嵐と宝物

 

 

 王都を出て北西に向かった彼らは、ほんの一時間半ほどで目的の村を視界に収めることが出来た。何せシーフタワーの付近の麓の村だと言う。そのシーフタワーは乾いた土の色に映えるトルコ・ブルーの空に黒い歪な線を描き、徐々に風景に人の気配を感じなくなると、すぐにでもよく分かった。しかし、それ以上にも分かったものがあったのだ。

 ――確実な魔力。白い鳩の群れの中に、鷲がいるような違和感を持つほどの威圧感。

 二人は馬を走らせていた時、シーフタワーが視界に映ると同時に感じた自分たち以外の魔力に、周囲を警戒した。周りに誰か、魔族なり魔物なりが隠れていると思ったのだ。しかし、近くにはそのような力を持つような生き物の気配は感じられない。人間と同じ、殺しても肉片になるしかないような無害な生き物しかいなかった。

 彼らはそれに気づいたとき、自分の身体じゅうの筋肉が一瞬にして畏縮するのが分かった。ネウガードにすら、そんな分別出来るほどのはっきりとした魔力を放つ魔族など、魔王とその直属の側近ぐらいしかいない。なのに、ある意味ではそれ以上の魔力を発している『化け物』が、あの小さな村にいるのだ。老婆が言っていた魔族の貴族ですら、そんな力は持たない。

 その魔族は何者なのか。興味があると同時に、転売を行っていた卸売りの男が何かを感じ取っていてもおかしくはないと思った。自分たちなら、恐らくこの魔力の持ち主と直に対面すれば、竦み上がるほど力強いものを感じ取るだろう。いくら愚鈍な人間でも、気づかないはずがない。むしろ、気づかないことは生きていないことではないかとすら思ってしまう。それを魔力以外の別の何かと感じ取る可能性が高いだけだ。

 彼らは村に近付けば近付くほど、自分がこの力の持ち主に恐れていることをひしひしと感じた。一からやり直したって追いつかない。生まれ変わっても、自分はこんな力を持つことはない。――そう思わされる。そしてそんな圧倒的なものを持っている生き物に、彼ら魔族は人間よりも弱いのだ。

 人間との相違点はここにも現れる。魔族は大抵、自分より圧倒的に強いものには本能的に服従してしまう。野生の獣のそれと同じことだ。たとえ軍内での階級で格差があっても、結局部下の一人一人が自分の上司が自分より強いことに納得しなければ忠誠は形だけのものとなる。しかし、それが魔族の場合、上司が自分よりただ強いだけではなく追いつけない存在だと知ると、彼らはその上司に絶対の忠誠を誓う。宗教観や美徳というものを持たない魔族は、単純な力比べによって頭を垂れる相手を決める。

 その根本的な上下関係の決定は、勿論彼ら二人にも根付いている。だからこそ魔王を賛美し、自分より弱い人間を嫌悪し卑下するが、この根本的な服従心や畏怖が、今は邪魔だった。まだ顔も見ていない、まだ本当に魔族とも人間ともつかないものに、彼らは怯える自分を情けないと思っているからである。

 やはり何かを感じているらしい馬を無理に進め、村に入ると、アシュレイはまるで自分が魔力の障壁に埋まっていくような感覚すら覚えた。それまでに感じた第六感からの警戒を敢えて無視してこの村に近付いてきたが、それすらこの障壁によるものなのだろうと納得してしまう。

 しかし魔力を感じない人間たちは、平気で動き回っていた。昼下がりの少しきつい日差しの中、やって来た旅人らしい二人を物珍しそうに見てくる人間たちに、彼らは羨望すら覚えた。

 自分たちが、むらがあるが膨大な魔の圧力を受けているにもかかわらず、人間たちは何食わぬ顔でこちらを見ているのだ。これから更に純粋な圧力は大きく、激しいものになっていくであろうその先にまで行かなければならないのに、人間たちは恐らくそこに行くことに苦にも思っていないのだろう。そこまで鈍い感覚が、この時ばかりは羨ましかった。

 とにかく彼らは自分の精神はともかく体調が少しずつ悪くなってきていることを分かっていながらも、足を進めた。早く行ってその魔力放出機を止めさせるなり何なりの手を打たないと、本当に自分の体に支障が出てしまう。

 『エミリアと言う娘は何処にいる』――そんなことを訊くほど、彼らは愚鈍ではなかった。むしろ、感覚が狂うほど敏感でもなかった。

 本来ならば、村に着いたときに訊かなければならないのだろうが、そんなことを訊く余裕などなかった。自分たちが魔力の発信源に向かっていくに従って、ひしひしと感じられるその力の膨大さに、無意識に恐れていたからであろう。

 アシュレイは自分の全身に暑さだけではない汗を感じながら、手の甲で首の汗を拭う。汗はべったりと彼の全身を覆っていたが、冷たく、同時に彼の体も炎天下を走ってきたはずだと言うのに、冷たく硬かった。

 隣をちらと見るが、長身で逞しい体つきの男が、今にも胃の中のものを全て吐いてしまいそうに顔色が悪い。彼らはまるでじわじわと巨大な魔力に侵食されている気持ちになりながら、ようやく中心核となるような家に到着した。

 村と言う割りにそれなりにしっかりした漆喰の建物が並んでいた中、村のはずれにあるその木造の家は、ほとんど村の中に入ってないような――森の一部を切り取ったような場所にあった。

 その家に到着した瞬間、彼らは奇妙な感覚に陥った。先ほどまで、まるで息をするにも苦しくなるような圧力があったはずなのに、急にその家の敷地内に着いた途端、あの圧力がなくなっているのである。

 こんな奇妙な感覚の連続となる理由らしいものがあるとすれば、心当たりは一つしかない。

「・・・・・結界か。味な真似しやがる」

 少ししていつもの顔色に戻りつつある相方の男が舌打ちをすれば、彼は今までの状況とその小さな家の敷地を見比べて少し頷く。

「・・・・成る程。住人からは嫌われているらしいな」

「あん?」

 急にそんなことを言ったアシュレイを見る男に、彼は軽く肩をすくめた。

「この家が村外れにあることと、周辺に張られた結界から考えればそうなる。…人間どもからも嫌われてる以上、ここの化け物も人間どもに近付かれたくないんだろう」

「そういうことか…人間どもに利いてるかどうかは知らねえが、俺らはえらい目に遭った」

 この上なく苦々しい表情でそう呟く男に、アシュレイは深く頷く。

「ま…、発散してない今が機会だ。力任せにあんな馬鹿でかい結界張れる奴なら、俺らをケシズミにするなんて簡単だろうな」

「・・・・・確かに、それだけの力はある」

 それ以上にこの村の人間たちを全てを消す力はあるだろうに、敢えてそれをせず、遠慮がちに結界を張るのみに終わっている。案外慈悲深い性格らしいが、殺すことすら億劫なだけだとも受けとれる。そんな高慢さとも受け止められるほどの魔力を、結界の主は持っているのだ。

 今、小さな家に感じられる力は、結界ほどの圧力は持たない。しかし、確かに気配として魔性のものがあるのは分かる。恐らく、抑えているか霧散させているのだろう。台風の目と同じだ。懐に潜り込めば、案外威力は感じられない。

 いつでも飛びかかれるように――剣で脅したところで、相手は魔力だけで自分たちを捕えられる力を持つのだ。そんなものは必要ない――背後の男が構えると、アシュレイは慎重にドアをノックした。

「はぁい」

 少しして、幼い声が木製のドアの向こうから聞こえてきた。他の家と比べても質素である点からして、室内も最低限の家具しかなく、その分声も通りやすいのだろう。

 午前と午後で、訪ねた人間の家の違いがここまで正反対になるのも珍しい。そう思いながら、密やかな緊張を帯びつつドアが開くのを待つ。それからゆっくりと薄いドアが開いた先に見えたのは、小さな小さな頭だった。

 その頭の持ち主は、ごく淡い金髪に、自分たちの手で軽く掴めるほどの少ない量の髪、そしてこの熱帯地に相応しくないほど真っ白な肌をした、折れてしまいそうにか細い体の少女だった。

 緊張していた二人が一瞬とは言え拍子抜けしたのは言うまでもない。扉が開いた瞬間から室内に篭る魔力の流れは確実なものになっていたが、それにしてもこの少女の存在は意外だった。人間の気配など全く分からなかったし、同時にこの少女が魔力の主だとは思えないほど貧弱な気配の持ち主だったからだ。

 同時にその少女も見知らぬ大人二人が急に訪ねてきたことに驚いたのだろう。村で生まれ育ったらしく、口をぽかんと情けなく開けていた少女だが、すぐさま眉をしかめて、警戒心を露わに二人を見た。

「・・・・・・どちらさまですか?」

 反応は愚鈍に等しいが慎重な言葉に、魔族二人は互いに目を配らせる。タイミングのずれが生じたこともあって、あまり派手な立ち回りは出来ないと瞬時に判断すると、アシュレイは相方を後ろに下がらせるように目をやって、少女の前に一歩進み出た。

「エミリアという娘はいるかな」

 なるべく穏やかに尋ねたつもりだったが、それを聞いてますます少女は眉を潜め、息を呑む。後ろの彼の相方も、彼らしくない妙な率直な言葉に顔をしかめる。険しい顔のまま、アシュレイを真っ直ぐに仰ぎ見てきた。

「・・・・・エミリアは、わたしです。あの、どちらさまですか?」

「もう一人いると思うがどこにいるか分かるか?」

 少女の問いには答えもせずに、あくまで穏やかな表情のままアシュレイがもう一度訊ねる。体を更に固くする少女に、アシュレイは少しずつだが焦っていくのを感じていた。午前中に訊ねた商人の男の家ではそんなことはなかったはずなのに、何故だろうか彼は確実に余裕がなくなっていた。

 少女が真っ直ぐに彼を見るからか、それともあの魔力の源が間近にいることに対し余裕をなくしているからか。――何せ相手は魔力の塊。純粋な魔力のみで造った結界を村じゅうに張り巡られることが出来る存在。そんなものが近くにいれば、確かに焦るかもしれない。しかし、そんなに簡単に気持ちを乱してしまうのは、全くの素人であるはずだ。彼は魔王直々の命を受け、元五魔将の一人の下で動くほどの訓練を受けたエリートのはずなのだ。

 なのに、どうしてたった一人の小娘の言葉に対し、穏便に答えられないほど余裕をなくしているのか。相手の緊張を解かなければ、交渉は有利に運ばない。そんなことは、基礎中の基礎のはずなのに。

 密やかな緊張が、向かい合った魔族と人間、大人と子どもの二人の間に流れる。

「――どうかしたの?」

 少女の後ろ、家の奥から、伸びやかな若い娘の声が聞こえてきた。少女は不意にかかった声に思わず後ろを振り向き、男は息を呑んだ。

 二人の視線の先には、当然その声が若い娘のものであるように、そこには若い娘がいた。腰まで伸びた豊かな金髪は薄い桃色掛かっており、顔の横からは尖った耳が覗く。魔族特有の白い肌に、やはり魔族を代表する華やかな赤い目を持っていた。村娘によくあるような格好をしているものの、立ち振る舞いや顔つきは平凡とは言い難く、洗練されており妙な凛々しさがある。

 そして何より、彼女を包むのは人間の村娘が持っているはずがないもの。高位魔族ですらそれを自然と発散出来るかどうかも分からないほど純粋なもの。それをただ自然に、まるで本人はそれに気が付いていないように、若い娘は自分の魔力を垂れ流し続けている。

 ――間違いない。あの娘だ。

 戦慄と同時に、アシュレイはそう強く思う。後ろを見なくても、相方の魔族も緊張し、若い娘に確信を持っているのが分かる。

 一気に顔を強張らせた男たちに、少女はますます不安そうな顔をして若い娘を見た。

「・・・・・あ、あのね、お姉さん、探してるらしいの」

「なんで?」

「・・・・・分からない」

 不安そうな少女の肩を軽く包んでやると、若い娘はアシュレイたちを見る。その表情は訝しげで、少しの敵意すら垣間見えた。その顔を見て、更にアシュレイは困惑した。

 ――どこかで見たことのあるような顔だった。そう、彼にしては珍しく気分が高揚していて、その顔を見たときに緊張していたことは覚えている。否、この若い娘の顔自体を見たことがあるのではない。それに、よく似た顔だ。そして、よく似た魔力だ。――そう、とても誰かとよく似た、存在だった。だからこそ、彼は無意識に緊張しているのかもしれない。

 その誰かが誰なのか分からないまま、アシュレイは一歩前に進み出る。

「・・・・失礼する。私はアシュレイ・ロフと言う者だが、貴女が結界を張った張本人か?」

 それを聞いて、若い娘は一瞬眉をしかめ、アシュレイの後ろにいる魔族の男も表情が訝しげなものに変わる。確かに結界を張り巡らせることのできる魔力は大したものだが、自分達が捜し求めているのは魔力が宿ったタオルを作った者だ。そちらの話をすればいいと思ったにも関わらず、アシュレイは無表情で若い娘を見る。製作者のもとに何らかの理由で訪れる消費者と言う図は、珍しいことは珍しいが理に適っているはずだからだ。

「結界・・・・・・?」

 真っ直ぐにアシュレイの鋭い視線を浴びた娘は、少し戸惑ったようにアシュレイを見返す。その態度は若い娘にしては堂々としていて、アシュレイの視線の強さに耐えられないのではなく、急にそんなことを言い出した彼を怪しんでいるように見えた。

「なに、それ。そんなもの、作った覚えなんてないけど」

 娘の態度は強固そのものだ。しかし、最初から警戒されている以上、ここで安心させるような真似をしたところで無駄骨になるだろうと感じていたアシュレイは、徐々に切り替えが利いてきた頭で考えた。

「しかし、思ったことはあるだろう。この家に近付いてきてほしくない、もしくは来訪してほしくないものがいると」

 それを言われて、娘の顔が一瞬歪む。

 図星であったことは明らかだが、さすがに傍若無人な性格はしていないらしい。穏やかな視線で不安そうな少女を見ると、優しく声をかけた。

「悪いけど、代わりに続き、やってくれない?この人たち帰したらすぐにやるから」

「うん・・・・・分かった」

 急なことに少女は少し驚いたようだが、娘の「帰したら」に若干希望を持ったらしい。大人しく頷いて、まるで知らない大人二人の視線から逃げるように奥に引っ込んだ。

「・・・・・で」

 それを見届けると、娘が再びアシュレイたちの方へ向かい合う。その目は少女に向けられたものとは正反対に厳しく、射抜くような目つきだった。そしてその視線を受けると、やはり彼は奇妙な即視感に囚われる。その、本人の意識下にあるものの、本人の思っている以上に鋭い視線を受けた覚えがある。しかし、やはり明確に思い出すことが出来ない。

「そう思った経験はあるけど、それがどうかしたの?」

「それが結界の制作に繋がっている。貴女が無意識にあれを張ったのだろう」

「・・・・・は?」

 顔色一つ変えずにそんなことを未だに平然と言う彼を、理解出来ない、と言わんばかりの表情で娘は見る。それを見て、今までアシュレイの後ろで黙っていた男が痺れを切らしたらしく、苛立ったような声が背後から聞こえてきた。

「おい。とっとと浚っちまえばいいだろ」

 アシュレイはその声に軽く首を横に振る。娘に即視感を覚えていると同時に、この態度が妙に気になるのだ。あの少女は自分たちを見て驚き、怖がっていたにも関わらず、彼女は平然としていることに対して――それが人間の、魔族を見る反応だということでは納得できない。何せ、この娘は同種族だ。魔族が魔族を怖がることは確かにないだろうが、何か、違和感があるのだ。日常に対する非日常の闖入に対しての反応か。否、それだけではない何かが彼女には欠けている。

 まだ非難するような後ろの声を小さな身振りで遮ると同時に、彼は再び娘を見た。相変わらず、娘は彼が何を言っていたのかどうかも完全に理解できていない様子だった。

「あの・・・・・まず、結界ってなに」

「魔力で出来た障壁。忌み物を追い払う壁。自分の邪魔をする有形無形を入れないための区切り。…貴女が故意に邪魔者に近付いてほしくないと思ったことがあるならば、可能性は高い。貴女は無意識に結界を作った。尤も、かなり大雑把な作りのせいか、魔物にしか効果がないようだが」

 淡々と答えてやるアシュレイは、彼の口が動くにつれてみるみる歪んでいく娘の顔を見ていた。

「・・・・・なに、いるの?本気で、そんなの…」

 娘への違和感がますます大きくなっていく中、彼はその魔力の保有量に対して逆に愚鈍と言ってもいい言葉に笑った。

「可笑しな事を。そのような気配を感じたことはないと?確かに貴女ほどの魔力の持ち主ならば、雑魚どもなど感じることすら難しいのかもしれないが、シーフタワーの付近にいて、魔物を見たことがなかったと?」

「・・・・・・ないけど。大体、魔力とか、そんなの・・・・」

 苦笑しながら軽く首を振る娘に、大真面目にアシュレイは娘の言葉を遮る。

「持っていないと?それとも感じないと?当然だ。貴女より強い魔力を持つ者はこの地域では、否、この国のどこを探してもいない。集中せねば感じないだろう」

「・・・・・集中って」

 徐々にしどろもどろになっていく娘に対し、違和感は次第に大きくなっていく。感じたことがないからではない。まるで、自分の言っていることを信じられないかのような戸惑いが見えるのだ。自分が嘘を付いていることなど、確かにこの状況では可能性があるのかもしれない。いきなりやって来た得体の知れない男が二人、目的も明確にせずにやって来るのだ。動揺させるつもりなのだと取っても仕方がない。

 しかし、当然ながらアシュレイの言葉に嘘はなかった。魔族が魔力を信じられないなどとは、人間が自分の存在を信じられないことと同じ。そこまで彼は猜疑心が強いつもりもなければ、娘にそれを強要するつもりもなかった。

 大体、自分の魔力を自覚しない魔族がどこにいるだろうか。確かに魔族に囲まれているからこその自覚かもしれないが、それにしても彼女がここまで頑なに魔力に関するものに対して拒絶的なのは気にかかった。彼女の魔力の保有量が膨大だからこそ、本来自然に意識するべきものだからだ。

「・・・・・・・・おい」

 痺れを切らしたような声が、先ほどよりも強くなってアシュレイの後ろからかかる。それに、彼は軽く諌めるような身振りをする。しかし、相方の魔族は違和感などどうでもいいらしい。苛立った声が先ほどよりも激しい調子で聞こえてきた。

「んなことは捕獲してから話しゃいいだろ。俺らはこの小娘掻っ攫えばそれだけで遊んで暮らせるんだ。とっとと隙ついちまえ」

「・・・・・・しかし」

 彼の首筋が妙に疼くのだ。この娘は何かが違うと。自分の知っているどんな魔族とも違うと。勿論、魔力の面でも、それ以上に魔力の実感が欠けているという点と、そして何か、他にも欠けているものがある。

 それは恐らく根強いもの。根強いが故にすぐには分からないもの。だからこそ、妙に気になるもの。

「しかしじゃねえ。俺らがするのはこの小娘の粗探しか?違うって分かってんならとっととしろ」

「・・・・そうだが」

 そう。分かっている。自分の任務は今自分が行っていることとは全く関係ないことであることぐらいは。しかし、やはりこのままにしておくべきではない彼女の観念が気になるのだ。彼らしくないとは分かっていても、魔族の存在すら分かっていないような、認めさえしないような彼女の考えが、どうしても――。

「ったくこれだからいいとこ生まれの奴ぁ…!」

 急な大声に娘が驚くと同時に動いた魔族の動きに、アシュレイは一瞬迷った。魔族の男は若い娘の前に身を乗り出すとほぼ同時に、その娘の無防備な腹部に拳を当てに動いたのだ。それを反射的に止めようとする自分と、それこそが正しいと言い聞かせる自分がいることに、彼は戸惑い、何故自分がそんな矛盾を持っているのか不思議だった。

 しかし、結局彼が不思議に思っているうちに、娘の鳩尾には鍛えられた男の拳が当てられた。小さな悲鳴と同時にくたりと力を失った娘の体をやや乱暴に持ち上げると、その魔族はちらとアシュレイを見る。

「おら。とっとと行くぞ。ガキの始末は面倒だ」

「・・・・・分かった」

 軽く頷くと、彼はすぐに扉を閉める。気を失った娘を大きな麻袋に入れている男の後姿を見ながら、小さな後悔をこれでよかったのだと言う考えで誤魔化そうとする。

 事実、彼がそのままこの娘を問い詰めていっても、それは彼の自己満足以外には繋がらない。自分たちがこの小さな家に長居すればするほど、誰か他の人間が尋ねてくる可能性も高くなり、この村で充分すぎるほど目立っていた自分たちが、更に目立つ可能性が高くなってしまう。それは辺境の村とは言えど、上の意図の見えない隠密行動であろうと、あまり良い行動とは思えない。なのに私情に先走ってのうのうと娘の違和感を探ろうとしてしまった自分を恥じると、アシュレイは馬に跨った。

「すまない」

 急に謝った彼に、相方の魔族は少し目を見張ったが、横柄に頷いた。その魔族の馬の方が彼のものより一回りは大きいため、娘を入れた袋も固定する。とは言っても、当身だけしただけなので、乱暴に動かすと恐らくすぐに目を覚ますかもしれないが。

「んなら、一端戻るか?」

「いや。王都に戻ったとしても、目を覚ました娘が起きて逃げるかもしれない。無駄に目撃者も増えるのはよくない」

「無理にでも馬で帰った方がマシか…」

「ジグロードで宿を見つけて、そこから本城へ連絡する。低級でも明日には届くだろう」

 低級、と言うのは使い魔のことである。人間は早馬を使うしかないが、魔族は既に調教した――命を握るとも言う――魔物がいれば、それを使役できる。勿論身体能力が上であればあるほど上級となるが、彼らは上級の魔物を調教するほど時間をかけるつもりはない。足が速いだけの能力を持った魔物がいれば、それで充分だ。

「それまでこの娘と一緒にいろってことかよ?…なかなかキツいこと言いやがる」

 憎々しげに呟く男に、彼は軽く頷く。しかし、冷静になった彼にはそれなりの考えがあった。

「今は衰退していようが、ジグロードはそれなりの魔法都市のはずだ。眠り薬ぐらいなら手に入る」

「だといいがね…」

 勢いづけて馬に跨った魔族が皮肉な表情を浮かべたのは、つい先日味わったヘルハンプールの魔法街のことを指しているのだろう。確かに、魔力に疎い人間がこぞって贋物に騙されていた詐欺街、と言ってもいいほどの代物だったので、眠り薬一つですら簡単に入手出来そうになかった。しかし、ヘルハンプールの土地柄を考えれば仕方がないことだ。

「人間流だが魔法がそれなりに発達している。何の自己文化もないここよりは物がいいはずだ」

「へいへい」

 手綱を握ると、ほぼ同時に二人の馬が低く嘶き、走り出す。

 林を抜けて村に通るときには、もう既に結界は掻き消えていた。結界の主が気を失ったからだろうが、それがやはり彼らが浚った娘のことなのだろうと実感すると、背中に冷たい汗が一筋流れた。

 

 少し鼻につくアクアマリンの香油が入った炉が微かに揺れる。

 青い水晶の灯篭から漏れる光は意外にも明るく、黒水晶の台が輝きを反射するように淡く輝きを放つ。

 四方の壁にたっぷりと掛けられた紺の天鵞絨はまるで星の出ている夜空のように青い闇を持ち、窓やドア、そしてそれらから漏れる光さえも覆い隠しているため、更にこの部屋が密室であるかのような錯覚を覚える。冷たい黒大理石の床は、天上に吊るされたロギオン方面の装飾が施されたランプを映していた。

 そんな、薄青い人工的な闇の演出が為された室内に、少女はいた。

 柔らかな茶色い髪を額の両脇にくくりつけ、少し量の多い二つの房は濃い紫のリボンで飾られている。彼女の肌も人間では考えられないであろう仄かな紫色をしているが、別に彼女は病気になったわけでも呪いを浴びたわけでもない。成長していくうちに自然と肌の色がそうなっただけの――魔族だからだ。その紅色と言ってもいいほど赤味の強い瞳は真剣に黒水晶の台に乗った何枚かの札を見つめ、薄紫色の手は慎重に札の複雑なアラベスク模様の絵柄を手に取る。そしてそっとその裏をめくろうとした時に、闖入者が現れた。

「リリエラーいるー?」 

 能天気とも言っていいほどの声に呼ばれた彼女は、うんざりしたような表情で顔を上げた。そして、いかにもやる気のなさそうな仕草でひらひらと手を振る。

「いないいない。占い中なんだからとっとと出てってよ」

「なんだ。いるんだ」

「人の話聞きなさいっての!」

 紺色の天鵞絨のカーテンからひょっこりと顔を出したのは、彼女と比べてまさしく花のような、と言うべき可愛らしさを持った、太陽の光を溶かしたような金髪の美少女だった。男が思わず身を呈して守りたくなるような華奢な体つきに、薄桃色のばらをそのまま映したような頬、魔族には珍しい蒼穹の瞳を持ち、その目は彼女の心を表すかのように輝いている。

 部屋の中が薄暗く、昼間だと言うのに青白い光で満ちているためか、この美少女の見事な金髪は夜空に浮かぶ月のようによく映えた。しかし、占いの邪魔をされた少女はそんな美しさとやらに気を和ませるほど優しい性格ではない。逆に細い眉を皺だらけにするほどしかめて、突然の闖入者を睨んだ。

「何の用?これで馬鹿馬鹿しい理由なら呪いかけるわよ」

「いやだ。呪いかけるんならエルたちにしてよ。わたしはただ、アレクにお茶菓子多くなったから呼んで来てって言われただけだもん。あとエルにも」

 ぷくっと頬を膨らませる金髪の少女に、彼女は呆れたようなため息を吐く。そして向けられた視線は、呆れ以外にも軽い軽蔑を含んでいた。

「またお茶?暇人ねえ。あんたたち、それしかやることないの?」

「リリエラは占いしかやることないじゃない」

「五月蝿いわね。だまんなさい」

 のんびりとした口調で図星を突かれた彼女は、舌打ちをしながらめくるはずだった札から手を離す。そうして、別にまとめていた札の束を捌きだした。

「大体、本城に仕えるのはいいけど何の指示もないんじゃ腕が鈍るだけよ。こまめに鍛えないと、いざと言うときに動けなくなるのは困るもの」

 すましたような顔で言い訳をする彼女に、棚に飾られた不思議な形のガラスの置物を見ながら、少女は更に追い討ちをかける。

「占いで生計立てるわけでもないのに?それに、リリエラって剣士だし」

「五月蝿いって言ってるのがわかんないの?あんたの耳は!」

 ついにその挑発と言うにはあまりにも純朴な挑発に、とうとう彼女は堪忍袋の緒が切れたらしい。手に持っていた大切に扱うはずの札を一枚、少女の眉間に刺すように投げつけた。

「だーって…」

 しかし、少女に投げられたカードの一枚は空気抵抗の影響で、緩い弧を描きながら空中を舞う。最後はあっけなく冷たい黒大理石の床に音も立てずに落ちた。それを律儀にも拾ってやりながら、金髪の少女は口を尖らせる。

「お城で働くことになったのはいいけど、結局暇なんだもん。リリエラだって普通にそうなんでしょー?」

「あんた、そこまで人の話聞いてなくてよく今まで普通に生きていられたわね…」

 如何にも苦々しい表情で呟く彼女に、にっこりと金髪の少女は、輝くようなという形容がぴったり合った笑顔を見せた。

「だって、わたし可愛いからみんな許してくれるんだもん」

「・・・・・・・・くそ娘!」

 苦々しく放たれた言葉に、少し意外そうな顔をしていた少女が彼女を軽く睨む。

「やだぁリリエラ。汚い言葉使っちゃお嫁さんに行く年が二つ離れちゃうよ?」

「そんな言い伝え知るかっての!五月蝿いからとっととそのカードよこしなさい!」

 はーい、という気軽な声と同時に、ふと少女はある疑問が浮かんだらしい。爽やかな五月の青空のような目が、大きく不思議そうに見開かれた。

「そういえば、なに占ってたの?」

 やっとかけられた普通の疑問の声に、彼女は札を受け取りながらため息と同時に答えた。

「ここのところ、全く動きがないからね。軍全体の行末を占ってたのよ」

「へー。それで、どういう結果?」

 気軽な声で訊ねる少女に、彼女は受け取った札と、札の束とは別に分けられた札を裏返す。

 紺色のアラベスク模様から現れた絵は、黒い稲光に激しい雨が降る様子のものと、赤ん坊を抱いた母親らしき娘のもの。

 二つを軽く見比べると、彼女は軽く眉間に皺を寄せて口を開いた。

「・・・・・嵐と宝物が一気に来るらしい、わよ」

 

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