Durst Polka

準備中/前編

 カシナンティー平原――別名東の食料庫と呼ばれる大陸でも有数の穀倉地帯であり、その地を有するボローニャ、ケイハーム王国の血肉そのものと言っても過言ではない。
 首都ドンドビと比較してもその重要性は明らかで、大戦の際、多くの侵略国はドンドビを始めとする都市部や港を占拠するのみで、黄金が実る麦畑を血で汚さぬよう気を配ったと言われるほどだ。
 しかしこの国の国力は決して豊かとは言えなかった。畑さえ耕していればある程度の食い扶持が稼げるこの国の人々は多くが保守的であり、国を変えようと諸外国から技術を学んだり、国を守ろうと武器を手に鍛錬を重ねる者は極めて少ない。そうなれば自然、画期的だの効率的だのと呼ばれる技術は遠ざかっていくし、より良く快適な生活を送ることも困難となる。
 だが、彼らはそうだと知ってもさほど落胆したりはしない。最新鋭の技術と知識に浸った商人や学者とやらの見下しを受けても、へらりと笑ってそれを躱す。そして彼らはこう言うのだ。
「しなしなあ、お前さんらの国じゃあよう、みんながにっこにこしながら、食って飲んで騒げる祭り、ないんだろう? そんなんじゃあ、生きててちっとも楽しくねえ」
 そんな反論を聞かされた商人なり学者なりは、多くの場合、所詮知性の低い農民の戯言と嘲笑う。しかし彼らは知らないのだ。その祭りがどれだけボローニャに住む人々の生き甲斐となっているのかを。


 カシナンティー平原内に於いても、まさしくカシナンティーそのものの名を冠する町がある。町と言っても複数の塊村を強引に一括りにしたようなもので、都会めいた光景が広がっている訳ではない。
 しかし町の人々は町の名称を誇りとしているようで、塊村の丁度中央に位置する大規模な広場に降り立った旅の面々を一様に同じ言葉で迎えていた。
「ようこそ、『東の食料庫』へ!」
 カシナンティー平原とは即ちボローニャの領土そのものであるほどに広大なのだが、町は当然その一部分でしかない。それでもこの町を平原の別名で名乗るのは、言わばこの町の人々の驕りだろう。だが悪意が全く感じないと、その驕りに眉を顰めるのも何やら後ろめたい。生真面目な気質の者ならばそう思っても仕方ないほどに、彼らの表情は明るかった。まあ、明るいのは理由があるのだが。
「……んで、町長とやらはどこにいんだよ」
 まさしく広い広場を歩き回り、見知らぬ農耕民たちに頻繁に声をかけられ、そろそろげんなりしてきたゼロスの言葉に、こちらは人付き合いに慣れているイサクが相変わらずの微笑を浮かべて広場に隣接している建物を見る。
「あちらだそうですよ。少なくとも、外出中でなければの話ですが」
「いねえなら居座るまでだ」
 柄の悪さが滲み出る発言に、二人から二三歩後ろで歩いていたリーザがそっと吐息をつく。
「ここまでの移動で疲れてるのはわかるけど、そんなことしたら交渉のときに足元見られるんじゃないの?」
「はん。だったらそれなりの仕事しかしねえよ。それが商売ってもんだろ」
「それは強請、だと思うけど」
 しかしその表現でもこの男なら違和感がないのが困る。リーザはつくづくそう思いながら、無言で二人の後を付いて行く。
 目指していた建物は近付いて見るとなかなかに立派だが、どことなく田舎らしい素朴な愛らしさを感じさせる、銀色の屋根と白く塗られた壁が鮮やかな一軒家だった。
「すみません、ヴァラノワールのギルドから依頼を受けました請負人なのですが」
 呼び鈴を鳴らした後、ドアの小窓に向かって人当たりの良さそうな笑みでイサクがそう説明すると、中から太ましい女性が現れた。四人以上は子どもを産んでいそうな体型と、目元と口元に走る笑い皺に好奇心できらきら輝く円な瞳が、女性の性格を表している。
「あんら、まあ。わざわざ遠くから来なすって……一日だけだって言うのに、お手数おかけしますねぇ」
「お気になさらず。町長さんはいらっしゃいますか?」
 エプロン姿の女性は三人をざっと眺めた後、ええはいはいこちらですよ、とゆさゆさ胸を揺らしながら旅人たちに建物へ入るよう促す。
 見た目の色も太さもハムのような腕でドアを支えられると普通はその迫力に気圧されるものだが、気にせずゼロスが先に入り、次にイサク、リーザと続いた。
 目つきと柄の悪い若者が先頭であることに少し驚いたようではあるが、女性は特に何も言わず玄関のドアを閉めて、三人を町長の執務室らしいドアへと促す。力仕事を常日頃からしているのか、肥満体型寄りでも動きは案外機敏だった。
「町長、請負人さんがいらっしゃいましたよ!」
 ドアを開け、室内の禿頭の老人にそう言うと、女性は三人が室内に入るのを見届けてからドアを閉めた。
 ばたん、とやや力が篭もったドアの閉まる音、それからあの女性が階段をみしみし言わせて二階に駆け上がるを聞き届けると、町長――らしいが、家具職人のような逞しい体付きと質素な服装からして、今まで彼らが見た町長とはかけ離れている――が口を開いた。
「道中疲れたろう、座ってもらって構わんよ」
 髭も髪も真っ白で、肌が浅黒いせいかそれが特に目立つ老人は、自分の向かいのソファを指して若い請負人たちを座らせる。それから、既に中身が入っているらしい素朴なポットとカップを軽く掲げた。
「茶はいるかね。ちょいと長いこと話し込むことになると思って、用意はしたのだが」
 飲み差しの可能性はあったが、我慢できずにいたリーザは貰った。ここに来るまでは舗装されていない広場を歩き回ったし、林は近くにあったが空気はからりと乾いていたためか喉が乾いて仕方なかったのだ。
 貰った茶は煎った豆のような香ばしさと仄かな甘みを持ち、不思議と懐かしい風味があって、リーザは目を瞬いた。
「玉蜀黍の茶だよ。煮出したやつだがね」
「ああ、だからこんなに甘いんですね」
 納得して再びその茶を口に含むリーザを見やると、町長は男二人のほうを向く。とっとと始めろと言わんばかりのゼロスの視線を浴びても、町長はさして焦りもせずに口を開いた。
「契約を結ぶ前にちょいと確認させてもらいたいんだがね、あんたらの人数を教えてくれないか」
 その発言に、請負人たちは内心首を捻る。その手の質問は普通であれば強さや今までの仕事の成功率なのに、人数を真っ先に尋ねてくるか。ギルドでこの町の依頼を聞いた際、人手については言及されていなかっただっただけに不思議に思いながら、しかしイサクがそんな内面を出さない顔で答えた。
「全員で二十三人、になります」
「男女別で聞かせてくれ」
「女性が十二人、男性が十一人ですね」
「子どもや年寄りはいるかね。明らかにそうだとわかるやつは」
「どちらも若年の方になりますが、女性では一人、男性では……二、三人ほどでしょうか」
 続く質問にますます疑問を覚えながら、それでも淀みなく答えるイサクに、町長はふむと一声。
「その子どもらも、腕に自信がある奴らかね」
「ええ。ドラゴンやエンジェルナイトも倒せます」
 名前だけでも強さがわかる喩えを出したのだが、町長は特に大した反応も見せず頷くだけだった。
「別にそこまで凶暴そうな奴が出る訳ではないんだが、出るもんは出るし、守ってもらう場所は広い。一ヶ所に詰めてもらって、モンスターが来たと聞いてから行くんじゃ被害が出る」
 ならば納得しないこともない。恐らく警備の対象は、今もとんてんかんと騒がしいあの広場のことだろう。あれの外周をぐるりと一周走れば、恐らくアデルの日課のランニング距離に相当しそうで、であれば町長の言うことも頷けた。
「出てくる場所は特定出来ねえのかよ」
「収穫祭は夜更けまでやる上、騒がしいもんだ。普段と状況が違えば、連中の動きも違うもんじゃないのか」
「だろうな」
 頭を使って敵の行動を読んだことはないが、ゼロスは一応その理屈に納得した。この町周辺に出没するモンスターが臆病な種族なのか能動的な種族なのかを特定出来れば対策も立てやすいのだが、そんな調査は彼ら百姓の仕事ではない。それこそ請負人の領分だ。
「それで、最初に人数を確認されたのですか?」
 部屋に篭もるよりあの農民たちのように大工道具を手にした方が似合いそうな町長は、しかしイサクの問いにやんわり否定の仕草をした。
「まあそれもあるがね、人数が多いだけならいらんのだよ。成人した女もいてほしい」
 どう言う意味かと彼らが尋ねるより先に、町長は肩を解しながら茶を自分のカップに注ぐ。
「……まあ、十人程度なら条件には合ってる。もう少し多くと思ったが、手際がいいのがいれば人手は補えるな。……よし」
 口を濡らしてからぶつくさとぼやいた町長は、今までずっと黙っていたゼロスをまっすぐ見た。リーダーが彼だと判断したらしい。一番偉そう、と言う点から判断しても妥当なほどの座り方と目つきをしていたので、その判断は当然だが。
「あんたらに決めよう。前金はギルドに話した通りだ。なんだ、証明書だか誓約書だか言う書き物はあるのかね」
「ねえよ、そんな面倒なもん」
 そいつは結構、と町長は立ち上がって、今も使われているらしい暖炉の上に置かれていた金庫から皮袋を取り出す。
「残りはあんたらの仕事が終わってからだ。……できれば個別で払ったほうがこっちとしては気楽なんだが」
「そりゃ受け付けてねえな」
「そうかい。それじゃあ、まず女衆を集めてもらえんかね」
「はい?」
 どうしてそれじゃあ、になるのかわからず疑問の声を漏らしたイサクに、町長はやはり特に表情を変えることなく説明した。
「男衆と子どもらは、明日の収穫祭会場の外周警備に当たってもらう。女衆は収穫祭の給仕だ。なに、麦酒を客に配るだけだから、難しいことはないだろう」
 悪びれなくそんなことを言った町長に、リーザは思わず口に含んでいた茶を吹き出した。


 あはははは、と豪快に笑った女性は、目尻の涙をエプロンで拭ってからまた笑った。
「……そうかいそうかい、そりゃあ申し訳ないねえ。うちの町長、お人柄は悪くないんだけどああ言う、どっか抜けてるところがあるからねえ」
 そうだろう。そうかもしれない。少なくとも、リーザはあの町長が悪い人間だとは思わなかった。茶を自ら注いでくれたときも、説明する口振りも、良かれ悪かれ飾り気のない、実直で現実的な人物であると推測できた。そう、彼女が思わず町長の下半身に向かって茶を吹き出してしまったときも、特に大きな反応を見せることもなく、焦る彼女に視線さえ寄越さず、あんたらは下見に行ってくれと用件を切り上げた。
 お陰でリーザは必要以上に良心の呵責に囚われ、女性代表としてそんなことは聞いていません契約違反ですからお断りしますと言えず、とぼとぼと広場に近い林の木陰で屯していた仲間の女性陣を説得することになった。
 当然、祭りの警備としか聞いていなかった彼女たちは、その急な仕事内容に驚き戸惑ったが、幸か不幸か絶対反対の意見は出なかった。男性陣は言わずもがな。そも自分たちは当事者ではないので、リーダーのゼロスを始めとして好きにしろ、としか言いようがない。
 しなを作って酌婦をする、なんてことではなさそうだと言うリーザの必死の説得が利いたのか、武器を手にする必要性のない仕事に興味があったのか、単純に憧れがあったのか。その辺りまではわからないが、とにかくヘルメスを除く女性陣全員が彼女と共に、先程の銀色の屋根の集会所に赴くこととなった。
 そして再び現れたリーザを出迎えてくれた先程の女性は、彼女の説明と謝罪を聞いて大袈裟なまでに笑い、それからうんうんと納得した。
「ああ、だからねえ……。あんたらが出て行ってから、町長がシャツに漏らしたみたいなシミ作って出て行くのを見てねえ。進行確認しに行ってくるとしか言わないから、こっちもはあ、としか言えなくてさあ」
「はあ……」
 暗い顔で畏まっているリーザの態度に、少しばかり彼女を不憫に思ったのだろう。女性はその肩を優しく叩くと、やはり階段をみしみし言わせながら二階へと彼女たちを誘う。
「まあ、あんなもん汚すために着てるんだから、そんな気にしなくてもいいよお。そりゃあ、あんたらの服みたいにきれいなのだと、汚したりしたら一大事だろうけどね」
 そう言いながら、女性はリーザより後ろにいるブリジッテやアリアをちらと見る。生まれてこの方ボローニャを出たこともない女性にとって、彼女たちの色鮮やかな色彩と不思議な光沢と厚みを持った衣装は新鮮に映ったのだろう。
「別に、アタシたちの服だって汚してもいいやつよ。シミとかはあんまり着かないように加工してるけど」
「へええ! 請負人ってのはそんな儲かるもんかい」
「収入で言えば、依頼より、モンスターを倒して得る収集品の方がお金になりますけどね」
 そりゃ強くなるしかないねえ、と言いながら、女性は全員が階段を上がったのを見てからドアを開ける。
「さて、そんじゃあこっちで説明するから、みんな入ってちょうだいな」
 はあい、とそれぞれ子どものような返事をして室内に入る。十一人が一気に入ると流石にがらんどうの室内でも狭く感じるが、それでも空いた空間は十分にあった。
「これ、見えない人はいないかね? いたら返事してちょうだいな」
 女性は十一人の視線を一身に浴びながら、奥のテーブルに置かれた硝子のジョッキマグを翳して見せる。デザインは簡素で、彫刻や絵付けもない。しかし、そんなことは大した問題ではなかった。
「……大きく、ないですか?」
 酒場でよく使われる麦酒用の大ジョッキよりも更に一回り二回りは大きいそれを見て、アリアが唖然と呟く。女性はさも当然のように頷いた。
「ボローニャの収穫祭は、よそと違って麦酒が主役なんだよ。その日のためだけの麦酒も用意したりしてねえ。だから、この通りジョッキも専用のを使うのさ」
「麦酒配るだけって聞いて、そんな簡単な仕事で何でそこまで人数がいるんだろう、と思ってたんですけど……」
「そうだよ、あんたらは配るだけさ。ただ、人数が普通と違うし、この通り大きさも違う」
 女性はほれ、と近くにいたカルラにジョッキを渡す。急にそんなものを渡された彼女は、思わずジョッキを両手で受け止め、更にその重みに驚いたように目を見張った。
「随分と、重うございまするな……」
 しみじみ呟き、隣のファイルーザに慎重に渡す。彼女もまたその重さに、あらと一声漏らしてリディアに渡した。リディアもまた少し驚いたような顔をしてから後ろのゼレナに渡す。いつの間にか全員がジョッキ一個の重みを確認する状態になったが、女性は特に何も言わずジョッキの行き先を見守る。
「あれを……一度にいくつ持って運ぶんですの?」
 同じく誰かに渡される度に驚きの声を漏らされるジョッキを眺めながらファイルーザが疑問を投げかけると、女性は少し考えるように自分の顎を掴んだ。
「いくつだったかねえ……片手で三つか四つか、まあそのくらいでないとまずお客の注文には間に合わないよ」
「そんなに来られるんですか?」
 ジョッキを掲げながら尋ねるアデルに、そりゃあそうさと女性は少し自慢げな顔で頷いた。
「第二大戦が大人しくなったくらいから、気軽に国境を越えれるようになったろう? それ以来、麦酒が主役の収穫祭って噂を聞きつけたのが多いらしくてね。年々大陸中から酒飲みが集まってくるんだよ」
 ざっとケイハーム王国の地図を見るだけでも、多くの人はカシナンティー平原にあるカシナンティーなる町におやと目を見張る。それは大陸各地にいる飲兵衛たちも同じなのだが、彼らの場合はまず酒への期待ありきなので、東の食料庫と同名のこの町なら、その名に恥じぬものを味わわせてくれるだろうと勝手な期待を寄せて訪れるのだ。そしてその期待に応えるものを作ってきたここは、ボローニャでも特に観光客が訪れる農耕地となった。
「けどうちの町はほら、村の集まりってだけで、都会ほど人も多くないだろう? お客がどっと来るのはありがたいんだけど、人手が足りなくてねえ。腕力に自信がある女はなかなかいないんだよ」
 だからわざわざ冒険者ギルドに依頼したのか、と密かにこの場にいる全員が納得した。この町の女性たちが非力な訳ではないだろうが、それでもこの重いジョッキをいくつも担げる腕力を持っている者はそれほど多くなかろう。足りないとなれば外から補充するしかない。かと言って、国内の都会方面に募集をかけても町のものたちより非力な女性しか来ないのでは意味がない。となれば、腕力や体力に自信のある――つまり女冒険者や女請負人に目を付けるのは、自然な流れだった。
「それはなんとなくわかったけど……じゃあ、なんで女冒険者は給仕やってって、依頼書に書かなかったんですか?」
「あんたらはどうなのさ。ボローニャくんだりまで来て一日給仕してくれって依頼があったら、来てくれるのかい?」
 質問に質問を返されたアデルは、ただ明確に答えず短い呻き声を漏らし、その後ろのケイが彼女の言いたいことを代わりにぼやく。
「……まあ、舐められてると思いますね」
「あたしはそうは思わないけどなあ。けど、あんな重いの持たされるなんて知らずに、楽そうな仕事とか思っちゃう人はいそうだよね」
 リディアの補足意見に、女性は僅かに苦味が走った笑みを浮かべる。過去にもそんな女冒険者や女請負人が訪れたり、依頼を断られたりしたのだろう。
「それにね……観光客が多いからさ、うちの町はよそ者には寛容な方なんだよ。それでも変に身構えられて、このまま町の誰それと結婚しろとか、ここで身を固めてくれとか言われると思ってるのもいてねえ。わざわざそんなことしなくても、うちの町の男どもはボローニャでも引く手数多の立派な百姓だよ。国内じゃカシナンティー出身だって言うだけで嫁入りしたがられるほどだってのに、なんで根無し草の嫁なんざ入れる必要があるんだか」
 口調は軽いが怒りが隠しきれない女性に、身構えた側の気持ちもわからなくもない冒険者たちは曖昧な笑みを浮かべる。彼女たちは全員が整った顔立ちをしているし、その上腕に自信を持っているのに言動から女性らしさを失っていない。となれば是非嫁に、と冗談か本気かわからないような口調で誘われたことも少なくなかった。
 打ちのめした相手に雌扱いされた記憶もいまだ鮮やかなシオラが、無理やり笑みを作って話を逸らす。
「それで、さあ……ウチらは、ずっと給仕するの? 休憩時間とかないの?」
「その辺は心配いらないよ。全員夜の遅くまでひたすら働いてもらうのはさすがにこっちも気が引けるからね。半分に分かれてもらって、交代時間まで片方は働いて、片方は遊んでもらう予定だよ」
 女性の説明に、大多数がぱあっと顔を明るくする。仕事に来たつもりではあるが、収穫祭の説明を聞けば聞くほど祭りそのものに興味が湧いてきた彼女たちとしては、その提案は実に有り難かった。
「本当ですか!?」
「ねえねえおばさん! 収穫祭って麦酒以外だと何があるの!?」
「屋台とか出る!?」
「ケイ、一緒に回るわよ!」
 早くも自由時間の方に興味津々な態度を隠さない少女たちに、女性はあははと笑って彼女らを諌める。
「まあまあまあ。それはまた、後でちゃんと説明してあげるからさ、今は仕事の話を聞いておくれよ」
 その言葉に、少女たちは我に返ってはしゃぐのを止める。それから女性の説明が始まったが、それぞれの頭の中は早々に収穫祭の自由時間で一杯だったことは言うまでもない。

 肩を激しく上下させ、千鳥足のバードマンの少年が王族の食卓かと思うほどに長いそれに近寄って、その角に触れるか否かのところで急に座り込む。大人たちに見守られていた彼は、視線も気にする余裕さえなく、はああ、と大きな声を挙げた。
「と、っ……遠、ぃっ、ですっ、ねえ……っ」
「だよな、やっぱり」
「はっ、はぁ……」
 水筒を渡してやると、レ・グェンはエトヴァルトが手にするこの広場の地図を覗き込む。正確には、収穫祭の会場の見取り図だ。見取り図には既に鉛筆で印や移動ルートらしきものが雑多に書き込まれ、試行錯誤の跡が伺えた。
 今回のように人の混雑が予想される収穫祭の警備は、彼らにとって未経験の分野だ。そのため、普段よりも打ち合わせは自然と綿密、かつ神経質になっていた。ちなみにノエルを走らせたのは、いくつのチームに分かれて見回るのが適切なのかを計るためであり、決して嫌がらせではない。
「二ヶ所に分かれてもこれだけ時間が掛かるのでしたら、やはり更にその半分、くらいの方が良さそうですね」
「一チーム三人か? それはちょっと少なすぎるだろう」
「しかし三ヶ所に分けたところで、目が届かん箇所は出るだろ。さっきの爺さんの話じゃ、モンスターもそれほど頻繁に出てこないようだし」
「頻繁じゃなくてもよ、あのすばしっこい獣どもが集団で来るなら取り零す可能性もあんだろ。鈍くせえテメエらならよくある話じゃねえか」
 ゼロスがデューザとレ・グェンをちらと見る。寡黙な男は普段通り沈黙してその視線をやり過ごすが、饒舌な男は些か不満があるのか口先を尖らせた。
「俺はレアアイテム奪取って言う大切なお役目があるからそうなるんだって。運がいい分、他は犠牲になっちまうもんなんだよ」
 レ・グェンの言葉に鼻で笑ったゼロスは、あしらうように手を振る。言い訳にもなってない、そんな意味の仕草だろう。人を舐めきった態度に、自称温厚で紳士的なはずの男が盛大に眉を歪める。
「まあまあ。取り零さないよう、人選に気を配ればいい話ではありませんか」
 穏和そうな声が斜め上から聞こえて、彼らは反射的にそちらを見上げる。純白の羽をゆっくりと羽ばたかせて下降しようとしているのは、飛行で誤魔化しているもののどちらかと言うと遅い性質のイサクであった。
「そうだよなあ! 大体兄さん、自分はしっかりコア頼りだってのに他人にはそん、がッ!?」
「うるせえ」
 空からの援護に勢い付くレ・グェンに、ゼロスが間髪入れずその脛を蹴り上げる。チンピラさながらのリーダーの言動を前にしても、イサクは穏やかな表情を変えることなく地上に降り立った。
「目撃情報によりますと、この辺りで出現するモンスターは、ブラッディビースト、鉄魔神、デスキラービー、ラフレシアのようです」
「意外だな。手強いモンスターばかりじゃないか」
「はい。ですが集団で襲ってきたりはせず、最高でも二、三匹が襲ってくる程度なので、罠や人海戦術で今までどうにかしてきた、と」
 それを聞いて、エトヴァルトとナイヅが長考の姿勢を取る。レ・グェンは向こう脛を蹴られたため踞って動けないようだが、哀しいかなこの時、誰も彼が悶絶していることに気付かなかった。
「それでしたら、四組に分かれた方が無難、でしょうね。三人相手に最大三匹とは、少し、出来過ぎているようにも感じますが……」
「考えすぎだろう。ノエル、さっき走った距離の半分程度なら、走っても息切れはしないと思うかい?」
「え……?」
 まだ食卓の柱に背を預けたままのノエルだが、ナイヅに話しかけられて慌てて立ち上がろうとする。しかし急に動いたためか、少年の膝は束の間バランスを崩して再び地面にへたり込んだ。
「……っっ、え、えと、はいっ。さっきより、半分くらいなら大丈夫だと思います!」
 四つん這いの体勢のまま力強く宣言するノエルに、ナイヅとエトヴァルトは苦笑を浮かべつつも頷いた。
「なら、決まりだな」
「問題は、配置とチーム分けですね」
 その辺りは警備に就く全員が揃わないと円滑に進まないのだが、どうも残りのメンバーが帰ってくる気配がない。
 彼らが今占拠している場所は、準備が完了しているビアホールの更に隅だ。そんな場所にいる余所者を遠巻きに見てくる地元住民は多いが、用事がないのでさすがに近寄る者はいない。だからこそ人ごみの中を横切って躊躇なくこちらに向かってくる者がいればすぐわかるのだが、今のところそうやって彼らのもとにやって来る者はノエル以外にいなかった。
「じゃあ、くじでも作っておくか……」
 ナイヅが広げられた見取り図を裏返し、ペンで線を人数分引いていく。ようやく痛みが引いてきたらしいレ・グェンが、不思議なものを見る目でそれを覗き込んだ。
「……何だそれ。くじを作るんじゃないのか?」
「これもそうだよ。『あみだくじ』って言う、一枚の紙に書き込むだけで出来るくじだ」
「へーえ」
 人数分の縦線を引き終えたナイヅは、今度は隣り合う縦線同士を繋ぐ横線を、適当な本数と適当な位置に引いていく。それを何とはなしに眺めていた他のメンバーの耳に、馴染みのある声が飛びこんできた。
「だーかーらー! そう言うのは駄目なんだってば!」
「何が駄目なんだよ。皆のアイテムで皆の懐を温めるのは間違ってないだろ?」
「けど勝手に売るとか、卑怯じゃんか!」
「全部売っ払ったらそうかもしれないっち。ちゃんと残してるなら大丈夫っちよ」
「残してるとか、そう言う問題じゃなくてー!」
「ならどう言う問題なんだよ」
「全くだっち! アルは変なところで優等生っちねえ……」
「……イツモ、ソウナライイノニ……」
「っ!! ヘルメス、お前なあ!」
「いいこと言うなー、嬢ちゃん」
 ぎゃんぎゃんと騒がしい声に、ナイヅ以外が顔を上げてそちらを見る。残りのメンバーの賑やかで青いほどに若々しい顔ぶれに、ゼロスが大袈裟なくらいうんざりした顔を作ってみせた。
「ガキじゃあるまいし、でけえ声で騒いでるんじゃねえよ」
「あっ、なあなあ兄ちゃん!!」
 ゼロスの話を全く聞いていないアルに、更に彼の眉間の皺が深くなる。しかし、少年はそれを気にする余裕もなく声を張り上げた。
「兄ちゃん、ヴァンとシロのヤツさあ、勝手にアイテム、大量に売ったんだぜ!」
「売り上げはこれな」
 ヴァンはずっしりと重いことが見るだけでもわかる皮袋をイサクに手渡すと、腕を組み満足げに吐息をついた。肩の上のシロも満足げである。その後ろでは、エトヴァルトがヘルメスを連れて日常会話のただいま、お帰りなさいの活用法を教えていたがこれはいつものことだ。
「何売ったんだ?」
 金貨を数えるイサクの手元を眺めながら問うゼロスに、ヴァンは軽く視線を上にやって売った品々を思い出す。
「花の蜜とか、蜂蜜とか、トカゲの舌とか、アヴァロンの実とか、あと竜の心臓」
「素・結晶系も結構売れたっちね」
「なんで売れるんだ、そんなもん?」
「食材の方は、屋台出すおっちゃんおばちゃんには願ったり叶ったりだったみたいだぜ。かけらとか結晶は、氷や火や電飾の持ちを長持ちさせたりとか、色々使いようがあるって聞いたな」
 説明を受けて、何人かがはあ、と感心したように頷く。彼ら冒険者にとっては各属性の素や結晶は、敵に投げて魔術を発生させたり、練金所で使う代物でしかない。日常に活用されている上、そこまで重宝されているとは思いも寄らなかった。案外それらは非冒険者にとって便利で貴重なものなのか。
「しかもさあ、それ、ギルドの店の売値より高めに売ってたんだぜ! 酷くないか!?」
 ヴァンたちが全く咎められないことに違和感を持ったアルが、また声を張り上げる。しかし、少年は忘れていた。否、実感していなかったと言うべきか。このパーティーのリーダーは、正義感など持ち合わせていないのだ。
「いいことじゃねえか」
「だよな」
「っち」
「ええええええ!?」
 仰天するアルに、ゼロスは鼻で笑って少年を見下ろす。
「こんなド田舎じゃ、真っ当な値段で売っ払っても損するだけだろ。移動費と時間の手間も考えりゃ、いくらか色付けるのは当たり前だな」
 うんうん、とヴァンとシロが頷く。納得できないアルが周囲を見回すが、彼らを苦笑混じりで黙認する者はいても、非難しようとする者など一人もいなかった。
「……な、ナイヅおじさん!」
「うん?」
「うん? じゃないって! おじさんも兄ちゃんたちの味方なのかって聞いてんだよ!」
 理由もわからず怒られたナイヅは――『あみだくじ』作りに集中していたのだが――、エトヴァルトに横目で説明を請う。ヘルメスの手遊びの相手をしていた彼は、簡潔に耳元で状況を教えてくれた。
 事情を把握したナイヅはやはり苦笑を浮かべながら、浅く頷く仕草をする。
「まあ、……そうなるかもな。ヴァラノワールの小麦粉やパンがここに比べて高いのは、運輸費や手間賃が掛かってるからだし。それの逆版だよ、ヴァンたちがやったのは」
「けど、でも、俺たち、商人じゃないだよ!?」
 噛みつかんばかりのアルに、ナイヅは優しく諭すように微笑みかける。
「そうだな。けど、冒険者は商売をしちゃいけないなんて法律はない。この町の商人や行商が、営業妨害だから売るのを止めろ、なんて言ってきたんなら話は別だ」
「…………それは、なかったけど!」
 むしろ、この町の商人らしい人々が買い漁っていた光景でも見たのだろう。不満はいまだ強く残っているらしいが一応は大人しくなったアルに、ナイヅはこれで落ち着いたと思って見取り図の裏に書いた『あみだくじ』を皆に翳して見せた。
「チーム分けのくじはこれで完成だよ。とっとと始めよう」
「あの、けど……」
 しかし、控えめな声がそれを遮る。消極的なノエルが声を出すほどなのだから重要なことなのだろうと飲み込んでいるナイヅたちは、柔らかくそちらに疑問の視線を投げかけた。
「……一人、いなくないですか?」
「…………」
 ざっと周囲を見渡せば、成程確かに一人いない。そもそも、いつの間にかいなくなった誰かは気配を消すのは巧いが、それ以上に格好が目立つのだ。いないと気付けば誰だってすぐわかった。わかるので、大人たちは深い深い吐息をついて、少年を優しく諭す。
「……いないってことは、彼としては勝手にやれってことだよ。きっと」
「はあ……」
 そうなのかなあ、とでも言いたげなノエルではあるが、概ね、その通りであった。

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