Durst Polka

準備中/後編

「……納得いかないわ」
 スノーが作った紙とペンだけで作れる『あみだくじ』なるものの結果を見て、ブリジッテが頬を膨らませる。
 午前中から夕方まで、夕方から深夜までの二チームに分かれると決まったものの、メンバーをどう決めるかで暫し議論が交わされた。その結果、公平な運試しとして件の『あみだくじ』が採用されたのだが、公平なはずのそれにブリジッテは大いに不満があるらしい。
 彼女が拗ねる理由もわからなくはない。何故ならば。
「どうしてあんたたち三人組が揃ってて、ケイとアタシは離ればなれなのよ!」
 勢い良く、ブリジッテの人差し指がアリア、アデル、リディアの三人に向けられる。無礼な振る舞いを受けて、三人は三者三様の反応を見せた。
「そんなこと言われても……」
 アデルは軽く眉間に皺を寄せ、人差し指を咎めるような視線を小柄な少女に向ける。
「運が良かっただけですよ」
 アリアは特に気にしていないらしく、嫌味になるとは全く思っていないらしい、晴れ晴れとした笑顔を作る。
「そーそー。リーザも一緒ならもっと良かったよね」
 リディアもけろりとした顔で更なる贅沢を口にする。リーザは曖昧な笑みでそれに否定とも肯定ともつかない態度を取るが、こちらもやはり嫌味になるとは考えてもいないように首を傾げた。
 三人の反応に、ブリジッテの眉の傾斜がますます急になる。だが、彼女は歴とした抗議など出来なかった。しても墓穴を掘るのはわかっている。何故ならば。
「けれどブリジッテさん。あなたは結果を見る前に……」
「お、覚えてるわよ! 自分で言った以上はやり直そうとするなって言いたいんでしょ!?」
 その通りです、と頷く声に神経を逆撫されたブリジッテではあるが、暴れたいところを歯を食いしばり何とか堪えた。
 ブリジッテが彼女にしては大人しいのには理由がある。
 数分前――『あみだくじ』の結果が発表される直前――、スノーは神妙な面持ちで何度も仲間たちに言い聞かせたのだ。曰く、運試しだから結果に不満があっても異議を唱えないこと。もう一度やろうと言わないこと。誰かと交代の交渉をしないこと。
 運試しである以上は当たり前の話なので、仲間たちはそんな当然のことを繰り返し説明するスノーに疑問を抱いた。既に明日の詳しい業務内容の説明を受けたため、窓の外は茜色に染まっている頃だ。説明してくれた女性も彼女たちも、結果を知った後はすぐに帰らなければいけない時間帯に、そんな前置きは愚行と言えた。
 だからパーティーの中でも最も短気でせっかちなブリジッテが、遂に声を挙げたのだ。
「わかったから早く結果を教えなさい! 子どもでもあるまいし、やり直せなんて誰も言わないわよ!」
 少女の一喝を受けるとスノーは納得したように頷き、拍子抜けするくらいあっさりとその手に隠された結果を皆の目に晒した。そして、今に至るのだが。
「……今にして思うと、あれはお嬢様の言質を引き出すための説明だったのでしょうね」
「ありえますわねぇ」
 結果に不満がありながら、それでもやり直せとは言えないブリジッテに憐憫の目を向けるケイの呟きに、隣のファイルーザが相槌を打つ。
「あの方自身の結果ならどうにか出来るかもしれませんけれど、こうなるようあの方が仕組んだ訳ではないでしょう?」
「無理でしょうね。他人のじゃん拳の勝敗と選んだ線まで操れるならまだしも」
 だからこの結果は、ブリジッテには大いに不満があったとしても完全な偶然であることには違いない。その上、スノー自身は『あみだくじ』の製作者である自分を最後にしてくれと自主申告したのだ。いかさまなど使えるはずがない。
 恐らくは不意に発動するらしい未来視で、ブリジッテが癇癪を起こす可能性を見たためにあんなことを言ったのだろう。確かにそうでもしなければ、少女は結果に異議を唱えるだろうし、スノーがいかさまをしただの結果を操っただの言いがかりを付ける可能性があった。
 しかし現状はそれに比べて少しまし、程度でしかない。ブリジッテはいまだ納得していない顔をして、スノーを睨み付けている。彼女としても、言質を取られたことに不満があるのだろう。
「……じゃあ、この班分けでいいのかい?」
「はい。こちらに全員の名前とそれぞれの特徴を書きましたので、担当の方々にも配っていただけますか」
 班分けの結果を書いた紙とは別に、スノーは少し大きめのメモを女性に渡す。先の前置きと比べて鮮やか過ぎるほどの手筈だ。ブリジッテの癇癪は予測済みに違いない。
「準備がいいねえ、ありがたく頂いておくよ。それじゃ、あんたたち、明日はよろしく頼んだよ!」
 女性は気持ちよさそうに声を張り上げると、上機嫌でドアを締め、階段を軋ませながら一回に下りて行く。急いでいたのは本当らしく、すぐに窓の外から小走りで村の方へと向かう女性の姿が二階から見えた。
 このときブリジッテもようやくファイルーザたちと同じことを確信したのか、スノーに掴みかかろうと足取りも荒くそちらに近付く。だが彼女が白いワンピースに触れるより先に、彼女の肩に誰かが触れた。
「誰!?」
「お嬢様、落ち着いて下さい」
 白手袋の従者を目にして、ブリジッテは微かに眉を顰める。ケイの表情はいつもと同じ涼やかで、彼女ほどこの結果に不満を持っていないらしい。彼女としては、控えめに言って喜ばしくない態度である。
「何よ。ケイはアタシと離れ離れになって嬉しいの!?」
 精神的にささくれ立っているためか、心ない言葉を口にするブリジッテに、ケイはやはり表情を一つも変えず首を振る。
「私もお嬢様とご一緒できず、たいへん残念に思っています。ですが、お嬢様が怒っていらっしゃる原因はそれではないと思いましたので……」
「……そ、そんなことないわよっ」
 ケイがブリジッテと視線をかち合わせると、魔族の少女は軽く後退る。事実、彼女がこうも不機嫌なのはアデルたち三人の幸運に対する嫉妬が大きい。それさえなければ、従者と離れ離れになっても彼女はさほど怒らなかっただろう。
「そうだと願いたいところです。私たちが同じ班になるのは、彼女たちが同じ班になるより更に低い確立であると、お嬢様ならご存知のはずですから。それに、私は信じています」
「……信じるって、何をよ」
 自分の本心を見破られ、その上それをあっさり流されたブリジッテはきまり悪そうに俯く。ケイはそんな姿の主人であり妹のようでもある少女に、そっと表情を和らげて見せた。
「お嬢様が私の助けなしに、仕事を全うされると。今のお嬢様なら問題ないと私は信じています」
 微笑まれたブリジッテは、先程とはまた違った意味で後退る。いくら気持ちが荒んでいる彼女とて、信頼の言葉を投げかけられて悪い気はしない。だが、それだけで気を良くするのは本人としても短絡的だ。大きくケイから視線をそらし、わざと不機嫌そうな顔を作って唇を尖らせた。
「何よ、その言い草。今までのアタシがそんなことも出来ないみたいに……」
「出来ませんでしたね、確かに」
 畳み掛けるように断言され、ブリジッテは目を剥き思わずケイの方に振り向く。だが彼女は穏やかな微笑を湛えたままで、少女は軽く混乱した。
「あのときとは状況も仲間の数も違いますが……何より、お嬢様の精神面が大きく変化しています。あのときのお嬢様のままで今回のようなことになれば、是が非でも私もお嬢様と同じ班にしてもらうよう他の方にお願いしたでしょう」
 しかし今ならば――との思いが裏打ちされた発言に、ブリジッテは落ち着きを取り戻したが、少し落ち込んでいるように眉をひそめてケイを見上げる。
「け……ケイは、アタシと一緒に収穫祭回れなくて、寂しくないわけ?」
「勿論、寂しいですよ。ですがそれ以上に、お嬢様の成長を嬉しく思います」
 そう締め括られると、ブリジッテは遂に反発する気を失ったらしい。うう、と困ったような声を漏らし、今度は照れ臭そうに視線を反らした。
「……じゃ、じゃあとっとと帰るわよ! もうすぐしたら、日が沈んじゃうじゃない……誰よこんな時間まで……!」
 原因はほぼブリジッテにあるのだが、そこは言わぬが何とやら、だ。ブリジッテが自然先頭となったが、誰の誘導もなく全員が扉に向かい、階段に向かい、ドアに向かって雑談を交わしながら歩き出す流れとなった。
 そんな中で、シオラがケイの肩をちょんちょんと突付く。
「何です?」
「あのさ、実際のところ、どうなの?」
「どう、とは?」
「ブリジッテ、ケイがいなくても給仕なんてできるの?」
 単刀直入な質問に、ケイは暫し、否そこそこに長く口を閉ざす。そして階段を降りきった後、重い吐息をつくと共に首を振った。
「無理、でしょうね」
「…………」
 急に、シオラは意気揚々と先に歩くブリジッテが憐れになった。あのやり取りは少女を諌めるための方便だとは思っていたが、主演本人がそう言うと夢も希望もなくなってしまう。
 しかしそうなるなら、やっぱりやり直した方が良かったんじゃないかなあ――と当然シオラは思ったが、それを口に出さない程度に空気は読めていたのは、誰にとって幸運で、誰にとって不幸なのか。言わずと知れた話である。

 カシナンティーは冒険者も地元住民も認める田舎だが、意外に宿や食堂には不自由しなかった。今までの収穫祭効果でそれらが他のケイハーム王国内にある農村より発展した可能性は高い。とりあえず、彼らは二十人弱のパーティーを二ヶ所三ヶ所の宿に分ける必要はなく、スムーズに部屋を確保し、あまり待ち時間をかけず夕食を摂ることができた。
 だが集会所で女性が言っていたことも本当らしく、宿も食堂も農民の格好をしていない客たちで多くが賑わっていた。宵の口のこの時間帯で困ったように辺りをうろつく旅人も見るし、恐らくこの繁盛ぶりはここだけではなく、他の塊村でもそうなのだろう。
 宿屋の主人にはここに来た理由をあらかじめ伝えていたため、縁者が経営している食堂まで事前に席数を確保してもらったが、これで何も説明しなければ彼らも部屋探しに奔走したかもしれない。収穫祭本番では脳天気に遊んでいられないが、それくらいの待遇はして貰わなければ骨折り損だ。
 皆明日に向けての打ち合わせで疲れたのか、席に案内されると淡々と料理を注文し、黙々と食べた。出される料理はよく言えば素朴で懐かしく、悪く言えばまずくはないが無難過ぎる味付けで、空気を盛り上げも盛り下げもしない。酒は麦酒ではなく水で薄めたワインだったが、麦酒は明日の本番に備えて出し惜しみしているのだろうと納得すれば、蟒蛇(うわばみ)共も大人しかった。
 それでも大きな食堂で、季節限定とは言え繁盛しているのだからざわめきはある。空腹も落ち着きだした頃になると、彼らのテーブルも普段の賑やかさを取り戻した。
「へえ、そっちは四組に分かれるの?」
「ええ。目安でしかありませんから、一日が終わってみればどうなるかはわかりませんが」
 アデルと向かい合ったイサクが、ワインを一口含んだ後にそう答える。その仕草にうっとりと目を細めながら、隣に陣取ったゼレナが願望剥き出しの質問を投げかける。
「それで天使様はぁ、どこにおられるんですかぁ? あたしお昼は暇なので、警備のお手伝いしますよぉ?」
「お心遣いありがとうございます、ゼレナさん。ですが、どこに陣取るのかはまだ決まっていないのですよ」
「そうなんですか?」
 アデルの隣のアリアがきょとんとすると、イサクの右隣のノエルが頷いた。
「とりあえず、東西南北の四つに分かれるのは決まったんですけど、その、組み合わせ、に偏りができちゃったんです」
「って言ってもさ、男ばっかりならどう分けても偏っちゃうもんだよな」
 まだパンを口の中に残しながら、ノエルの向かいにいるアルが会話に割って入る。しかしその顔はまるで自分にそう言い聞かせているようで、彼にとってあまり満足できない組み合わせなのは確かなようだ。
「アルさんは、誰と誰と組むんですか?」
「……デューザと、エトヴァルト」
 どちらも愛称を使わず、呼び捨てで素っ気ない。しかしアルがそんな態度を取るのも仕方ないほど、彼と接点のない相手であるのは間違いなかった。ゼレナがしみじみと同情の声を漏らす。
「……運が悪いわねえ、あんた」
「けど戦力的に見れば、その、バランスは取れてる方じゃない?」
 アデルが敢えて明るくフォローするが、それでアルの顔が晴れるはずもない。つられるように、ノエルも軽く俯いた。
「ボクも……グェンさんはいい人だと思うんですけど、ジャドウさんと一緒にいるのは……」
 それもまた災難だ。戦力的に見ても大きな欠点がないのが更に辛い。聞かされるアデルとゼレナが天を仰ぎたい気持ちになったが、始終黙ったままのイサクが目に入ったのでそれを取り止める。
「あなたは?」
「私は、ゼロスさん、ナイヅさんとご一緒します」
 笑顔を崩さないままイサクが答えると、少年二人がそれはそれは大きなため息をつく。
「いいよなあ、その二人で……」
「羨ましいよね……」
 聞かされた側も、気持ちは痛いほどによくわかる。一人は口は悪いが面倒見はいいし、もう一人はごく普通の社交性を持つ。イサクも合わせて面倒見のいいタイプが三人揃っているからこそ、よそのチームが妙にぎくしゃくするのだが。
「じゃあ、待って……。残ったのって、ヴァンと、シロと」
「ヘルメスさんも、ですよね。三人とも、ナックルですか……」
「ふんふん、確かに偏りがあるわね」
 片頬を引き攣らせるアデルと、心配そうなアリアと、他人事のようなゼレナの指摘を受けて、警備の三人は何とも言えない顔をする。
「だからさ、なるべく、そっちはモンスターいないところで頼みたいじゃん。シロもヘルメスも強い魔法使えるけど、間に合わなくて会場にモンスター入れちまったら、俺らみんなのせいにもなるし」
「その辺りは何とかなるんじゃない? その三人、戦いの相性は悪いけど、単独行動するタイプじゃないでしょう」
「そう、なんですよね……」
 本人たちも、くじの結果を知った仲間たちをアデルと同じような台詞で安心させようとしていたのだ。だからこそ、くじをもう一度やり直すのも憚られる空気になり、なるべく彼らには猛獣型のモンスターが目撃されていないところを担当してもらおう、となったのだが。
「ここに来るまでにもうお昼過ぎてましたし、モンスターの目撃場所を調べる余裕もなくて……」
「けど、明日当日はもっと調べられないんじゃないの?」
「いえ、その辺りは今、調べているようです」
「今ぁ?」
 どう言うことかとアルが頓狂な声を漏らすと、イサクは何も言わずにワイングラスを奥のテーブルに向かって慎ましく傾ける。グラスが指し示す方向では、それらしい光景がちらと彼らの目に映った。
「……あれ、ですか?」
「大変そうですね……」
 片やボトル、片やグラスを持ちながら、仲間の何人かが、知らない顔の誰かと表情豊かに会話をしている。服装からして相手はこの食堂にいる数少ない地元住民だろうし、ざわめきの大きな今の食堂では詳しい会話など聞こえないが、情報収集を兼ねた接触であろうことは、容易く想像出来た。
 レ・グェンが赤ら顔の男と盛り上がっている――とは言っても、彼のグラスの量は全く変わらない――向こうでは、エトヴァルトが気難しそうな老人と何やら真剣に話し込んでいた。更にその奥ではファイルーザが鼻の下を伸ばした青年相手に酌を取っている。
 他の仲間のテーブルに目をやれば、ナイヅが困ったような笑顔を張り付かせながら女将の話に相槌を打ち、ヴァンは隣のテーブルの男と愚痴り合い、スノーはヘルメスを膝に乗せながらウェイトレスと盛り上がっていた。彼らと同じテーブルにいる我の強い仲間たちが妙に大人しい点から察して、少なくともただの世間話でないことは確かだ。
 人当たりの良い者はほぼ総出で情報収集に取り組んでいる姿を見ると、アリアはふと思い浮かんだ疑問を、席から立とうともしないイサクに投げかけた。
「イサクさんも、お手伝いはしないんですか?」
「私は見ての通り、天使ですから。世間話や愚痴の相手をするには、必要以上に畏まられてしまいます」
 それは確かにそうかもしれない。アリアは納得したように頷き、自分も水で薄めたワインをこくりと一飲み。しかしその隣のアデルは曖昧な笑みを浮かべながら、内心ではそんな言い訳をしておいて、体良く楽をしているだけなのではと思わずにはいられなかった。


 秋晴れの空は深く澄み渡り、吹く風はほんのり冷たいものの、日光の温かさと爽やかな空気がそれを補って余りある。
 これで普段通り何もない日であるならば、軒先で丸くなる猫のように日向ぼっこで一日を潰すのも有意義だろう。しかし今日のボローニャに限るならば、それは逆に勿体無い。カシナンティーに住む者、また訪れている者たちは、実に張り切って朝を迎え、気合を入れて外出の準備をしていた。
 ゼロスを始めとする警備を受け持つ請負人たちも、気を引き締めた朝を迎え、身支度を終えると自分の獲物の具合を確認する。常日頃からチェックは欠かさないが、この町には開発所や合成所がない。メンテナンスを任せられる相手や道具が補充出来ない状態は、必要以上に気持ちを引き締めるものだ。
 給仕班も準備があるようで、男性陣の多くが朝食に向かう際には、もう既に大半の女子が食事を済ませていた。珍しいことにパーティー内でも特に怠け者で気分屋のゼレナでさえ、給仕班全員を乗せた馬車に間に合ったらしい。
 何をそんなに早く行く必要があるのだろうかと思いながら、警備班宜しく男たちは、いつもと変わらない朝食を終えた。それから普段ならば、めいめい自由に街で過ごしたり、ギルドや開発所、遠出でモンスター討伐などをするのだが、今日に限っては朝から仕事だ。
 彼らも女性陣ほど早くはないものの、収穫祭が始まる一時間ほど前には集会所に着いた。昨晩の情報を統合した結果、どの班がどこを担当するかを決めたので、それを町長に報告するためだ。もしものときの保険、と言えるかもしれない。
 何も全員がと思う部分は誰かしらあったが、御者に集会所前で停めてくれと頼んだ以上は仕方ない。ついでに、もう準備が済んでいる収穫祭の会場内に、道行く人がそこそこいるにも関わらず馬車ですんなり入れたことに、昨日は集会所まで歩いていたゼロスが不機嫌そうな顔をした。
 集会所に着くと、町長は多少めかし込んでいるものの昨日と同じような表情で、昨日と同じようにソファに腰掛け、彼らの報告をさして何の感情も示さず聞いた。宜しくやってくれ、との一言漏らしただけで応接室から出て行った町長に、保険はこの人相手ならば意味がなかったかもしれないと思いながら、それでも全員大人しく集会所から各自持ち場に向かおうとしていたときだ。
「それじゃ、行ってくるねー」
「はーい!」
 彼らが来る以前から騒がしい様子だった二階から何人かが一階に下り、まだ騒がしい二階に声をかけた。
「ちょっ、ちょっと待って!」
 その直後、階段から転がり落ちるようにして聞き覚えのある声が耳に入り、不意に男性陣の何人かがそちらを見る。そこにいたのは、三人の村娘だった。
「これこれ、どっちか忘れてるってば!」
「あれぇ?」
「私は……大丈夫なようですが」
 村娘たちは、腹部のみを包んだ前開きの胴衣と、肩を剥き出しにした生成りのブラウス、それから膝丈のスカートと刺繍の付いたエプロンを身に付けていた。だがそれらは大まかな共通点でしかなく、スカートや胴衣の生地、ブラウスやエプロンのデザインに到るまで、一つとして同じものはない。それどころか一人ひとり布の色さえ違い、素朴なシルエットに反して案外手が込んだ衣装らしいことがわかる。
 髪の方は三つ編みにしたり、お下げにしたり、二つ括りにしたり、オーソドックスなまとめ方だがそれぞれの髪紐やコームに飾られた揃いの白い野の花は爽やかな可憐さを演出し、村娘たちが彼らにとって見知った仲間の顔でなければ、そのまま口説く者がいてもおかしくなった。尤も、パーティー内でそんなことをするのは一人だけだが。
「……え?」
「うん?」
「……り、リーザさん、ですか?」
 ノエルが恐る恐るお下げの村娘に声をかけると、棒立ちの男衆に気付いた彼女――リーザが声を上げた。
「あら、そっちも今から?」
 リーザはさして彼らを気にするふうもなく、いつも通りの態度で男たちを見る。だが彼女の方は髪型から靴先までいつもとは全く違っていて、その新鮮味と違和感にアルは動揺を隠しきれなかった。
「そ、そうだよ。姉ちゃんの方は、その、どうしたんだよ、その格好?」
「どうしたって言われても、この格好で給仕するのよ。いつもの服で麦酒なんか配れると思う?」
 両手を腰に添え、当然と言わんばかりの顔でリーザは尋ね返す。彼女の両隣の短い桃色の髪を二つ括りにした村娘と、長い三つ編みの深海を映した髪の村娘は、よく見てみればやはり仲間のシオラとカルラだった。
 服にばかり気を取られ、シオラは特徴の耳も獣のような手足も剥き出しのままで――さすがに尻尾は衣装に穴を開けるわけにはいかなかったらしく、スカートの下から大人しく覗いていた――、それに気付きもしなかった自分に男たちは少しばかり自己反省する。
「その、服は……?」
 それでも黙りっ放しは良くないと判断したナイヅが尋ねると、彼らの心中などまるで察しもしない給仕班の三人がそれぞれ説明する。
「これは、ボローニャでは特別な日のための民族衣装だそうです」
「昨日からこれ着るってのは決まってたけど、まさか髪まで弄るとは思わなかったなぁ……」
「いいじゃない? 配る麦酒に髪が入るのを防ぐためって言う、ちゃんとした理由があるんだし」
 カルラがスカートの裾を広げて自分の格好を顧みると、シオラが照れ臭そうに自分の髪を指先で弄り、リーザが悪戯っぽく片目を瞑る。皆、普段の方が高露出のはずなのに、髪型の違いか服装の違いか、妙に健康的な色気を感じさせる。恐らくは自然と強調されている開放的な胸元がその主な原因だろうが。
「……そ、うなんだ」
「それは、大変でしたね……?」
 仲間の服装と髪型が変わった『程度』なのに、少年たちの視線は落ち着かない。しかしそこをリーザにからかわれる前に、救いの御手宜しく筋金入りの朴念仁が助けに入った。
「なにぼさっとしてやがんだよ」
 もう集会所を出たはずのゼロスが、のそのそとこちらに戻ってくる。それから彼も遅れている仲間たちの視線の先に気付いたらしく、階段の方を見た。
「テメエらまだやってんのか」
 さして大きな反応も見せず、顎で軽く二階の騒ぎを指し示すゼロスに、シオラはつまらなさそうに唇を尖らせる。
「うちらはもう終わったの! これでも早い方だよ〜?」
「んなもん知るか。さっきからどったんばったんうるせえんだよ」
 ゼロスの素っ気ない物言いに、限りなく傍観者に近いリーザもやれやれと肩を竦める。彼のために今でも一生懸命めかし込んでいる少女も何人かいるのに、こんな調子では確実に気の利いた感想など出てくるまい。
 いかにもゼロスの反応に不服そうなシオラと、骨折り損になってしまうであろう少女たちを内心憐れみながら、リーザは再び二階へ上がろうと踵を返す。ついでに、呆けている仲間たちに声をかけた。
「それじゃあ、アタシはもう少し上にいるわ。警備頑張ってね」
「ああ。リーザたちも、頑張れよ」
 ひらひらと手を振って声援に応えると、リーザは軽快に二階へ上がっていく。それを何となしに見送ったシオラとカルラは、お互いに視線を配り合う。もうそろそろ彼女たちも行かねばならないらしい。
「では、私たちはこれにて……」
「んじゃね〜」
 ゼロスたちよりも一足先にドアから出て行くシオラとカルラを見送ると、男たちはようよう移動を再開する。とは言っても彼女たちが開けたままのドアから出るだけで、その場を偶然見た者がいれば、給仕娘たちの色香についつい釣られた男たちにしか見えなかっただろう。その上、集会所を出ても――
「……いやあ、いい格好だねえ」
 同じように、と言うかこちらは確実に彼女たちの色香にたっぷり酔ったレ・グェンがしみじみと呟く有様だ。エトヴァルトとヘルメスも着飾ったカルラの後ろ姿を見送っていたが、雰囲気からして出稼ぎに行く母を見送る父子のそれである。
「はー……びっくりしたぁ!」
 ノエルが変化のない男性陣を視界に収め、ようやく我に返ったように大声を出す。アルも同様だったらしく、深呼吸を一つするとゼロスの方に首を向ける。
「兄ちゃん、よく一発で姉ちゃんたちだってわかったなー」
「んなもんわかんだろ」
「普通はわかんないって!」
「ツラ見りゃすぐだろ。テメエはどこに目付けてやがんだ」
「ここ! ちゃんと付いてるってば! けど普通は……」
 早々にいつもと変わらないようなやり取りに戻った二人をナイヅが眺めていると、その肩に白く丸い何かがよじ登る。そんな仲間など一匹しかいないので、彼は落ち着いてそれが何か言い出すのを待ってやった。
「……いい目の保養だったっちねえ」
「そうかもな」
 妻子持ちの立場上、女性に対して過剰に誉め称えないよう自制しているナイヅが曖昧に頷くと、その配慮を全く察しないシロが鶏冠をぴんと天に伸ばす。
「ぬぁにを適当言ってるっちか、ナイヅ!」
「適当じゃないさ。可愛いもんだと思ってる」
「いいや、ヌシはわかってないっち! あの二人だからこそ目の保養で済んでるんっちよ! あれがぼんきゅっぼーんな体型の美女なら、目の保養を越えて目の毒になるレベルっち!!」
 シロの力説を聞かされて、ナイヅは呆れたように吐息をつく。
「……それはそうかもしれないけど、じゃあ、どう言えばシロは満足なんだ?」
「その反応こそがわかってないっち!」
 いつも以上にわかりにくいシロの癇癪に、ナイヅは大袈裟なまでに肩を竦める。朝からわかりにくい絡みを強要されるのは疲れるだけだ。心のなかでそう愚痴ると、まだ何やら力説しているヒヨコ虫を無視して、持ち場へ移動しようと歩き出す仲間たちについて行く。
 そして自分の足取りが、妙に軽いように思ってふと気付いた。周囲のざわめき、珍しくも懐かしい屋台がずらりと並ぶさま。民族衣装に身を包んだ、活き活きとした表情の人々。自分が住んでいた世界も、祭り当日の朝は、これに近い光景が広がっていたことに。
 こちらの祭りに参加したことはあるのに、こんなくすぐったい高揚感が胸の奥から湧き上がるのは本当に久しぶりで、奇妙な感慨に耽りながら、ナイヅはちらと空を見上げた。
 参加はできないだろうが、それでもこの収穫祭が多くの人にとって楽しいものでありますように――そう誰にでもなく祈ると、ナイヅは少し、歩を早めた。

[ NEXT→ ]