目が覚めると、外は眩しいぐらいに明るかった。 それも当然である。アキラがようやく眠れたのはチキュウで言うところの午前四時頃、つまりこちらでは四の刻なのだ。再び彼が自力で目覚めたのは、それから五時間は経った後だった。 「・・・・やっべ」 半分眠ったままの頭が早朝のことを思い出すと、急いで窓際に脱いだままにした上着を持って、下の階の洗面所に向かう。朝食が終わり、各々が自由に活動し始める時間となると洗面所は空いているが、むしろ彼の心配は早朝の女性のことである。 顔を洗い、濡れた手で髪を大雑把に整える。それだけで寝癖が治まる髪質は、女性陣から大変な不評だった。単に羨ましがっているだけらしいが。 そしてそのまま食堂に顔を出すと、朝食が終わったらしいゲイルが、細いつまようじのような棒で歯についた残りかすを取っていた。その一つ隔てた向かいのテーブルには、リューンエルバともう一人の黒髪の教官が雑談をしながら食後のお茶を嗜んでいる。今から出て行こうとしていたらしいニヴァが、面白そうにアキラを見とめた。 「どしたの?起きるの随分遅いじゃない」 「悪いかよ」 早朝に起きたので二度寝したとでも言うようなものなら、爺くさいとからかわれるような気がしたアキラである。そしてニヴァはアキラの態度に慣れきっているので、別の話題でからかうような目をする。 「別にいいけどね。変に慌ててみっともないなーっ、て思っただけよ」 確かに慌ててはいたので、ぐっと詰まるアキラである。しかし、それでもからかうつもり満々のニヴァの視線を退け、朝食をカウンターから受け取ると、黙々とそれらを口に運んだ。 「ようどうした。珍しく遅かったじゃねえか」 ゲイルがそう言いながら、自分の席の近くにまで移動する。口にものを運びつづけているので、声に出さずに背の高い男を睨みつけるだけにする。うるさい、と言いたいのだ。 しかし、やはりゲイルもニヴァ同様、彼のその態度には慣れている。にやにやと笑いながら、つまようじを口に挟んだまま彼を見下す。上半身の丈も長いので、かがみこんで食べているアキラとの視線がいつもより低くなっているだけなのだが。 「夢見が悪くて二度寝でもしてたのか?」 むしろ、夢見が良すぎた。しかし、そんなことを言えるほど今の彼は口に余裕がない。パンと卵をミルクで喉の奥に流し込むと、今度はサラダに取り掛かった。どうして今日のような急いでいる日に限ってオートミール――米を牛乳で食べることなど彼にはあまり嬉しくないのだが――やコーンフレークスではないのかと、心の底で食堂を切り盛りしている宿屋の娘に文句を言いながら。しかし、サラダはなかなか飲み込めない。いつもより倍以上の速さで噛み続けるアキラの顔を、ゲイルは面白そうに見たままだ。それに対し、アキラもゲイルを睨んだままだが。 「そんなに急いでどうしたよ?お嬢ちゃん達と約束でもしてたのか?」 完璧にからかう姿勢でいる。しかし、やはりアキラにはそれを止める余裕は残っていない。サラダの残りとスライスチーズとベーコンを頬張ると、異様に膨れたその顔に思わずゲイルが吹き出した。 笑うな、と言いたいのはやまやまだが、しかし、やはり彼はそれを睨むことしか出来ない。残りの牛乳を口に入れて流し込もうとしたが、サラダの苦さに牛乳のまろやかな甘味は間違っても美味しいとは思えない。ベーコンとサラダの組み合わせも、細かくなるとあまり美味いとは言えない現状であるというのに。流し込みたいのを我慢しながらサラダの残りを舌で絡みとって喉の奥に強制的に収容する。それでやっと口が自由になるも、今度はデザートが残っている。 しかし唯一ありがたいことに、そのデザートはほんの少量の果実で、しかも桜桃に似ている形だった。それらはすぐに口に入れることができ、しかも口を利く余裕までできる。やっとのことで今までからかわれていた分に意見が言えるようになって、アキラは口に果実を含んだままゲイルの方を向いた。 「約束なんてしてない」 「ほう。ならなんでそんなに急いでるんだ?」 「寝過ごしたからだ」 あまり納得させることのできる理由ではない。しかし、それでも彼は急いでいた。今あの女性がどこにいるのか。もしかして、フロントにいるかもしれないし、自室にいるかもしれない。それを知りたくてやきもきしながら――自分でも不思議なくらい、あの女性が明るいところにいる姿を見たくて仕方がなかった――食器をカウンターに返し、不思議そうな顔をしているゲイルを尻目に食堂を出た。そしてフロントまで走ると、見知った宿屋の女将に掴みかかるような勢いで訊ねた。 「今日の朝、新しい客は来なかったか!?」 いつも大人しく、仲間に囲まれていても無愛想な顔をしていた少年が珍しく声を大きくしてそう訊ねてくるものだから、女将は少し驚きはしたが、正直に頷いた。 「ええ来ましたよ…朝一番に、とってもきれいな女の人が」 彼女だ。間違いない。アキラは更に訊ねる。 「今どこに!!」 そこまで問われて、さすがに女将は呆れるような目でアキラを見た。 「あのねえお客さん、食堂が混んでるときにぼーっと行き先見れるほど、あたしは暇じゃないんだよ。それとも何かい。その人がお客さんに何か酷いことしたって言うのかい。そんなら、今すぐ部屋の鍵渡してあげて、あのお客さんの荷物なり何なり探ってもいいけどね」 思わず唸ったアキラだった。 そういうわけではない。単に、もう一度会いたい、見たいと言うだけの感情だ。そして、そのためだけにあの女性を悪者にしてしまうのは気が引ける。 大人しくなった少年を見て、女将は不思議そうな顔をした。 「悪い人じゃないと思うけどね。あんなきれいな、女神さまみたいなお顔して、地味だけどいいもの着てたじゃないか。あんな優しそうな目じゃ詐欺だってできやしないよ。もしあんな人が詐欺師ならこの世の終わりだね」 そうだ。そう。その通りだ。そして、そこまで言うなら何故、見惚れて、これからどこに行くのか見ようとしないのか。外に出たのならフロントで待っていればいつか現れるだろうが、早朝に街に着いたのなら、部屋で寝ている可能性だってないことはない。しかし、目の前にいる女性は宿屋を切り盛りする、現実的なことを重視する女性だ。アキラのようにある程度の夢も希望もあり、美しいものに対する憧憬をいつまでも抱けるほど可愛い精神ではない。 大きく諦めのため息をついたアキラの背を、ごつい指が叩いてきた。ゲイルだろう。 「なんだ」 「美人の姉さん探してるのか?」 「・・・・・・・・・・」 そうと言えばそうなるが、肯定すれば、それこそニヴァやアルフリードと一緒になっていいおもちゃにされてしまう。返答に迷うアキラに、声は続いた。 「だったらあそこにいるぞ」 そう言われた瞬間、大きく体を反転させる。しかし、恐らく「あそこ」と言っていたフロントに面した階段の踊り場には、誰もいない。からかわれたのだと気付いたアキラが、顔を赤くしながらゲイルに突っかかった。 「あんたな・・!」 そしてそのゲイルは、からかったことを詫びるように両手を軽く上げてはいるものの、こらえきれないように肩を震わせ笑っている。 「いやすまんすまん…おまえさんがそんなになるまで気になってる美人さんがいるとはな…」 「違う!」 「なら何だ?帰る手がかりにでもなりそうな女だったのか?けどそれとはまた違ったみたいに見えたしなぁ」 胸倉を掴まれてもにやにやと笑ったままのゲイルを激しく睨みつけるアキラ。そこで、ようやく自分が過ぎたことをしたらしいと気付いたらしい。笑いを収めて、胸倉をつかまれたまま、降参のポーズを取った。 「ま、悪かった。俺としてはちょっとした遊び心のつもりだったんだ」 しかし、顔は全く反省の色を見せていない。自分の倍はある逞しい胸板を突き飛ばしてやろうかと思ったその時、聞いて間もない声が、本当に階段の踊り場から聞こえた。 「あの・・・・」 今度こそかと思い、反射的にその方向に振り返る。そこにいたのは、紛れもなく早朝の女性だった。月明かりは出ていたものの詳細が分からない闇だったが、明るい太陽の光が差し込んでくる場所に立つと、その詳細も見てとれた。そして、アキラは再び、阿呆のように口をあけて見惚れることになる。 明るい場所にいた女性は、それこそ光の集合体のように美しく眩しかった。淡い白銀の髪は燦々とした太陽の光を浴びて、太陽の光と同じくらいの輝きを閉じ込めたように輝いている。青い瞳は少し困ったことがあったのか、不安そうに揺れてはいるものの、そこに情けなさなど感じられない。むしろ頼ってほしいと思わせてしまうような目だった。 毛皮の外套は部屋に置いているのだろう、純白の絹のドレスは、ほっそりとした女性の外観を更に華奢く、清らかに見せる。ハイネックから覗く首も相変わらず細く、手の甲まである長い袖に包まれた腕も、子猫を持ち上げるのが精一杯ではないかと思わせるほど細い。しかし、腰のすぐ下にある大胆なスリットから覗く脚は、細く白いものの、甘い空気を感じさせる。色気とは程遠いが、それでもその脚だけ見れば誘惑されてしまうような気持ちになるのだ。 二度目の邂逅で、なんとかその美しさに慣れてきたアキラは少し目をそらしながらも顔が赤いことを自覚して、手で頬の辺りに向けて扇ぐ。そしてちらとゲイルの方を見ると、強面の傭兵崩れは、薄く口を開きながらその美しい人を食い入るように見ていた。 それだけの魅力が、この人にはあるのだ。 自分が声をかけただけで一瞬にして静まり返ってしまったフロントを見渡して、女性は少し困ったようにもう一度声をあげた。 「あの・・・・すみません」 次に声を出したのは女将である。さすがの彼女も、陽の光をまとった女性の美しさに呆然としていたらしい。白昼夢から覚めるように声をあげると、にこにことしながら女性に尋ねた。 「ああ、はい。なんでしょうか?」 「インクを分けてもらえないでしょうか。書き物をしていたんですが、足らないことに気が付いて・・・・」 「ええ。いいですよ。どうぞどうぞお使いくださいな」 そう言って、フロントのカウンターを抜けると、新しく蓋を開けたインクの瓶を丸ごと彼女に手渡しに階段を上る。それを見て、女性は驚いて首を横に振った。 「そんなに使いませんから。明日にでも買いに行きますし…」 「いえいえ遠慮せずに。うちにはインクの買い溜めがいーっぱいありましてね、けど個人のお客さんなんてそう頻繁に来ませんから、今使ってるので数年は大丈夫ですよって」 にこにこと笑いながら強引にインクの瓶を女性に手渡す。その手が重なると、女将の指と彼女の指は、大理石で作ったものと粘土で作ったものほどの違いがあるのがよく分かった。 そして、強引な押し付けに近い受け取らせ方に戸惑っていたものの、それが女将の純粋な善意であると判断したらしい。女性は感謝の笑みと言葉を残し、階段を上がっていった。 そして女性が自室のドアを閉めたらしい音が聞こえると、それを見守っていた女将とアキラが大きく息を吐いた。無論、感嘆のため息である。 しかし、やはり女将は精神的に強い。いつのまでもその美しさを堪能する余韻を引きずることもなく、しゃきしゃきと動き出した。 「さてと!晩の買出しと掃除しなきゃねぇ!」 どうやら、あの女性を見ることで気合が入ったらしい。実に逞しい。 「ああお客さん!そんなところにぼーっと突っ立ってないで、外に行くなり部屋に帰るなりしてちょうだいな。一階から掃除するからね。マーリエー!」 食堂にいた娘を呼ぶ女将の声が遠ざかっていくところで、ようやく正気に戻ったらしい。ゲイルが深く大きなため息を吐いて、アキラを見た。 「・・・・成る程な。あんな別嬪さんならおまえが必死になるのも無理はねえ」 「だから違うって言ってるだろ」 むっとするアキラを差し置いて、しかしゲイルは深く考える体制になっていた。あの女性の美しさに魅了されたはされたらしいが、それとはまた別の種類の思考の色が瞳から伺える。 「しかし・・・・どっかで見たことある顔だな」 「そうか?」 「ああ。・・・・かなりの昔だが・・・・・いかん、俺も年だな」 それはもともとだろ、とは言えないアキラである。本人はかなり気にしているらしいことを、つい最近知ったからだ。 「・・・・・なんだったかな。どっかの、肖像画かなんかだが」 「肖像画?」 ということは、どこかの王族の女性か。まあ確かに、あの立ち振る舞いや醸し出す雰囲気は、実に上品で高貴なものを連想させる。しかし、その割には名家の生まれである少年少女達のような、どこかこちらとは一線を隔てた態度は全くない。 「おいアキラ。あの別嬪さんから、名前は聞いたことないのか?」 本格的に過去の記憶を探っているらしくバンダナから覗く頭をぼりぼりと掻くゲイルに、アキラはあの時の驚愕を思い出しながら言った。 「ああ。プラティセルバのリトル・スノーって言ってたけど、なにか・・・・・」 関係でもあったのか、とは言えなかった。 何故ならゲイルの表情が、恐ろしく真剣で、同時に信じられないと言った表情で、自分を見ていたからだ。 彼女に当てていたような食い入るような目付きを自分に向けられて、少し居心地が悪かったアキラではあるが、何も自分がそう判断したのではない。あの女性が言ったことなのだ。 しかし、いやに真剣なゲイルの驚愕の表情に、アキラの背筋もざわりと粟立った。もしかしてもしかすると、あのリトル・スノーなのか? 「プラティセルバの・・・・・リトル・スノーだと?」 長い沈黙の中、呻き声に似たゲイルの言葉に、アキラは念を押すように頷いた。あれ自体が夢でなければ、自分がそれを聞いたのは間違いではない。何より、あの時の胸騒ぎは夢では味わえないような緊迫感を持っていたのだ。 「・・・・・おい、もしかして・・・・・」 アキラが焦りながらゲイルを見るが、そのゲイルは動揺を押さえ込むと、顔色が悪いながらも大きく一つ息を吐いた。そして次に、冷静な目でアキラを見返す。 「俺の判断だけでは確証が待てん。俺は神官の連中を呼びに行くから、お前は教官の姉ちゃん達と他の連中を呼んでこい。大人だけだ。二階のテラスに集合しろ」 「・・・・・・分かった」 そうだ。もしかすると、勘違いかもしれないのだ。まさかあの女性が、本当に本物のリトル・スノーだとしたら、今までのルネージュの神官達の行動はどうなる。間違って呼ばれてしまった自分の立場はどうなる。 自分も少しずつ焦っているのを感じながら、アキラは食堂に足を踏み入れる。ちょうどイグリアスとリューンエルバは、女将が食堂の掃除に取り掛かるからという理由で席を立ったところらしく、強張った表情のアキラを見て不思議そうな顔をした。どちらも抜群に美しいことは美しいが、あの女性のような、不思議と魅了されてしまうような空気は持っていない。 「どうしたの?何か用事?」 「・・・・・相談したいことがある。あと、あんたたち、マックスとシェキルを知らないか?」 イグリアスが知的そうな眉をしかめる。どうやら、マックスとシェキルの共通点が分からないらしい。 「何故彼らも呼ぶの?」 「この旅で生徒以外の連中を呼んで来いって言われたからだ」 「誰に?」 「ゲイルに」 正直に答えたアキラではあるが、教官二人は更に意味が分からなくなったらしい。お互いとアキラの顔を見て、それでも不可解の色を瞳に現しながらリューンエルバが訊ねた。 「どうしてあの傭兵さんが私たちを呼ぶのよ」 「いいから話せば分かる!」 なるべく焦りを抑えようとしてはいたものの、それでも疑問しか持たない二人に苛立つアキラは鋭い声をあげる。それで、ようやく彼が余裕をなくしながらも感情の爆発を抑えているらしいと察し、二人は互いに目配せすると浅くアキラに頷いた。 「分かったわ。すぐ行きましょう。で、どこに集まるの?」 「二階のテラス。人がいなくてもいておいてくれよ」 そう言い残し、マックスとシェキルを探しに玄関に向かおうとするアキラ。しかし、その肩をリューンエルバが止めた。 「マックスは自室で銃の手入れをしているはずよ。シェキルもここからは出ていないわ」 分かったと頷くと、階段を今朝下りるよりも早く上り、二人の部屋のドアを同時にノックした。 恐らくリトル・スノーがいるであろう、一番奥にある部屋を凝視しながら。 集まった一同に、ゲイルは渋い顔で咳払いをした。そして、唐突に口を開く。 「リトル・スノーの情報を、改めて教えてほしい」 その言葉に、事情を知らない者たちは当然のことながら驚きの反応を示した。ファインは顔をしかめ、ニヴァは肩をすくめ、マックスは頓狂な声をあげる。 「おかしなことを言うな。あんただってそれなりの国に仕えてたんなら、知らないことはないだろ」 「それでもだ。急なのは分かってる。教えてほしい」 「はあ?」 何故今更それを、理由もなしに教えねばならないのか。青空教室ではないのだ。理由を話そうとしないゲイルに憤慨しかけたマックスの表情を見て、その気持ちも分からないでもないので、イグリアスは軽く挙手をした。 「その前に、何故今ごろリトル・スノーの情報を皆で公開しなきゃならないのか、その訳を教えてくれない?」 その問いに、ゲイルは彼らではなくアキラをちらと見る。言っていいか、と問う表情をしていたが、彼が答える前に、今まで黙り込んでいたル・フェイが、震えるようなため息をついた。 「・・・・・・・・いるのじゃな」 その場にいた全員からの視線を浴びた彼女の顔色は、優れていなかった。宿屋に戻ってきた時から、アキラが今日は調子が悪いのかと思うほどの青白い顔をして、ゲイルが言葉を発するのを待っていたのだ。 細いが健康的な肩を自分の腕で包み込むと、ル・フェイは虚空を見るような眼で廊下の奥を見る。そう、彼女がいるはずの部屋に。 「いる、とは?」 ちゃっかりと隣にいるファインが、ル・フェイの肩を支えようと――それは善意なのか下心なのかはまた別として――手を伸ばすが、その手を弾き飛ばす余裕は何とかあるらしい。ファインの両手の甲に平手打ちを食らわすと、ル・フェイは壁にもたれかかった。 「この神気・・・・・・今まで出会ったどんな神殿、神器からも感じられぬほど眩いものじゃ。雑魚の魔物など、近づいただけで焼かれるぞ…」 喘ぐようなその言葉に、ようやく事情を知らない者たちはゲイルとアキラが何を問題にしたいかを分かってきた。しかし、やはり否定的に首を横に振る。 「そんな、馬鹿なことが・・・・・・」 「リトル・スノーはもういない。一次大戦が終わる頃に失踪したんだぞ!?」 「ならば、この気は何であろうな」 同じく顔色の悪いスタインが、うっすらと汗を額に浮かべながら低く笑う。背筋は相変わらず真っ直ぐで、サングラスのようなもので目元が覆われていてよく分からないが、重く圧し掛かるプレッシャーに潰されまいと、必死になって耐えているように見えた。 「まるで・・・・現人神を前にしているような気分だ。愚僧もある程度徳の高い僧達に謁見したことがあるが、・・・・・それの比にもならん。・・・・・汚れの一転もない、光のみがあの扉の奥にある」 その言葉に、やはり顔色が悪いシェキルがか細く笑う。彼女など、ほとんど立っていることもままならないらしく、いつの間にか地べたに座り込んでいる。 「ほんとうに・・・・・・・。何か恐ろしいものが近くにあるとは思いましたけど・・・・・こんなに凄いなんて・・・・・・」 聖に属する魔法を使う三人が、苦しげにそれらの感想を述べている。聖なる魔法を使うからこそ、その圧倒的な何かに勘付いているらしいが、他の神官二人はけろりとしていて、三人を気遣わしげな目で見ているのみであった。 それにゲイルが眉を吊り上げる。 「あんたらは何も感じないのか?」 「なーんにも。悪かったね、魔力なくて」 「俺はある方ですがね。生憎、ル・フェイ殿ほどの圧迫感は感じないようだ」 むしろファインは闇の魔法を使う。しかし、相反する属性ならば何か嫌なものでも感じるものではないだろうかと密かに思った一同の言葉を、ル・フェイが苦しそうではあるが端的に述べた。 「お主のような邪気の塊ならば、浄化されてもおかしくはないというのにな」 「ひどいことを仰る」 心の底から傷ついたような顔をしたファインではあるが、それに対する同情など一同は持っていない。それどころか、ファインには失礼だとわかっていながらも少しすっきりした気分になっている者は少なくない。 そして、今までの会話をやきもきしながら聞いていたアキラは、恐らく彼らにとってごく初歩的なことかもしれない知識に対し疑問を投げかけた。 「・・・・・・だったら、リトル・スノーは神聖魔法の使い手なのか?」 その問いに、イグリアスと彼女であろう人の影響を受けている神官達が頷く。 「正確には一次大戦当時に神聖魔法というカテゴリーはないわ。そのオリジナルとなった力、神が持っているはずの聖なる力そのものを操ることができたというのが、リトル・スノーの伝説の一つよ」 その言い方が少し腑に落ちない。アキラは更に訊ねた。 「それと神聖魔法とどう違う?どっちも、意味は同じだろ?」 「いいえ。神聖魔法はコリーア――今はアースね、彼らなどの天界にいる神に従属する力を七割は自力、精神力で補うもの。オリジナルは神が持っているはずの力そのものよ。つまり彼女は神の力を直接引き出すことができたの」 「そのようなことができるのは普通の人間にはおらぬ。・・・・・過去は強制進化などという忌まわしき儀式や、コリーア神直属の数少ない者達には可能だったらしいが」 「神と対等な力を自在に操ることができるのは、本当に限られているんです・・・・・。その人の器自体も、神の力を持つに値する力を持っていなければ・・・・・」 その説明を聞くだけでも、最も有名な「異界の魂」であるリトル・スノーが、どれほど国にとって魅力的な力を持っていたのかが分からないでもない。そして、そのひとに禁忌を犯してまでも戻ってほしかった神官達の心境も。 しかし、結局それらの理由は力を欲するがためである。熱狂的な者達がいようと、それは軍事力としての存在なのではないかと、アキラは考えた。 「そうね・・・・・アキラ君のためにも、一応、リトル・スノーの基礎的なことはおさらいしておいたほうがいいのかもしれないわね」 ここでようやく、ゲイルが一番最初に自分達に欲求した言葉の意味が分かったリューンエルバが薄く笑う。彼女もいつもと変わりのない態度には見えたが、緊張しているのは目を見れば分かった。 そしてゲイルはああ、と頷く。そして、もう一つあるらしく、人差し指を立てて彼らを見た。 「あと、自分のリトル・スノーにまつわる経験も、あるんなら話してくれ。俺とアキラがそれらしい女を見ているから、記憶に照らし合わせればある程度分かる」 「そんなのないって」 ニヴァが口を尖らせるが、そのゲイルの言葉にマックスが何かに気付いたように目を見開いた。 「ってことは、あんたはあるのか?」 「ああ。ちょっと昔に、ある国の騎士団長なんざやってたもんでな。城で国王に謁見するときに、宝物倉みたいな部屋に入って…」 ゲイルがリトル・スノーを知ったのは、それがきっかけだった。過去の歴史なぞには興味がないが、美しい女性であればそれよりは興味がある。数ある応接間の一つに銀の額縁で飾られていた、豊かな白銀の髪の女性がやや緊張した面持ちでこちらを見ている絵を発見した。数ある著名らしい髭面の王たちの肖像画が飾られている中で、唯一きれいな人間の女性の絵があったのが心底意外だったので、これはどこの王女様だ、と従者の一人に尋ねたところ、ルネージュ公国の最も有名な女王です、と説明されたのだ。 それを聞いたファインは、少し棘を感じさせて笑う。 「実にあなたらしい経験ですね」 「悪いかよ」 しかし、その経験はシェキルになにかを思い出させたらしい。顔色が悪いながらも、弱々しく声をあげた。 「それなら、私も聞いたことがあります…私は魔族と人間のハーフですから、未だにそれを面白く思っていない人が多いので…」 苦々しげに頷くリューンエルバ。人魔のハーフを差別する魔族や人間は、ほんの十年前はかなり目立っていた。しかし、能力第一主義となった教育方針もあってか、彼女が受け持つような若い人々にはさほど差別的なことはない。どちらかと言えば、その親や、もう一つ二つ前の世代に種族差別が多いのだ。そのおかげで、外泊演習の際でも宿屋の方針で苦労する場合が多い。 「リトル・スノーは、コリーア教の聖地であるルネージュ公国に魔族の居住を許し、大半の住民が反対し他の国に移住しても、魔族を受け入れたと…」 「ああ。人魔平等を一番最初に唱えたのはその女王だったな」 「はい…そういう人が数十年も昔にいたのだから、他の人に酷い目に遭っても、理解してくれる人がいるはず、と親によく言われました…」 成る程、とゲイルが頷く。それを補足するように、リューンエルバも口を開く。 「その手の話は多いわねぇ…。リトル・スノーは手の内に魔族を飼っていたとか、高位魔族と面識がある、とか。異種族同士の婚姻関係は、リトル・スノーの思想によって表沙汰にできるようになった、とかもあったかしら?」 最後の言葉は確認であろう。隣のイグリアスにそう尋ねると、そのイグリアスは浅く頷いた。 「ええそうよ。人間と魔族が直接憎みあって大戦が始まったのではなく、大魔王ジャネスと聖神コリーアの眷属である魔族と人間が神々の戦いに巻き込まれたのだ、という説は彼女の言動が根源とされているわ。もっとも、それが定着しだしたのはつい最近のことだけど」 そう言えば、そんなことをほんの少し前にリュートが言っていた。彼女はごく当然のようには言っていたが、あれは新しく広まった考えなのか、とアキラは納得した。自分が最初に考えたように、魔族だから人間だからと差別したり、憎みあったりすることは、この世界の少し前なら、当然のことだったのだ。 「リトル・スノーは歴史の表に出た上で最も有名な『異界の魂』として知られているわ。出現はルネージュ公国。彼女の出現と同時に亡くなった前王は遺言も何も残していないから、有力候補を何人か挙げて最も支持の多かった者が王になるはずだった。けれど、候補に入っていないはずの、正体不明で謎に包まれた少女リトル・スノーの即位を求める声があまりにも多いため、大臣クラスの人間もさすがに引き下がらず終えなくなったの」 「その即位を求める声って言うのは、誰からだ?」 アキラの質問に、イグリアスは少し考えてそれから答えた。 「確か、国民からよ。国内の上層部は前国王の甥を推薦したけど、その甥が長い間国を離れていたせいもあって国民は彼に愛着を持たなかった。なら何故、得体の知れないリトル・スノーが選ばれたのかと言うと、それは彼女が『異界の魂』であったことと、彼女が人を惹き付けてやまない魅力があったからだと言われているわ」 人を惹き付けてやまない魅力。 その言葉に、アキラは思わずイグリアスを見る。そしてゲイルの方は、彼女を見てはいないがその言葉に耳を集中させていた。 「彼女が『異界の魂』であるという情報は、当時は各国首脳クラスにしか教えられていない重要機密だった。ルネージュの上層部が結果的に彼女に国を任せたのも、自分達の上司である前王が命をかけて『異界の魂』である彼女を召喚したからだという要因もあるわ。王が命をかけた以上、彼女にその責任を引き継いでもらい、国が栄えるために有効活用しよう、ということになったのね。そして上層部の人間はほぼ全員が神官でもあるから、ルネージュ公国を治める上で重大な資格の一つとなる、国内トップクラスの魔力を備えていた以上、何も言えなくなかったのよ。それと同時に、彼女自身の魅力の件だけど・・・・・」 肝心な問題なのに、とやきもきしながら二人が聞いているというのに、そこでイグリアスはふう、と大きくため息を吐く。 「こればっかりは、どうにも参考文献がはっきりしなくてね・・・・・・当時は高慢な思想が多かった魔族ですら彼女に膝をついた。他国からの同盟が一気に増えた。彼女を慕うあまり、魔族を受け入れなかったはずの国民達より多くの人間がルネージュに移住した。慈愛溢れるその御姿を一目見るだけで国民の心は一斉に奪われた。当時の魔王ジャドウが彼女の美しさのあまり拉致未遂をした…カリスマ性と天性の魅力を混ぜ合わせたような信憑性のない伝説はいやというほどあるわ」 それはリトル・スノーを見ていないからだ。アキラは思った。もし彼女が本当にあのリトル・スノーだとすれば、それだけのことを一気に信じることができる。事実、彼はその伝説とやらを一つも嘘がないものとして受け止めた。 「そのリトル・スノーについての、・・・・・その、なんだ、色は、具体的にはわからないのか?」 ゲイルもその伝説は嘘ではないとひしひしと感じ取れたのだろう。それに、ニヴァが顔をしかめる。 「肖像画見たことあるんなら別にいいんじゃないの?」 「覚えてねえんだ。真っ白って言ってもいいほどの髪しか、今は印象にねえ」 当時見たときは美しい肖像画と、心どころか吐く息すら委ねてしまいそうなあの女性とは、印象のあり方が全く違う。ゲイルの発言は正しいと思ったアキラは、イグリアスに目で答えを促す。 「あるわよ。小雪のような白銀の髪に、雪の平野によく似合う朝焼けのような青の瞳。肌も極めて白く、全体的に華奢く儚い印象、らしいわ。ちなみに、ルネージュ公国にナナの森と呼ばれる一年中銀世界で覆われている森があるらしくて、その森の奥にクイーンローズの塔と呼ばれる古代遺跡があるの」 「白銀の森とクイーンローズ、ねえ…その女王さまとやらの魅力と同時に、その地に定着しやすい色合いと外見を持っていたのも王に選ばれる理由になりそうだ」 その通り、とファインの言葉にイグリアスが頷く。 「けど・・・・・・これだけで、貴方達が見たリトル・スノーが本物かどうか、判断がつくかしら」 「そうだな。・・・・生まれたときから絶大な魔力を持ち・・・・・髪や目の色が同じだからと言って、お前こそがリトル・スノーの生まれ変わりだと周囲に教え込まれ、本人もそう信じて今まで生きてきた、というものもあるかもしれん」 スタインが首筋の汗を拭ってそう呟く。彼やル・フェイのような神聖魔法の使い手としては、神の力そのものを操るリトル・スノーの存在は恐ろしくて仕方がないらしい。これで偽者ならば気持ちの上で落ち着くが、問題とされている女性がもし本物のリトル・スノーであれば、抗うことも否定することもできないのだ。ただ、そのプレッシャーに飲まれていくだけとなってしまう。下手をすれば魔法が使えなくなるかもしれない。 それだけは勘弁してほしい。彼らは貴重且つ重要な戦力なのだ。ここは一つ、リトル・スノーのまがいものであってほしいが、先ほどから聞いている確信が持てるものが少ない話でも、彼女が本物ではないかという思いが非常に高い。 不意に彼女の言葉を思い出し、アキラが独り言のように呟いた。 「・・・・・プラティセルバっていうのは、どこのことだ?」 「大陸全体で言うルネージュ公国の地名兼首都よ。それだけでもルネージュ公国と同じ意味になるわ」 つまり、あの女性がルネージュ公国で最も有名なリトル・スノーであると、自ら言っていたことになる。しかし、そうなると自分に納得させた『リトル・スノー』という名前の普及性は低いということか? それについて尋ねてみると、マックスが呆れたような顔でアキラを見た。 「それじゃあな、おまえのいたチキュウでは、もの凄く有名で歴史に名を刻む人物の名前を、ひょいひょい自分の子どもに付けることができるほどデリカシーのない奴が多いのか?」 そう言われて、アキラは具体的な例を考えてみる。日本で有名な――もうこの際どうでもいいし誰でもいいが、織田信長という人物がいる。もし織田という苗字の一家に、男の子ができたとしよう。逞しく、偉くなってほしいからと言って、信長、と親は容易に名前を付けることができるか。名前の珍しさと、既に歴史上の人物として固有名詞と化した名前であること、そして現代に馴染みのない言葉ということもあって、その名前を付ける親はいないと思われる。つまり、リトル・スノーが異界の魂として固有名詞になっているのであれば、その名前をそうそう簡単に付ける親はいないということか。 黙りこんだ一同の中で、ニヴァが苛立つように頭を振った。 「大体、なんで今更、そのリトル・スノーがいるわけ?いなくなっちゃったんでしょ?もうとっくの昔に」 頷くマックス。 「ああ。詳細は謎だが、ちょうど魔王軍と当時ムロマチを旗印にしていたシンバ帝軍が最後の衝突をしていた時に、いなくなっちまったそうだ」 「魔王軍?」 アキラの疑問の声に、シェキルは少し驚いた顔で彼を見る。 「どうか、したんですか?」 「魔王って、さっきの・・・・・ジャドウとか言う奴か?」 「ええそうよ。本来なら新生魔王軍の総大将である、大魔王の娘ヒロ・・・・・・・」 と、その名前を口に出したところで、イグリアスも、それどころかその場にいた全員に同じ考えが浮かんだ。 ――ヒロなら、リトル・スノーを本物か偽者かどうかの判断がつくのでは。 彼女もかなりの高位魔族であるし、詳しくは知らないが、当時のムロマチ軍に参戦し、大いに戦いに貢献したと聞く。ならば、ルネージュに攻め入ったこともあるだろうし、リトル・スノーとの面識の可能性もなくはない。 そしてそれが頼める人物であるリューンエルバに一瞬にして全員の目線が集中したが、その彼女はそ知らぬ顔であさっての方向を見ていた。自分にそれを押し付けることが容易に想像できて嫌らしい。 「頼むだけだろ!いいじゃねえかほんの一言ぐらい!」 「本物のリトル・スノーか判断する必要があるのよ!?なに私情で嫌がってるの!」 「いい年した大人なんだから!そんなことで嫌がらない!」 「仲間を助けると思えば軽いもんだろ!?」 「人を楽にさせたいとは思わぬのか!」 「お願いします!どうか、真偽の程を知るぐらいは・・・・・」 「美しい人、もし貴女があの激しい人にそれを頼めるならば…」 「だってだってだって…!!」 怒涛のような文句と懇願に苛まれながら、何とか自分の意思を発言しようとしたリューンエルバの声を、この中にはいない別の女性の声が鋭く遮った。 「五月蝿い!朝っぱらから喚(わめ)くな!」 問題のヒロ、その人である。 魔族には夜行性の性質などないのだが、どうしてか、この人は皆と同じ時間帯に寝ているはずなのに、起きる時間が他の面々よりもかなり遅い。しかも、起き抜けはかなり機嫌が悪い。そしてリューンエルバはそれを知っているからこそ、寝ている彼女に近づきたくなかったらしい。その噂を聞いたことのある何人かは、リューンエルバからその理由を永久凍土で寝すぎたからそれを引きずってるんじゃないのか、と聞いたことがあるが、それにしたって十年以上寝ているくせに未だ寝たりないのは何故、と普通なら思う。 そして今、ただでさえ起き抜けは機嫌が悪い上に、あまり心地よい方法で起こされなかったらしい大魔王の娘は、いつもよりも更なる目つきの悪さを持って喚いていたテラスにいる全員を一睨みした。 「貴様らが何をぎゃあぎゃあとしているかは知らんがな、深刻な問題ならここでやるな。わたしに迷惑だ」 あんたは寝すぎだから別にいいだろう、とは誰も言えない。 そしてその一喝で一瞬にして静まり返った一同の中で、彼女と同じ人魔のハーフであり、この中で最も余裕をなくしつつあるシェキルがおぼつかない足取りでヒロに近づこうとする。 「お待ちください・・・・姫様」 姫様、というのは同じ魔族の血を引く者として、シェキルなりに最大限の敬意を示した呼び方である。他の魔族の血を持つナギやタルナーダ、イグレーヌも、種族問題に対しあまり気にしていない姿勢を取ってはいるが、ヒロに対しては一線を引いている。同じ魔族でありながら、王であり一族の根源である大魔王ジャネスに最も近しい血を持つヒロには、本能的に畏怖の念を持ってしまうらしい。 そして彼女もそう言った本能的なものを持っていながらも、リューンエルバが為さなかったことを、彼女が自ら行おうとしているのは誰の目にも明らかであり、同時にある意味尊敬できる行動だった。しかし、その期待を一身に背負った顔面蒼白なシェキルを見ても、ヒロは何の感情も起こらない。訝しげに眉をしかめ、三角眼となった目で風変わりな格好の少女を見た。 「・・・・・あの、扉の向こうから、何も感じはしないでしょうか」 「感じぬ」 実に端的である。 「では・・・・・リトル・スノー女王陛下の気配は・・・・・・」 その言葉を聞いたヒロの顔こそ見物だった。冷水を顔に浴びせられたように目つきを驚愕に変えて、唖然と口を開く。見た目にも不機嫌と分かっていた先ほどの表情から、一秒も経っていないのにその顔つきの変わりようである。 露骨に表情を表に出したヒロの姿に珍しいと思っている面々を差し置いて、ヒロは急に、問題のリトル・スノーがいるであろう部屋のドアを壊す勢いでノックする。 「スノー!いるか、いるんだろう!?スノー!」 その言い方にも、彼らは面食らった。伝説のリトル・スノーに対し、フルネームではなく、愛称のような下の短い名前だけで呼ぶ。ということは、それなりに親しい仲だったのだろうかと考えた彼らではあるが、それもおかしいとすぐに気付く。何せ、大陸を巻き込んでの戦争中である。そんな中で激しい憎悪の関係が生まれることは予想に容易いが、親しい関係となると、同じ軍にいた経験があるならまだしも、敵対する軍同士の中でとは、なかなか想像できない。 しかしテラスにいる全員がその矛盾に頭を悩ませている中、ヒロは全く開く気配がないドアノブを壊し――そこでイグリアスが呻き声をあげた――、強引に中に入る。 慌ててテラスからその部屋の内部が見える廊下にまで全員が足を進めると、その中の光景を見て彼らは絶句した。理由は二つ。 一つは、あの冷静で人を寄せ付けようとしないヒロが、涙目になりながら熱烈なキスを女性に浴びせ、しっかりと抱擁していること。 もう一つは、まるで雪そのものを擬人化したような美貌を持つ、現実に存在していいものかと思わせる儚げな女性が、こぼれるような笑顔でヒロにキスをしていること。 ありとあらゆる意味で豪華な二人の女性の熱烈な再会の場面に、事実上野次馬となった面々は、ただその再会の挨拶が終わるまで、茫然と突っ立っていることしかできなかった。 |