Ratri

 

 一旦ヒロが落ち着くまでに、かなりの時間を要した。

 ヒロはどうやら彼女と親友らしく、もう離さない、おまえがいなくて寂しかった、大好き、などの本当に「親友」などという穏やかな関係なのかと問い質したいような気持ちにさせる言葉を一時間弱囁いていたが、リトル・スノー本人が他の人を立たせたままにしておくのは迷惑だから、と落ち着かせた。彼女が強引な方法でしなかったこともあってか、ヒロが涙をようやく止めた時には、太陽は空の最も上に位置するところにあった。

 そしてリトル・スノーがヒロを宥めている間に彼女に対する質問をまとめた面々は、イグリアスを代表に立てて、リトル・スノーに向かい合った。彼女の隣には、番犬のようにヒロがいる。

「ではもう一度お尋ねします。あなたが、リトル・スノー女王陛下ですね?」

「はい」

 リトル・スノーは穏やかに頷く。その澄んだ瞳や美しい声からは、何の迷いも後ろめたさも感じられない。そして、当然のことなのに、という憤慨も、緊張している彼らを見下す視線もない。彼女にとってその質問はごく当たり前であり、その当たり前の質問を真剣に尋ねる彼らの心境も察しているかのようだった。

 打てば響くようなその返事に、少々覇気を折られた気分になったイグリアスではあるが、それでも表情には出さなかった。

「リトル・スノー女王陛下は第一次ネバーランド大戦の終結の際、行方不明になったと聞きます。なのに、何故、いま私達の目の前に、貴女様はいらっしゃるのですか?」

「名前で結構です。・・・・・・そうですね、言ってもわたしは構いませんが、他言しないと誓っていただけますか?」

 後ろに目を通すイグリアス。それは今から考えるのではなく、確認の意味である。その条件が突きつけられるのは予想済みだったのだ。

「はい。致しません」

「ではご説明しましょう」

 随分とあっさりしている。

 そう拍子抜けしたイグリアスと他の面々に、リトル・スノーは少し笑った。その心中を察しているような、複雑そうな笑みだった。

「ごめんなさい。正体を知られてしまった以上、わたしからも、皆さんに早く事情を知って頂きたいと思いましたから…」

 かなり腰の低い女王である。同じく君主経験もあり、一次大戦では彼女と同じくらい著名であるヒロとは大違いだ。活躍方法と性格の違いか?とイグリアスの後ろで聞いているほぼ全員が思った。

「まずわたしが失踪した理由ですが、・・・・これも長くなるかもしれませんけれど、わたしは命をかけて魔王を封印したからです」

 命をかけて。今の外見上では全く自分達と変わりなく生きているように見えるのに、もう自分がこの世にいないものだと真面目な表情で発言するリトル・スノー。そして、それを冗談と思わず、真剣に聞いている自分達。アキラはこの構造が、ひどく滑稽に感じられた。

「わたしを召喚した大魔王ジャネスの息子、魔王ジャドウを、わたしが自らの魔力を枷として機能させ、ヒロに冥界に送ってもらいました」

 そのヒロは、古傷が疼くように痛々しい表情でリトル・スノーの手を握り締めている。冥界に送るということは殺すということ。恐らくヒロは、自らの手で兄と親しい友を殺してしまったのだ。ヒロがリトル・スノーを見たときに取り乱して泣いた理由も、分かる気がした。

「わたしはヒロには感謝しています。勝手に戦場に出て来て、彼を助けてほしいと言ったわたしの我侭を、ヒロは聞いてくれましたから…ありがとう、ヒロ」

 優しく切なげに微笑むリトル・スノーに、いい、とヒロは少し笑う。

「そして、ジャドウと共に冥界に行ったわたしは、転生することもなく、天国と地獄に分けられることもなく、ただそこで長い時を過ごしていました。けれどある日、冥界王と名乗る人がわたし達の前に現れ、またネバーランドを見たいかと言ってきました。わたしが頷くと、冥界王殿はその手配をして下さいました」

 死人に死後の世界を聞く。やはり、この体勢は道化のように滑稽だと、アキラは思った。

「冥界王殿は生前のかたちのままの肉体をわたしに下さって、それから十数年に一度、プラティセルバ以外の土地に降り立ち、その時々のことを住民から聞くことができました。そして、一ヶ月経つとまた冥界に戻ります。その経験が、今回で三回目です」

 そう言い終わると、視線をイグリアスやその後ろにいる他の面々に向けて、ほんの少し、首をかしげた。

「ここまでで質問はありますか?」

 その言い方と言葉づかいだけで、あまりの美しさと可愛らしさに眩暈がしたアキラである。憎々しいはずなのに、どうしてか彼女にはそれを越える魅力がある。そしてその魅力に、何故かアキラは勝てないでいる。普通に考えて、負の感情の方が強いのではないのかと言いたくなった。

 そして、同じく魅了されているのか、質問を受け付けられたアキラ以外の人々も、惚けたようにその場に棒立ちになっていた。

「あの・・・・?」

 リトル・スノーの空よりも海よりも美しい目が、焦ったように彷徨う。どうやら自分の話があまりにも現実味を帯びていないことに、聞かされている面々が事実か嘘か判断しかねているのかと思っているらしい。それもあるが、それとはまた別の理由が一番大きいことを、彼女はわかっていないようだ。

 そして思わず赤くなった頬に手を当てながら、先頭にいるイグリアスが挙手した。

「何故、国民を見捨ててまで魔王封印を?貴女が存命した上でシンバ帝が大陸を統一しても、ルネージュ公国は貴女に任されるのではないでしょうか」

「自らの地位よりも、あのひとの方が大切でしたから」

「は?」

 当然のように微笑むリトル・スノーに、イグリアスは茫然とし、ヒロは小さく舌打ちした。その舌打ちは忌々しげな響きを持っている。リトル・スノーの為政者としての能力を無駄にしていると思っているのか、それとも――。

「ジャドウとは・・・・まあ、その、そういう関係でした、から。あのひとの誘いを断ったことを後悔していましたから、今度こそ、あのひとのことで後悔しないようにしようって、わたし個人で勝手に決めて、国を出て行ったんです」

 随分あやふやな言い方ではあるが、つまり魔王と異界の魂は恋人同士だったわけだ。その上、魔王が彼女を拉致しようとしたのは事実であったらしい。この場合、プロポーズと考えていいものかどうかすら分からないものの言い方ではあるが、そう考えるのが妥当な判断である。そして彼女はそれを断った。恐らく、当時は国民のために生きようと思ったのであろう。しかし自軍がムロマチに従属した後、彼らが酷い扱いを国民にするわけでもないと知ったリトル・スノーは、唯一の後悔である魔王を助けるために馳せ参じたらしい。

 聞く上では美談であるし、彼女の大戦時の功績を考えると、最後にその行動を取っても咎めることでもない。後悔のないように死んでいった彼女は、実に清々しい気持ちでいるのだろう。しかし、それでも彼らはその話をリトル・スノーから聞き、リトル・スノーを見ていると、何か荒んだ気持ちになってきた。手放しに感動できないのである。それは何故か。

 この中でヒロのみが、その思いを正直に言うことができた。

「そういう顔をするな、スノー。あいつを冥界から引っ張り出してたこ殴りにしてやりたくなる」

「たこ殴りなんて・・・・・一人じゃできないでしょう?」

 言葉の矛盾を感じながらヒロを見るリトル・スノーの向かいにいる全員が、心の中でヒロの発言に頷いた。つまり、リトル・スノーからの限りない愛情を受けている魔王に対しての嫉妬である。

 何しろ彼女ときたら、今まで以上の美しさを見せながら魔王を語るのだ。雪の肌の頬は咲き始めの薔薇のように赤く染まり、宝石よりも深い青を持つ瞳は更なる輝きとほんの少しの恥じらいを見せ、口元に浮かべる笑みはその魔王がそこにいるかのような照れに似たものを見せている。その表情からは、まるで処女神が初めての恋に想いを馳せるような、初々しさと愛情が感じられた。

 とりあえず、話の流れを元に戻そうとしたらしい。リトル・スノーは咳払いをすると、イグリアス達の方を改めて向きなおした。

「それに、あの場で大魔王ジャネス直系のヒロとジャドウ、どちらがどちらを倒しても、結局は導き役がいなくてはなりませんでした。新しい時代の波に、あのひとは抗い続けることは分かっていましたから、魔王軍が負けることは予想がつきました…」

「導き役?封印ではなく、ですか?」

 ええ、と頷くリトル・スノー。彼女の代わりに、ヒロが口を開いた。

「膨大な魔力を有する魔族が死ぬと、それが冥界にまで行かず、怨霊になってこの世を彷徨い、果てはモンスターの一種になりかねない。わたしの父の時も、わたしの姉が導き役となることでそうなることを免れた」

「封印とは冥界に魂ごと送り、転生を防ぐ行為でもありますから。転生すれば、また膨大な魔力が無防備に現世に解き放たれることになってしまいます。どの種族に転生したのかも分からず、前世が何であったかすら分からず、力を持つ魂を無闇に刺激すれば、また新しい悲劇が生まれてしまう・・・・」

 そうなることを想像しただけでも顔を曇らせるリトル・スノー。彼女の危惧することは大きく、大陸規模で世界を見ているのだろう。しかし、戦争は各地域の規模に収まり、個人での戦いに慣れている彼らには実感の湧かない危惧である。

 それぞれ顔を見合わせた彼らではあるが、この際何も言わないことにした。そして次に、ル・フェイが手を挙げる。

「ヒロ殿に貴女の存在がばれた瞬間に、今まで覆っていた魔力が霧散したのだが・・・・・どうしてか、教えていただけまいか」

 そう言ったル・フェイの表情は、先ほどの弱々しさは何処へやら、すっかりいつもの彼女に戻っている。スタインも、シェキルも、今では冷や汗ひとつ掻いていない。

「あれは魔力の波動に敏感なヒロに隠すように、一切の感情も用いらずに作った魔力の障壁のようなものです。波動と魔力本体とでは、全く別の感じ方をせねばなりませんから…気配でばれてしまいましたけど」

 困ったようにヒロを見るリトル・スノーに、その彼女は憤然とした様子でリトル・スノーを見た。

「当然だ。反属性は感じることに一苦労だがな、波動では判断が付きやすい。その二つで何とかなるせいか?おかげで、すっかり気配の方に気を回すのを忘れていた」

 くすくすと笑うリトル・スノー。しかし、聞かされている彼らのほうは笑い事では済まされない。自分達がどれだけ未熟であるかを思い知らされながら、優雅に会話する二人を見た。

 彼らには、気配というものを感じる他に判断がつかないのだ。魔力云々に関してはル・フェイが敏感ではあるが、彼女とて万能ではない。波動と魔力本体との感じ方など知らないが、彼女たちは容易にその判断がつくらしい。まるで野生の茸の食べれるか否かの判断を付けるような気軽な物言いからは、一次大戦時にはいかに優れた魔力と身体能力が必要かが裏づけされていた。

「けれど、その障壁のせいで貴方がたに影響があったと仰るなら、謝ります。加減があまり利かないものですから・・・・」

 加減が利く利かないの問題なのだろうかと言いたくなった彼らではあるが、それも無視することにした。相手は神と対等な力を持つ本家本元の異界の魂である。身に余る魔力の制御など、自分たちでも恐らく出来はしない。それをこの世界に来た瞬間に授けられた身の上の彼女であれば、完璧に操ることが不可能でも仕方あるまい。

「ある日突然と仰いましたが・・・・・何故、貴女様にネバーランドの降臨が許されました?」

 今度の質問はファインである。まともな質問だと言わんばかりに目を見張っているル・フェイがマックスを挟んで隣にいたが、彼は珍しくそれに気付いていないようだった。リトル・スノーの粉砂糖のような甘く控えめな魅力に取りつかれているようには、見えない顔つきであるというのに。

「冥界王殿は、基本的に生きる者には厳しく、死んだ者には慈悲ある御方です。わたし自身、何か裏があるのかと思いましたが、何も考えていないようでした。何より、わたしを現世に送り込んで何かを企てるなら、真っ先にルネージュにわたしを降ろし、公国軍の再建を考えるでしょう。けれどあの方は、ルネージュだけには行ってはならないと、きつくわたしに仰いました」

 現在、プラティセルバの領地は異界の魂信仰――名義はリトル・スノーこそが神の御使いであり、神はリトル・スノーの御心の中に住んでいる――が盛んで、殆ど国教と言ってもいい。確かに、その現状でリトル・スノーがプラティセルバに現れれば国は否応なしに盛り上がり、彼女が挙兵すると言えば皆盲信的に立ち上がるだろう。そして、何も考えることなく彼女の指示通りに動き、完璧な軍隊が出来上がる。

 冥界王は二度に及んでネバーランドを制圧せんと冥界から現れ、その度に大陸の支配者である大魔王ジャネスとシンバ帝に退けられたのだ。今もまだその野心が途絶えていないのならば、リトル・スノーは絶好の駒となる。しかし、彼女を駒にするつもりが感じられないのに、彼女に恩を売りつけるとはどう言うことか。

 厳しい表情で思案しているリューンエルバが手を挙げた。

「他には、何も言われてないんですか?」

 リトル・スノーが首を横に振る。彼女も表情を厳しくして、慎重に口を開いた。

「現世における最低限の罪を犯してはならない、モンスター相手と言えど相手が敵意を剥いて来ない限り戦ってはならない、戦に加わってはならない、ルネージュ公国の関係者に知られてはならない、魔王軍関係者に現魔王の状況を教えてはならない、わたしの正体をわたし自身が広めてはならない、ルネージュに赴いてはならない。…これらを全て守らなければ、その時点でわたしは冥界で永遠の時を過ごします」

 そう言ったリトル・スノーの表情は、その条件に対する不満など感じられない。彼女からすれば、条件を破った際の罰は当然のことである。何より、理由は知らないが冥界王側からすれば何の利益もない行為なのだ。むしろ、冥界で永遠に時を過ごすと言うのが本来封印された者達の立場。その条件は、彼女にとって甘いことだと思っているよう見えた。そしての考えは、深くは事情を知らない者たちでも充分に納得できる。

「死人が大手を振るって歩くなと、言いたいわけね」

 イグリアスがそう納得すれば、ゲイルがまだ不可解なところがあるといったように頭を掻く。

「しかし、なんでそんな、ある意味じゃ当然のことを条件にして、女王サマを、一時とはいえ現世に戻すんだ?死人ってことを強調しただけか?」

「さあ・・・・本人に聞いてみるのが一番いいかもしれませんね」

 暢気な返答に、思わず脱力した面々である。そんなことが簡単に出来れば自分達が悩む意味はない。であるというのに、リトル・スノーは黒い羊毛紙を取り出すと、のうのうと言い放ったのだ。

「訊いてみますか?まともに答えてくれるとは思いませんけど」

 その言葉に全員が、がくりとうな垂れる。出来るんなら早くしろ、と言いたいところだが、彼女の机の上を見るとそれも言い難い。何故なら、その黒い羊毛紙が数枚、リトル・スノーの手元にあったのだろう箇所に散らばっているからである。

 その机上の状況を見る上では、自分達が――厳密に言えばヒロが強引に――リトル・スノーの部屋に入ってきた時、丁度彼女は―――

「ちょうど、冥界王殿に手紙を書こうと思っていたところでしたから」

 リトル・スノーは、彼らに気にするなとばかりににっこりと微笑む。しかし、その慈愛に満ちた聖母のような笑みは、それこそ彼らに、自分達の入ってきたタイミングの悪さを知らしめるようでもある。それを分かって、わざとやっているんだろうかと何人かが思ったが、そうだとしたら、ここまで悪意のない笑みが自然と浮かべることが出来るものなのだろうかと逆に考えさせられる。

 リトル・スノーの輝かしい笑みにどういう心境であれ何も言えない状態の中、唯一まともにリトル・スノーに対して口を利ける存在が、けろりとした顔で口を開いた。

「なら頼む。わたし達は、出て行ったほうがいいか?」

 リトル・スノーと対等に話せ、同時にこの気まずさの元凶であるヒロは、何の責任も感じていない顔をしている。苦虫を噛み潰したような顔をして、何人かが彼女を見た。しかし、その気迫が篭められた感情を読み取れるほど、ヒロは敏感ではない。逆に睨み返したヒロに、リトル・スノーが裾を軽く引っ張ってなだめた。

「止めなさいヒロ…。元々腰を据えるところを見つけたら連絡を取るようにしていたし、正体もばれてしまった今、何らかの連絡は入れるべきだろうと思っていましたから。冥界王殿からの連絡が頂けたら、貴方がたのどなたかに声をかけます。それで構いませんか?」

 儚い外観の割りに、意外としっかりしている。仮にも女王などという国を導くことを仕事としていた以上、それも当然なのだが。

 そして判断を促された面々は、その手際のよさに茫然としながら頷くことしかできなかった。

「じゃあお前達は早く帰れ。わたしはもう少しスノーと話をする」

「貴女も一旦部屋に戻りなさい。着替えてからドアノブ壊したことを謝らなきゃいけないでしょう?」

 それを言われて、ヒロは初めて自分の格好に気が付いたらしい。白い綿のシャツと太ももを隠す程度の長さのズボンだけを着ている自分の姿を見ると、魔力で硬質化した手を構えながらリューンエルバを睨んだ。

「・・・・・・・・・・・・・陰で笑ってたんじゃないだろうな」

「ぜんっぜん」

 事実、リトル・スノーのことで、そんな暇もなかったのだ。しかし、今はその余裕が生まれている。ぷるぷると震えながら笑いを堪えた表情になっているリューンエルバを、ほとんど逆三角形になった目をして睨みつけたヒロに、やんわりとリトル・スノーが釘を刺す。

「喧嘩する前に着替えてらっしゃい、ヒロ」

 まるで母親のような物言いである。そして同時に、まるで母親に言われているかのように、ヒロが大人しくなり――態度だけだが――壊れたドアを避けて自室に戻っていく。

 それを見届けると、ようやく緊張が解けてきた面々の中で、今までずっと黙っていた少年が一人、リトル・スノーの眼前に進み出た。

「あんた、異界の魂なんだろ」

 早朝に自分をここまで案内してくれた少年に、リトル・スノーは会釈に似た笑みを浮かべ頷いた。穏やかな彼女の瞳は、急に少年がそんなことを言い出して驚いた様子も感じられない。

 その笑みに、アキラは熱い爪で胸を軽く引っ掻かれたような痛みを感じた。熱い爪の正体は、痛みか、焦りか、嫉妬か。

「なら、元に戻る方法を知ってるんじゃないのか」

 リトル・スノーは頭を振る。ヒロを微笑ましく見ていた時のような温かみのある光は、彼女の瞳にもう宿っていない。変わりに、青い瞳は悲痛を通り越した穏やかな絶望を垣間見せるような、静かな輝きを放っていた。

「召喚者が出した条件と、召喚された本人が条件達成に満足することが前提です。貴方の召喚を希望した者達は、もうこの世にはいませんね」

 小川の清流のように心地よい響きを持つリトル・スノーの声は、アキラの胸に痛ましく響く。同時にアキラは、今まで彼女に抱かざる終えなかった憧憬に似た感情をかなぐり捨てたい気分になった。そして素直に、その感情の原因を口にした。

「・・・・・俺が異界の魂だって、まだ言ってないのに、あんたはなんでそんなこと知ってるんだ」

「気配がしました。この世界の者ではない異質な力、この世界に馴染むことを拒絶してしまう空気、一人になって落ち着いてしまう心。それらから考えれば、貴方がわたしと同じ異界の魂であることは予想がつきます」

 貴方がわたしと同じ。

 その言葉に、アキラは吐き気すら感じた。リトル・スノーが、無理に自分を煽て上げて、機嫌を取りたがっているように聞こえて。

「違う。俺は奴らの望みとは程遠い、出来損ないだ」

「異界から召喚されたのなら、何らかの力を持っているのが普通です。わたしは魔力を、貴方は別のものを。召喚者達が求めていたものを持っておらず、他の誰かが必要なものを貴方は持っている。ただそれだけです」

「違う!」

 憎悪と悲痛の篭った鋭い否定の声に、二人の異界の魂のやり取りを見ていた一同が目を見開いた。

 こんなに感情的に、苛立ちだけではない思いが篭められたアキラの言葉を、彼らは聞いたことがない。そして、それはアキラも同じだった。苛立つ以外で、この世界ではっきりと声を出して何かを否定したのは、これが初めてだった。

「あんたは何十年も前に召喚されたのに、伝説になって今も憧れられている。俺は違う。そんな大層なものじゃない。俺はごく普通で、地道に鍛えていくしかない。歴史にも残らない。誰からの思想も反映しない。誰からも憧れられない。そういうもんだ。俺は、異界の魂でも、不完全なんだよ」

 そこまで言い切ったアキラを、リトル・スノーは不思議そうな顔で見ていた。まるで彼の心のうちにある叫びの言葉を、隠したい言葉を、簡単に捜しているように。

「何故、貴方はそこまで自分を卑下するのです?」

「あんたと一緒にされたくない。それだけだ」

「何故、一緒にされたくないと?」

「あんたが完璧過ぎるからだ」

 それ故の嫉妬と、羨望と、ないもの強請り。これが、彼の胸のうちに潜む、リトル・スノー伝説を聞いたときからの感情だった。彼女の話を聞いていくうちに、自分が見たリトル・スノーと照らし合わせていくうちに、彼女がどんどん完璧に感じられた。まるでこの女性は、汚い欲にもまみれたことがなく、エゴを剥き出しにしたこともなく、死に怯えたこともなく、温かい手を差し伸べる誰かを拒絶したこともないような、自分とは正反対の、綺麗で完璧な『異界の魂』。

 クリングゾールのようにこの世界の全てを否定し、全てを拒絶できたら、むしろ彼女に見合うだけの信念を持っていたかもしれない。けれど、今の自分はとても中途半端な存在なのだ。迷い、後悔し、言い訳をし、素直にならず、生に対する執着は汚い。彼女と同じ存在に、どう足掻いてもなれはしない。だから憧れると同時に妬みの存在にもなりえ、そして今はその思いが極端に強くなっている。

 しかし、リトル・スノーは何の表情の変化も見せなかった。同情も、哀れみも、見下すこともなしに、目を瞑って冷静に告げる。

「貴方がわたしの全てを知っているのなら、その言葉を受け入れましょう」

 ――けれど、貴方は、わたしの全てを知りはしないでしょう?

 彼女の声には、そんな意味の言葉がありありと篭められていた。そして揺ぎ無い事実を冷静に述べられて、アキラは憤ることすら出来なくなり、大きく息を吐いた。

「・・・・・・・帰る」

「おいアキラ!」

 彼女はやはり正しい。正しすぎるせいで自分が悪く感じ、幼稚に感じる。現に彼女は本物の戦争の中で生き、生死をかけた戦いの中で自国を守り続けたのだろう。しかし、だからって、あの華奢な体で、冷静な判断を下せない外観で、どこまでも正しいことを言わなくてもいいじゃないかと、アキラは思った。そして、感情に走っている自分のあとを誰かが付いて来て、呼び止めてくれることを待っている自分がひどく嫌になった。

 アキラがその通り、感情のままに自室に入っていくのを見届けると、ゲイルが一息吐いてリトル・スノーを見た。

「すまん、女王様。うちの異界の魂は情緒不安定ってやつでな」

「お気になさらず。わたしにもそういう時がありましたから」

 微笑を浮かべるリトル・スノー。だったら早めにそう言ってアキラを諌めてほしかったが、それだと逆効果になるような気もしてきたニヴァである。肩を竦め、アキラの宥め役をどうするのかと訊こうとする。

 しかし、それにも気にせず話を進める者もいる。ル・フェイがそうだった。リトル・スノーの隣に立つと、凛とした表情を崩さないまま彼女を見た。

「では冥界王とやらが来た場合に、お教えして頂きたい」

「分かりました…」

 了解の意味で微笑む。そこで、初めてリトル・スノーは、彼らに向かってちょっと困ったような顔をした。その意味に察しがついたのか、ル・フェイも初めて彼女に対し微笑を浮かべる。

「私はル・フェイと申す。メイマイの双子女神の巫女をしておる。むこうの踊り子のような者は同じく双子女神の巡査史ニヴァ、その隣にいる派手な服装の者がスタイン殿、後ろのぬらりひょんがファイン」

 それぞれ紹介された者達――ぬらりひょんと呼ばれたファインはとても傷付いたという顔をしていたが――はリトル・スノーに会釈すると、リトル・スノーも丁寧な会釈を返す。やはり、リューンエルバがヒロに全員を紹介したことがあるが、彼女と違って実に腰が低い。

「私の連れに巫女見習いだがアルフリードと言う者もおる。いつかご紹介させて頂こう」

「楽しみにしておきます」

 短い社交辞令の言葉も優雅で人当たりのよさが伺える。そしてその流れに沿って、今度はイグリアスが進み出た。

「イグリアスと申します。ヴァラノワール…戦場に赴く者を育成する学園都市に所属する、教官ですわ。あちらの彼女も、むこうの彼も、その卒業者です」

 リューンエルバとマックスがそれぞれリトル・スノーに会釈をする。こちらはその学園都市で上官に対しての礼儀作法等はきっちりと仕込まれているので、その方法も神官の面々とは違い優雅ではある。が、同時に固い印象も受ける。

「俺はゲイル。一応傭兵みたいなことをやってるが、まあアキラの保護者みたいなもんだと思ってくれ」

「シェキルと申します・・・・。お目にかかれて光栄です」

 それぞれの挨拶に、リトル・スノーは上品な笑みで挨拶を返す。その笑みを見ると、一同はひっそりと心の中でため息を吐いた。

 改めて、リトル・スノーは噂に違わぬ美しさと魅力を持っていることを思い知らされる。その仕草は上品ではあるが貴族的なところはなく、むしろ庶民的な人懐こさも感じられるのだが、彼女の品性そのものは堕ちているわけではない。基本的に静かな印象ではあるが、必要がないから喋らないだけであることが感じられる。そうなるとぶっきらぼうな性格ではないのかと思わせるが、むしろ逆で、とても丁寧に、けれど近寄りがたくこちらが固まってしまうことはない程度に接する。初対面の人との会話や触れ合いというものにこの人は慣れていて、同時に相手に対し好感触を与えることを自然と身に付けているのだと、強く思わされる。

 高慢であるはずの魔族も、自らの国の庶民も、その不思議と人を惹き付ける何かに虜となったとは聞いたが、それは彼女の天性の能力だけではない。彼女の態度や仕草や口数などと言った、細かい点も洗練されているからこそのことだ。

 彼女が伝説のリトル・スノーではなく、ごく普通の貴族や武家の女性であるならば、ヴァラノワールでも超が付くほど優秀な教官となっただろう、とイグリアスがため息を吐いた。

「では、一旦帰らせていただきますわ。リトル・スノー様」

 イグリアスがそんな思いに浸っているせいで、リューンエルバがそう言うしかないと思ったらしい。人懐っこい笑みを見せてリトル・スノーに膝を折ると、他の面々も引き連れながらイグリアスをドアの方まで押していく。

「ちょ、ちょっとリーエ!」

「では、また後でお会いしましょうね〜」

 ひらひらと手を振ってドアを閉めようとするリューンエルバ。しかし、彼女は忘れていたらしい。

「あ」

 彼女がドアノブを持ち上げたのが原因でか、蝶番の方にも鈍く、木が引っ剥がされるような音がした。

「・・・・・・・・」

 結果的に、ドアとして機能しなくなった木の板に付いているドアノブをリューンエルバが持ち上げている状態で固まったことで、リトル・スノーが宿泊している部屋は借り部屋として機能しなくなった。

 ほんの数分後、リューンエルバがヒロに強引に頭を下げさせ女将に謝り、その隣でリトル・スノーが困った顔をして宿泊の再手続きを取った光景を見れたニヴァは、後にマックス達にこう語った。

「あんな豪華な面子であんな情けないもの、どこの芝居でもありつけないぐらい傑作だったよ」

 事実、その光景はニヴァにとって、生涯に残る思い出の一場面として、深く心に刻み込まれていた。

 

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