしい。銃を肩に乗せ、面白くなさそうにまだ騒がしいリーザたちに目をやった。

「借りは作らねえタチだが、他に方法なんてねえか」

「ほう、意外だな。貴様ならば馬鹿の一つ覚えのように強行突破かと思ったが」

「……ナメてんのか?」

 さあな、とつれない男性を思い切り睨んで、ゼロスはリーザとナイヅを呼ぶ。ワルアンス城に行く依頼があると知らされていた仲間たちは、ここでようやく仕事が始まるのかと呼ばれたリーザたちに注目した。

「こいつらもてめえらの知り合いに用があるんだとよ」

「あら、そうなの? じゃあ、ちょっと面倒になるかもしれないわよ」

「どういうことだ」

「城内に入るにしても、厳重な手続きが必要なところとそうじゃないところがある」

「アタシ個人が姉さまと会って、他のみんなが手続きが必要じゃないところに行く場合は手続きがいらないけど、この大人数でしょう? アタシたちの紹介があっても、ちょっと窮屈な思いをすることになるわよ」

 ゼロスは依頼主の二人に首を傾かせ、女性は男性を見る。男性は大人しいくらいの無反応だった。壁に背を預けたまま、眠っているように軽く俯いている。

「問題ないそうです」

「んならいいけどな、他にはなんかねえのかよ」

「軽い審査とか検査は受けるくらいは覚悟しといて。けど荷物や武器を取り上げられたりはしないと思うわ」

「ま、その辺りについては説得で頑張ってみるよ。どうせ、すぐ終わることだろう?」

 ゼロスか男性か、どちらかに投げかけられたその問いに、目を瞑ったままの男性が答えた。

「上手く事が運べばの話、だが」

「なら、多少のわがままも聞いてくれると思うよ」

「じゃ、行ってくるわ」

 軽やかに手を振り城の方へと向かう二人に、ブリジッテがつまらなさそうな視線を向ける。

「なによ、今回の依頼は随分簡単そうじゃない。みんなで行く必要なんてないんじゃないの」

「でしたら、ワルアンス城を見学したい方だけで行けばよいのでは?」

「それもそうだね。じゃ、お城行きたくない人手ェ挙げてー!」

 シオラの問いかけに、しかし誰も挙手する仲間はいなかった。きょとんとして、シオラがさっきまで文句をこぼしていたブリジッテたちに問いかけの視線を投げかける。

「いや、ホラ、オレらの身分で見られるもんじゃないから」

「共和国の片翼ワルアンス城ともなれば、歴史的にも一見の価値はあるかと」

「ま、まあ、見るくらいならタダだしね」

 依頼主はともかくとして、ゼロスは男性が依頼を完了させるまで見届ける気でいる。アルは保護者二人に付き添わねばならない意識を持っているらしく、アデルとリディアとアリアは言うに及ばず観光ムードだ。イサクも呑気なもので、街で待つよりは有意義でしょうからと返答し、そうなればゼレナも必死で同意する。エトヴァルトはヘルメスをこの街で遊ばせて迷子にならせるより皆と共にいるほうが安全だからと答え、カルラもそれに同意。ファイルーザも観光らしいが何か企みがあるような気がしてならない。レ・グェンはこの街の風俗規制に参っているようで、お楽しみがないからと苦々しい表情を見せ、ノエルはみんなが行くならとそれらしい答え。デューザは興味がなくてもわざわざ挙手するような性格ではない。そのため、結局リーザたちの言うとおり大所帯で行くことになった。

 暫く馬鹿正直に待っていた一行だったが、皆で行くのだからここで待つ必要はないだろうと気づくのは既に二人が去ってから充分な時間が過ぎた頃だった。それでも待っているだけよりは、と全員が城に向かって大通りをのろのろと移動していると、城の方からリーザとナイヅが小走りで戻ってくる。

「いいらしいわよ! 案内役が一人付いて、その人の視線に入る範囲でなら好きにしても大丈夫みたい」

 その待遇に、アルが嫌そうな声を挙げた。

「なんだよ、見張りいるなら好き勝手動けないじゃん」

「その辺は仕方ないさ。けど、検査も審査もいらないんだから、我慢してくれないか」

 そこにはアルも文句はないらしく、一行はリーザとナイヅを先頭にして検問に向かう。

 そうして城門の厳重さと大きさと、城門に入るまでの検問の規模を把握できるほどのところまで近付くと一行のことをリーザたちから知らさせていたのだろう、いかにも上層部の部下らしい文官が、検問より手前のところで待ち受けたように立っていた。

 三十も半ばを越えたような生粋の役人でもある人間は、多種多様な種族に一瞬驚いたようではあったが、リーザたちが事前に説明していたことを思い出したのかすぐに社交的な笑みを見せる。

「皆様がリーザ様のお連れ様の方々ですね。……確かに人数は二十一名丁度」

 検問兵に報告するように告げると、兵も了承したように頷く。

「では皆様、こちらへどうぞ」

 やや慇懃にも感じる文官の招きと、一つところで働く兵たちの好奇の目に晒されながら、彼らは人垣の隙間を縫うように文官の後をついて行く。

「なんだ、あのでっかい門閉じてるじゃん。使ってないのか?」

「そうじゃなくて、ああいうのは大切なときにしか使わないのよ。一般公開のときとか、お正月のパレードのときとかね」

 勇者の息子と言っても、今まで城に謁見したこともないアルは好奇心を抑えきれず常にきょろきょろと辺りを見回す。そうして検問の人垣を越えると、一気に視界が広がった。

「うわっ、すんげー広いじゃん!」

「あんなんであの門開くんだ!」

 アルはその橋の広さにおののき、リディアは橋下に見える開閉用の歯車に目を見張る。早速自由にはしゃぎだす彼らを見て、リーザは文官に精一杯の笑顔を浮かべた。

「ご、ごめんなさいね、ああいう元気すぎるのがいちゃって……」

「リーザ様がお気になされる必要はございませんよ」

 文官はそう微笑むが、それだけに彼女が気恥ずかしい思いをしていることもわかっているのだろう。その笑みは憐れんでいるようでもあった。

 しかし、元気の有り余るような少年少女たちばかりではない。奔放なリディアをたしなめようとしたアデルが、隣にいたはずのアリアがいないことに気付く。振り向けば、彼女は人垣のすぐそばで辺りを見回していた。

「アリア、どうしたの?」

「少し……気になったことがあって」

「気になったこと?」

 アデルに視線を向けたカーマインの瞳は、怯えるように揺れる。

「……なんだか、変な感じがするんです。大規模な何かがあるような……」

「このお城に?」

 アデルは城の方を指す。一見すれば石畳と石灰で出来ている無骨な印象のある城だが、城に防衛用の結界が張られていてもおかしくない。そして、それを力の流れに過敏なアリアが感じ取っていたとしたら――ありえる話だ。

「いえ……多分、気のせいだと思います。こんな大きなお城に来るの初めてだから、緊張しているのかもしれません」

 だがアリアは、杞憂を振り払うようにぱっと笑って見せた。アデルもつられるように笑って、頭の中の考えを放棄する。アリアが安全なものだと判断したなら、自分の推測は必要ないだろうと考えて。

「では皆様、どうぞこちらへ」

 文官の声が聞こえて、二人はそちらを見る。気がつけば、まだ検問の近くにいるのは自分たちしかいなかった。

「急ぎましょ」

「はい」

 二人が小走りで仲間たちのもとに近付いていくと、ブリジッテもアリアと同じように辺りを見回していた。

「なんか、首の後ろがむずむずしない?」

 普段以上に落ち着かない様子のブリジッテに、二人は驚く。しかし、それ以上の反応をしている仲間もいた。

「それどころじゃないですよ……。ボク、体に力が入らなくなってきました……」

 兵たちの視線を真っ向から受けて緊張の面持ちだったはずのノエルは、今は顔色が明らかに悪い。杖にもたれかかるように歩いている彼を、アルが慌てて支えてやる。

「恐らく、この城一帯に大規模な……魔封じの術がかかっているのでしょう」

「うんうん、そんな感じはするわよね」

 イサクも彼らと同じようなものを感じているようだが、流石に顔色一つ変わっていない。腕に絡まるゼレナも、ノエルやブリジッテのような変化がないが、それでも何かしら感じているらしい。

 そして彼らの反応に、文官は少し大げさに目を見張った。

「よくお分かりで。確かにこのワルアンス城の敷地内では魔封じの術を施しております。魔術師や魔族の方々は多少気分が悪くなるようですが、城内に入る頃には慣れるはずですので、皆様今暫くはご勘弁下さい」

 アデルはアリアにそっと視線を送る。きっとアリアもその影響を受けたのではないのかと問うように。そうすると、アリアも軽く納得したように頷き笑顔を見せた。その笑顔はやや強引で、そう思い込ませているような節はあったが、アデルもアリアもそのときは気にしなかった。

「しかしこのワルアンス城に初めて来られた方が、それを見抜かれるとは……」

「イサク様は天使なんだから、当たり前でしょ!」

「ゼレナさん……」

 窘めるイサクに、しかし文官は驚きの表情を見せて白い服の男を見る。

「それはそれは失礼致しました。何分、賑やかな方々が沢山いらっしゃるので、今の今まで気づかずにおりました故……」

「お気にならさず。しかし、どうしてそのような術をこの平和な時代で駆動しているのです?」

「そうですね……」

 聞かれて、文官はやや誇らしげに口元を歪める。長い城暮らしの影響か、今まで芝居めいた表情しか見せなかったこの人物にも、しかし素直に自慢に思うことはあるらしい。もったいぶった咳払いを一つすると、誰にともなく客人たちに尋ね始めた。

「魔族の、上位に座する方々ほど、魔力に敏感になりがちなのはご存知ですか?」

 それに、魔族の血を引くファイルーザが答える。

「ええ。魔族では魔力が強い者ほど、対峙した際、自分と相手との力量差が明確に分かるそうですわね。そして魔族社会では、魔力が強ければ強いほど血筋としても優れています」

「その通り。しかし、それでは以前の体制と変わりありません。魔力以外の才能を持つ魔族がいれば、その人物を評価し易くするためにも、魔術の使用や感知する能力を防ぐ。そうして魔力や血筋に関係なく、魔族が人間と同じように自分の能力だけで出世が可能になる。そうロゼ様がお考えになられ、この城に魔封じを施されたのです」

 その返答に、成る程とカルラが頷く。

「血とは先祖からの財産……、ですが時と場合によれば足枷にもなりまするな」

「はい。ですから、この術は魔族の自由のための術なのですよ。最初から防衛機能として起動させているつもりはありませんが……その辺りは保険と考えてくださった方が宜しいかと」

 何と言っても共和国の一翼ですから、と文官は笑う。確かに、防衛機能としてならば先ほどの検問を見るだけで、夜盗一党なぞでは太刀打ちできない規模であることは明らかだ。

「さてと、お喋りをしているうちに着きましたな。……どうぞ、こちらにお入り下さい」

 衛兵が敬礼し、ゆっくりと城内に通ずる門が開かれる。その奥は重厚ながら城特有の華やかさもあり、荘厳なシャンデリアや金糸で縫われた共和国の旗が見えた。

 これまで通ってきた橋や門は外から城を繋ぐためのものだが、ここからようやく本当に城内に足を踏み入れることになるのだ。それを実感すると、今度はアルが顔色を変えた。

「なんか、緊張するなあ……」

「だ、大丈夫?」

 心配そうなノエルと対照的に、リーザは意地悪そうな視線を生意気な少年に向ける。

「いつもそれくらい大人しいとありがたいんだけど」

「いらないこと言うなよ、ねーちゃん!」

 余裕がないためか剣呑なアルの肩に、ナイヅが優しく手を置く。

「大丈夫だよ、城にいる皆が皆、形式を気にする人じゃない」

 そう言われて、アルは素直になれたらしい。不安そうにナイヅを見上げ、そうだといいんだけど、とか細い声を漏らす。

 しかし、アルの緊張は門をくぐった瞬間に復活した。

 事実、彼らが足を踏み入れた場所は門と名付けられているが、ワルアンス城のエントランスでもある。一軒家が丸ごと入るであろう広々とした空間の中、遠目にしか見えていなかったはずの共和国の旗とシャンデリアは想像以上の大きさで客人たちを睥睨し、床は市松模様のタイルが姿見のように反射するほど磨きこまれていた。四方に見えるアーチの奥には女官や従者が、慎ましく往来している。更には、門であるにも関わらず二階部分があるらしく、その奥からも白いエプロンや真鍮のように輝く鎧が覗いた。

 今まで見てきたどんな館よりも豪華な玄関を見て、ブリジッテたちも感嘆の声を漏らす。大所帯のはずの一行が全員入っても、まだ走り回れるくらいの余裕はあった。

 そうして客人全員が城に入ったことを文官が確認して、衛兵に閉門の合図を送ろうと手を上げる。

「では、これから城内のほうをご案内させていただき……」

「現状使われている魔術では、人など殺しきれまい」

 急に聞こえた物騒な言葉に、文官も衛兵も、そして客人たちも目を見張る。聞こえてきたのは門の外に最も近く、一行のしんがりにいる人物だった。

 そう言った男性は、ただ文官にとって賑やかで種族豊かなだけのはずの一行の中で、異質なほどの存在感を放っていた。先ほどまでの一行の中でこんな男などいただろうかと思うほど、強い印象を持つ瞳を真っ直ぐに文官に向けている。

「あ、ああ、……先ほどのお話の続きですか? そうですね、しかし先ほども申しましたように……」

「今は禁術扱いとなったこの大陸の魔術は、今から考えれば物騒な代物だった。四源、魔粧、空間……多種多様な魔術の多くは敵の命を奪うために存在し、術の使用そのものが自然の力を奪い、使用者は未熟であれば死ぬ。それらが魔術と呼ばれていた時代に比べれば、今の『魔術』は思念魔術に近く、随分安全且つ、安定した破壊力を生む」

「お、仰る通りで……」

 文官は背中に寒気を感じた。ただ一人の魔族の男性に見られているだけのはずなのに、魔族が悪鬼のように感じた頃の気持ちなど文官の頭からとうの昔に消えたはずなのに、何故だろうか、この魔族を見ていると不安になる。否、不安ではない、これは――。

「だが」

 男性の口元が、笑みを形作る。同時に、耳鳴りに近い甲高い音が外から聞こえた。

 そちらを向いたアリアの目に、氷の毬栗が映った。何故そんなものがと思うよりも先に女性の声が響き渡る。

「皆さん、伏せて!」

 その声が聞こえた瞬間、轟音が声の余韻を掻き消す。

 轟音はどこから聞こえてきたのか。そこにいる誰もが理解した。先ほど通った橋に、巨大な氷柱が突き刺さっている。石畳を粘土のように崩して、兵士たちをそのまま封じ込めて、炯々と灯っていた松明の炎を飲み込んで。冷気は氷となり、氷は波のように橋を侵食し、津波となって押し寄せる。無論、彼らのいる方向に向かって。小波を返すことなく真っ直ぐに。

「ひっ!」

 息を呑み思わず伏せる旅人たちの眼前で、氷の津波がその高さを強調するように門から見えたはずの空を覆い隠す。まるで氷の巨人がこちらに手を伸ばしているような絶望感が門にいる誰をも襲う。

 しかし氷の津波は彼らを飲み込むことはなかった。まるでそこに透明な壁があるように、城門の内側に侵入することなく津波はその身を泡のように砕く。しかし泡は氷がその密度を高めるように消えていき、数分もしないうちに彼らが先ほどまで通った門を、針も通す隙間も作らず氷の壁にした。

 伏せていながら息が出来る現状に、一行はあの氷が自分たちに直接危害を与えぬと知り恐る恐る顔を上げる。そうして見上げた先には、男性が一人、微動だにせず立っていた。

「だが誰もが使用できる安定した魔術など、本来の『魔』に比べては児戯に等しい。そしてその児戯のための魔力を封じたところで、俺の力は縛られもせん」

 笑みを浮かべた男性の言葉とその姿は、どんな言葉より明確に、男性こそがあの氷の津波の操り主であることを示している。でなければ男性が鮮血を瞬時に凍らせたような赤い瞳など持つはずもなく、その笑みが、見た者たちの記憶にある絶望感を呼び起こすはずがない。

 しかしそんな中でたった一人、無防備に氷の使者を直視する人物がいた。白いドレスと黒いショールを身にまとう白銀の髪の女性は、愕然として不動の男性を見つめる。

「……ジャド、ウ?」

 信じられないものを見たような声でもあり、予測していながらも止められなかった自分を嘆くような声は、しかし文官の悲鳴によって掻き消される。

「誰か! あいつを捕えろ!!」

 腰が抜けた文官の姿勢と悲鳴は、彼の持っていた慇懃さを吹き飛ばしていたが、それでもその声は衛兵たちを衝撃から立ち直させるだけの効力はあった。その効力にようやく我が身を動かせることができたのはゼロスたちも同じで、しかし彼らはそこまで理性的に我が身を動かすことはできなかった。

「あいつが城門を氷漬けにした!! 謀反者だ!!」

 指す指さえも震えていたが、男性を何とか示そうとするその動きに従うように、二階から現れた衛兵たちが各々の武器を持って男性に襲いかかろうと走ってくる。

「全員、そこを動くな!」

「謀反者め! 覚悟しろ!」

 自らの恐怖を追い出そうとする厳しい言葉と視線に、真っ先にアデルが我に返った。

「待って、これは誤……」

 だが悲しいかな、謀反者と呼ばれた張本人は動くなと言われて素直に従う性格ではない。城門の手前から音さえ立てずに奥に跳び、呆気に取られた衛兵たちの背後を捉えて唇に古来の魔術を素早く紡ぐ。

「魔界粧・氷結樹」

 先ほどの氷の津波を引き起こした高音が、今度は城門内に響き渡る。その瞬間、氷山がエントランスのシャンデリアを貫いた。氷山の根元には、先ほどまで男を捕えようと武器を構えていた門番と文官が封じ込められている。

「え……!」

「は、早く逃げ……!」

 そしてそれを唖然と見つめていた、従者や女官たちに氷の津波が襲いかかってくる。しかし彼らは、門番たちより高い場所にいるはずだった。波が自然に流れるのなら冷気もそのように流れ、エントランスで屈んでいた多種多様な客人たちを飲み込むはずなのに、津波は階段や廊下で一部始終を見ていたはずの士官たちを狙っている。

 混乱が生まれ、恐怖が襲い、悲鳴が生じ、そうしてものの数分もしないうちに、城門内部は沈黙に包まれた。息をしているのは、恐らく青白い外套の男と、ゼロスたちだけだ。

 数多の命を閉じ込めた氷の荒々しい彫刻に、それを創り上げた魔族は特に関心もなく、自らの行為を鼻で笑った。

「ふん、我ながら面倒この上ない……」

 しかしどこか楽しんでいるようでもある言葉に、ゼロスが驚愕を超えて怒りにも似た感情を向ける。

「……てめえ、どういうことだ!」

「この城を乗っ取るつもりか!?」

 レ・グェンの確信めいた視線を受け流し、男は振り返る。その瞳は真っ直ぐに、一人の人間を見つめていた。華奢ながら甘美な身体に膨大な魔力を詰め込んだ、愛しい恋しい美しい女を。

「……そんなことのために……あなたはそんなことのためにこれ以上の犠牲を出すと言うのですか!」

 叫びは非難の響きを持つが、男はせせら笑いで答えてやる。心の中を覗くことを憚る女が無断でそれをするということは、あちらもかなりのご立腹らしいと実感しながら。

「これを犠牲と呼ぶのならば、やってやろう。お前の本当の望みを叶えるためであれば、お前の許す限りのことを」

「……これをわたしが許さないと思わないと?」

 今の女性の瞳には、男を咎め、男に対する怒りの炎が確かに宿っていた。しかしその炎は男の胸に息衝く氷を溶かすことなど決してない。何故なら男の心中にそびえる氷は男の昂揚そのものなのだから、たかだか小さな炎など、近づいてしまえば消し飛ばせる。

 しかし、男はその炎を消す気にもなれなかった。それは女が愛しい存在であるからだし、同時に女が怒っていることが、この上なく滑稽だからだ。

「この連中は死んでいないのだから許さないわけにはいくまい?」

「全てが終わるまで誰も死なないとでも思うのですか? いつからあなたはあなたの嫌うような考えを尊ぶようになったのかしら」

「さて。それはそこにいる奴ら次第だな」

 軽口ついでにゼロスと視線をかち合わせるが、彼は警戒の色も濃くそれを弾き返すだけだ。その反応に男は軽く目を見張る――魂を得たついでに、いつの間にやら正義感までものにしたらしい。それとも、自分の理解の範疇を超えた出来事に単純に怒っているだけか。

「全員、そこを動くな!」

 氷漬けの衛兵たちの一部が応援を呼んでいたのか。新たな衛兵たちの登場に、男は軽い落胆の吐息をついただけの反応で終わった。

「兵舎と城門を凍らせたところで、城内にはまだ兵が残るか」

「なにを――もしかして、朝に出て行ったのは!?」

「逐一説明するのは面倒だ。黙っていろ」

 不遜に言い放ち、男は女のそばに戻る。女の抗議を聞き取るより先に腕に掬い上げ、再び大きく跳躍した。

「と、飛んだ!?」

「追え! 逃がすな!」

 口々に叫ぶ増援は、流石に城門の光景を見ていないだけに威勢がいい。怯えて逃げるよりはいいかと、男性は追及の手を丁寧に相手してやる。

 一人目の剣を肩の魔界獣で絡め取り、その背後にいた二人を一人目ごとなぎ払う。剣を離した兵士は悲鳴を上げて宙に放り投げだされ、堅い床に強かに体を打ちつける。残りの一人は硬化させた魔手で槍の穂先を折ってやると、情けない声を一瞬漏らしたがそれでも突進してきた。人間ながら微笑ましい根性を見せると哂い、今度は魔手から放った冷気でじわじわとその身を氷に包みこませる。

 再び盛大な恐怖の悲鳴が上がり、周囲にいた兵士たちが思わずたじろぐ。それでも彼らの誇りであるこの城を、奇襲された怒りは消えない。消えさせるわけがない。

 エントランスで唯一無事である多種多様な怪しい連中を発見すると、兵士たちの一部は大声でそちらを指した。

「あそこに仲間がいるぞ! 捕えろ!」

「違うわ、アタシたちは……!」

 慌ててリーザが言い返そうとするが、そんな言い訳が兵士たちの耳に届くはずがない。二階から現れた新たな衛兵たちが、魔族の男性ではなくそちらに向かっていく。

 そうとなれば、ゼロスたちも武器を構えずにはいられない。無防備にして信頼を得られるなど、理屈の通じぬ相手と戦ったことがない連中のすることであり、今の兵士たちはどう見ても理屈が通じない。屈辱的で派手な急襲をした謀反者を、捕えようと躍起になっている。

「この中に知り合いいないのか?」

「いたとしてもこの場は説得できないよ」

 集まってくる兵士たちに、苦い顔で間合いを計るナイヅたちの短いやり取りを聞くと、男は愉悦を含んだような声を朗々と響かせた。

「それと、貴様らに正式な依頼だ」

「何だと!?」

「この城を、出来得る限りの混乱に陥れろ。一人の死者も出さずにな」

 吐き捨てるようにゼロスが叫ぶ。

「てめえは殺してるじゃねえか!」

「氷漬けにされた連中は死んでいないと、先も言ったはずだ。多少は頑丈だが、氷を破壊しようとは思うな。そうすれば連中は死ぬ」

 人質ということですか、とエトヴァルトが唇を噛む。隣にいたヘルメスは、氷を削ってはいけないらしいことに煩わしげに眉を潜めた。行動範囲が限られてしまうからだ。

「彼らの氷はどうすれば解ける!」

「目的を果たせば解く。それまで捕まらんように暴れ続けろ。そうすれば俺たちの目的にも容易に辿り着けるはずだ」

 魔界獣の当身を喰らい、また一人男の足元に兵士が転がった。反比例するかのように、次第にゼロスたちの周囲には、目をぎらつかせた兵士たちが集まっていく。

「てめえ……最初からそれが目的か」

 底冷えするようなゼロスの怒りと声に、だが男は余裕を持ったままだった。

「断るのならば好きにしろ。その場で降参し、自分たちは無関係だと檻の中でいつとも知れず喚き続ければいい。尤も、檻を管理する兵すら凍れば意味がないが」

「用件を済ませたら解かすんじゃなかったか?」

 じりじりと追い詰められていることを感じつつ、それでも軽口を叩いてしまう自分を恨むようなレ・グェンの発言に、男は鼻で笑う。

「協力もしない協力者を、俺が助けてやるとでも?」

 ――成る程、それはない。

 兵士たちと向き合う全員が一瞬でそう思ったが、同時に思い知らされる。依頼を受けるしか、生き延びる手立てはないと。

「……気に喰わねえな。おい、テメエ!」

「何だ」

 時折兵士や従者の悲鳴を響かせながら、男の声が確実に遠のいていく。そうなれば、きっと今自分たちを威嚇している兵士たちが襲ってくるだろうと理解しながら、ゼロスは声を張り上げた。兵士たちにも布告するように。

「この依頼、受けてやる。ただし高くつくぜ。なんせオレは、今猛烈に気分が悪ィからな」

「楽しみにしておく」

 聞こえた風切り音と同時に、濃厚な魔力が消えて、城門にいた全員の体が軽くなった気がした。それは、あの混沌を引き起こした魔族の男がここから消えたことを意味する。

 そうなれば、兵士たちを抑えるものは何もない。今までは仲間らしい一行に襲いかかれば自分たちも同胞たちと同じ結果になるという恐れがあったが、あの魔族は彼らを見捨てたのだ。見捨てたと言っても謀反者の仲間である以上、同情をかける気にも、見逃す気にもなれなかった。

 何より兵士たちは耳にしたのだ。自分たちをも敵に回すと、黒髪の不遜な男が告げたことを。

 沸々と怒りが湧き上がる。誇り愛するワルアンス城を襲った謀反者と、その謀反者に正々堂々と立ち向かえない自分とに対する憤怒が、兵士たちの形相を、思考を、荒々しいものに変えていく。

「謀反者どもを殺せ!」

「奴は取り逃がしたが、お前たちだけは逃がさんぞ!」

「共和国を乱す者に死を!」

「平和に乱す者に死を!」

 口々に漏らされる恨みに、しかしゼロスは銃口を彼らに向けて不敵に笑う。怒っているのはお前たちだけじゃないと言いたげに。けれどまるで、先の魔族の男のように。

「一気にかかってこいよ。丁度こっちも暴れてえ気分なんでな!」

 その言葉を皮切りに、抑えられていた兵士たちの足が一気に動いた。その目に理性は宿っておらず、その目は衛兵たちにとっての絶対悪に向けられていた。

 

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