The shrine maiden of a QUEEN-ROSE

 

 食事があらかた終わり、それぞれがくつろぎながら寝るまでを過ごす夜の自由時間となっても、彼らの緊張は一向に解けず、しかし食堂から動けない状況が続いた。

 何しろ、伝説の異界の魂リトル・スノーが自分達の手が届く場所にいるのだ。その伝説と言われる由縁を具体的に挙げよと言われてすぐには答えられないが、それでも凄い人であるということだけは確実に知っている。今でもルネージュ公国は異界の魂、即ちリトル・スノーを崇拝しており、人魔平等の思想が浸透しだした現在、彼女は預言者としても優れていると言われている。謎多き寒国の女王は、戦争そのものに関わる人物であるという認識は薄いものの、その思想や魔力、行った善政から、歴史に残るに相応しい業績を残している人物なのだ。

 歴史の教科書に載るようなその人が美しいのであろうという思いは抱いたことはない彼らではあるが、今自分の目の前にいる彼女は美しいどころの話ではない。自分達の仲間であるアキラとは、外観や魔力のあり方はともかく、持つ空気すら違う。

 食べたことは食べたが、その内の三分の二は味わっていただろうか甚だ不安なミュウもリュートも、ただ目の前にいる、人間かと思うほどの白い肌と白銀の髪、そして自分達が今まで見たこともないような極上の宝石を越える深い青の瞳を持つ異界の魂に、心を奪われるように見惚れていた。

 今彼女は食後の紅茶と果実を嗜みながら、小さく息を吐いている。その姿はまるで彫刻の女神像のようだとミュウは思ったし、今まで見た貴族のどんな女性の仕草よりも優雅で美しいとリュートは思った。

 冥界王と名乗る小鳥が彼女と仲良くしてやってくれ、と言っていたが、こんな儚くて美しい人を相手に、自分達流に「仲良く」するのは気が引けた。何せ、伝説の存在である。自分達の他愛もない話を面白がってくれるのかどうかも自信がないし、もし迷惑だったり困らせてしまったりしたらどうしよう、と思う。この人の心を、自分の何気ない一言で傷つけてしまったり、悲しい顔をさせてしまったりすることを想像すると、それだけで罪悪感が胸のうちにいっぱいになってしまうのだ。つまるところ、この女性の儚い外見と共に、心まで繊細で儚いのではないかと言う思いのせいで、ミュウですら二の足を踏む状態だった。

 そういうことを気にしたことがなさそうなバニラは未だにぽかんと口を開けたままだし、姉のことによく気がつくチョコは、その姉も気にせず真っ赤になりながらバニラにしがみ付いている。シロは腹が膨れたのか、小鳥が来る前から寝てしまっているし――そのせいで唯一今起こっていることを知らなかったシロは後々周囲に盛大な文句を浴びせることとなる――フレデリカも似たようなものだ。目はリトル・スノーのみに集中され、口にカットされた果実を運んでいるが、その果実がなくなっても果実の皮をフォークで何度もぶすぶすと刺している。

 誰かこの状態を何とかしてくれ――と切に願っていたほぼ全員の気持ちを汲み取ったのが、彼らにとっては実に意外な人物だった。

「やあや。お懐かしゅうございますな」

 低くしわがれ、髭のせいで篭って聞こえる老人の声。この旅の一同の中で唯一の老人と言えばこの人しかいない。ラーデゥイである。

 白髭のご老体はリトル・スノーの席の隣に立つと、にこにことしながら彼女にそう挨拶する。ミュウは焦って自分の養父を引っ込めようとしたが――呆けが始まったんだと思ったのだ――それより先にリトル・スノーが先に反応した。

 今まで人形のように表情がなかった彼女から、まるで夏に輝く白薔薇のような笑みがこぼれたのだ。

「ラーデゥイさま、お久しぶりです」

 さま!?

 ミュウは目を剥いてラーデゥイの裾を引っ張るはずだった手を、思わず引っ込める。あの本家本元の異界の魂リトル・スノーに、さま付けして呼んでもらうとは、自分の養父は一体何者だったのか。軽い衝撃と混乱で麻痺したような気分になって、愕然としながらミュウは楽しげに話す二人を見た。

「相も変わらずお美しくいらっしゃるの。貴女がここに入ってきた時は、幻覚かと思って、頬をつねってしまいましたわい」

「あら。そう言うラーデゥイさまも四十年前とほとんどお変わりになられません。むしろ、活き活きしているように見えます」

 相変わらず、リトル・スノーの声音は子守唄のように美しい。そして同時に、昔のことを思い出してか、少し楽しげでもあった。

「はは。戦争が小規模に収まりましたからな。それに戦は爺の身ではどうにもならん。諦めて隠居生活に入った途端、頭痛一つしたことがない体になってしまいましたわ」

 くすくすとリトル・スノーが笑う。まるで初夏の朝に吹く風のような、耳をくすぐる優しく愛しい響きをもって。

「それは結構なことです。けれど、魔物相手ではまだまだ現役でしょう?気迫に衰えが見られませんもの」

「おう。そう言ってくれると嬉しいの。まあ、日がな一日煙突を磨くことも飽きての、今ではこの若いのたちに付き添うておる。――貴女の旧友には会われましたかな」

「ここにいるぞ」

 リトル・スノーから最も離れた場所から、魔力で作られた黒く大きな手がひらひらと上がる。それに、リトル・スノーがちょっと目を見開いた。青い瞳の色彩が少し薄くなる。

「あら、そんなところにいたの?」

「遠いのう」

 だからそっちに行けなかったんだ、と悔しげにヒロが地団太を踏んでいることを、談笑している二人は知らない。

「ああそれにな――忘れておったわ。この娘っ子は・・・・・」

 そう言って唖然としているミュウを紹介しようとする。しかし、我に返った当のミュウはまだいいよ、と必死に抵抗を試みたが、それよりも先にリトル・スノーの声が少し悲しげに聞こえてきた。

「シフォンさまの・・・・・ご血縁ですね」

 紹介しようとしたラーデゥイも、少し複雑な表情で頷く。

 今まで楽しげだった二人の間に流れる複雑な空気に巻き込まれたミュウは、更に混乱しながらラーデゥイに抵抗する体勢のまま固まっていた。彼女もシフォンを知っている――当然知っている。それどころか、養父の弟子だった彼が度々養父のもとに訪れ、自分を可愛がってくれていたのをよく覚えている。しかし、彼女たちが持っているのは、自分の知っているシフォンの思い出とは何かが少し違うらしい。

 ラーデゥイはぼりぼりともみあげの辺りを掻き、視線を落とした。

「・・・・今は種族の問題で戦いが起こることはほとんどなくなった。しかし、あの時は今と状況が違ったんじゃよ・・・・」

 苦く言い訳のような口調で呟くラーデゥイに、リトル・スノーも苦笑する。

「存じています。魔族こそが大陸の指導権を握るものと考え、人間は魔族より先に大陸に住む以上、それに抵抗した。あの頃は人魔共に共存することなど、考えられなかった…」

「我らも大衆から勇者と褒め称えられた以上、それ相応のことをせねばと思った。貴女の思想は正しい。しかし、あの時には早すぎたのじゃ・・・・・・」

「早い遅いで・・・・他種族と関係を結ぶものではありません。わたしにとってはどんな種族が相手でも、出会いは必然でしたから」

 聞いている者達はほとんどが、何のことを前提にして言っているのか分からない。しかし、無論ヒロには分かっていた。彼女と兄の封印を行い、誰が自分と兄との戦いを邪魔したのかも、分かっていた。

 ヒロにとって、シフォンやラーデゥイは父の仇であり兄との勝負を邪魔した者でもある。だから彼らを嫌ったり憎んだりしても、正当性はあった。

 けれど彼女は違う。同じ人間であり、魔族を排除すべきと考えるコリーア教の聖地の女王であった以上、魔族を撲滅すべきと考えるのが普通で、その考えに同意する者がいればそれに賛同し協力するのが一般論なのだ。しかし、彼女はそうではなかった。彼女は魔王の息子を恋人にし、魔王の娘を友に持った。そして、彼女の恋人を刺したのは、人間こそが真の大陸の支配者と考え、魔族を排することを目的とした「勇者」だった。

 人間の立場から考えれば、賛同しなければならないのはシフォンのほう。しかし個人の問題であれば、ジャドウを哀れみ、シフォンを恨んで当然なのだ。しかし、彼女にはそれが出来ない。

 昼間、ドアの修理をしながら久しぶりの再会を、最後の別れの時を主に語り合った。その時、彼女はシフォンを恨めないと言ったのだ。何故、と聞いた自分に、彼女はほろ苦い笑みを見せて呟いた。

 彼は彼と、彼の周囲の正義に則ったまでだもの。

 自分もそうなのだから、自分も自分の正義に則り、彼の封印を行ったのだから、と彼女は笑った。

 しかし、愛するものを殺したものを責めない者などいやしない。現に自分がそうなのだ。だからこそ、新生魔王軍を出旗した時、父が理想としていた人魔共存を一蹴し、人間を恨んで彼女の言葉に耳を向けようとしなかった。

 ――おまえが分からない。本当に怒りを知っているのかすら分からない。生きているのかすら分からない。

 自分はため息を吐いて、そんなことを言った。けれど、と思う。

 ――そう思えることが、実行できることが、とても羨ましい。

 ヒロが彼女に抱くのは、単純に美しさに惹かれたこともあるが、それよりも憧憬に近いものだった。何故そこまで、憎むべき種族を想えるのだろう。何故そこまで、同じ種族のものを贔屓したりしないのだろう。何故そこまで、盲目的に何かを信じることがないのだろう。羨ましかった。そして憧れた。

 大きく一息吐くと、ヒロはトレイをカウンターにまで返しに歩く。かなり遠いところにいる彼女は、何も知らないミュウ達を相手に談笑している。どちらも初対面の人間に打ち解けやすいので、ある意味当然の結果と言えよう。

 そして、その何も知らないミュウは、ラーデゥイが風呂に入ると言って強引に席を外した後からずっと、リトル・スノーと話をしていた。血色の良い頬はりんご色に紅潮し、ラピスラズリのような紺の瞳はきらきらと輝いている。

「そ、それじゃあ!明日、街に見に行き…ませんか!?

 どうやら、リトル・スノーの方に、長期滞在における、何か足りないものがあったらしい。そう言えば、昼間に彼女と話をした時、明日は買出しに忙しくなりそうと呟いていたか。

 その突然の誘いに彼女は少し驚いたらしいが、それでも微笑んで頷いた。自分の提案が受け入れられて更にはしゃぐミュウに、リュートが心配そうにミュウと彼女を見比べながらミュウの裾を引っ張る。

「ちょっとミュウさん!強引はあなたのお得意技でしょうけど、この方にそんな無作法なこと…」

「いいえ。ここのことは詳しくないですから、案内してくれる人がいたほうが嬉しいですから。それに・・・・・・」

 ミュウは悪く言えば単純だが、よく言えば実に素直ということでもある。だからミュウは彼女に対し憧れを抱いている態度を取っているが、リュートのほうはそうはいかない。ミュウとの付き合いで素直になってきたことは確かだが、それでも英雄の父を持つ由緒正しい天才としてのプライドはまだある。ましてや、一目見ただけの相手に心を奪われることなど、彼女自身からすればあってはならないことなのだ。

 しかし、初めてリュートだけに向けられた、リトル・スノーの本当に楽しそうな笑顔は、そのプライドを簡単に打ち砕く。

「人数が増えた方が、買い物は楽しいでしょう?」

 その眩しいと言わずして他に喩えようがない笑顔を向けられて、無論、リュートは平気ではいられなかった。顔を瞬間的に真っ赤にして立ち上がると、既に空の容器しかないトレイを持ってカウンターにダッシュして返し、それからまた廊下の向こうに飛んでいった。

 リュートの行動を一貫して見たリトル・スノーはきょとんとしながらミュウを見返す。

「・・・・・どうかしたのかしら」

「顔洗いに行ったんだと思・・・・・思いますよ〜」

 彼女の性格を分かっているミュウはそう笑う。そりゃあ、こんなにきれいな人だもんねえ、と心の中で顔をずぶ濡れにさせているであろうリュートに対し暢気に同意しながら。

 そして律儀に言い直したミュウに、リトル・スノーは軽く笑う。

「無理をして敬語を使う必要はないわ。言葉使いを気にしていたら、会話も楽しくないでしょう?」

「は、はいっ」

 まさしく憧れの人を見る目でミュウが元気よく頷くと、リトル・スノーも笑った。

 ミュウが彼女と仲良くなれば、それから自然にリトル・スノーとの面識が自分に回ってきても自然になる。そう大半のヴァラノワール生は考えたのか、そのやり取りを見届けると、ぞろぞろと食堂から出て行きだした。

 エンオウや空夜やルキは少し自分の頬が赤いのを気にしながらも無事に食堂から出て行けたが、ファーストは自分が動揺していないことを強調したいのか、わざとらしいまでに胸をはってそのせいでカウンターに顔をぶつけた。その点ではフィーゴも動揺をなるたけ見せまいとは考えていたらしいが、彼とは違い、リトル・スノーに対し軽く会釈してから出て行くことに成功した。ラウールはグリューネルトが自分を監視していないことを確認すると人参を容器に残して一目散に食堂から逃げ出すが、シュウは隣のネージュがまだうっとりとリトル・スノーを見ているせいで食堂から出るに出れない。スカーフェイスは無表情で、イグリアスは無表情だが顔の色を真っ赤にして、出て行く。タルナーダはレン・ウォルトが挨拶しよう、などと言い出したので必死で抑えて食堂から引っ張り出し、逆にキュオは一緒に部屋まで帰るはずのフレデリカが、リトル・スノーの斜向かいの席で呆然としてるので、おろおろとして近付くに近付けないでいる。

 ナギやノーラ・ノーラ、ヘレネは、同じくミュウがリトル・スノーと盛り上がっているらしいので近付けない。お互いをせっつきあって誰がミュウに声をかけるかを決めかねていたが、ここでも意外な助け舟が現れた。

「ミュウちゃん〜」

「リムリム、どうしたの?」

 どこまでも緊張とは程遠いような口調の、つぶらな瞳をした少女がミュウに柔らかく抱きついてくる。ミュウはここでようやく食堂にいること思い出したらしく、トレイを持って立ち上がった。

「あ、そっか。部屋帰らなきゃね」

「あとお風呂入らなきゃだめだよ〜」

「そうそう」

 少し笑いながらリムリムの言葉に頷くミュウ。リトル・スノーもトレイを持って自室に移動しようとしたらしい。立ち上がった彼女に、リムリムが好奇心に満ちた目を向けた。

「どうかしたの?」

 見事な緑柱石のような輝きを持つまんまるの目に笑いかけるリトル・スノー。しかし、リムリムは何も答えずその体に抱きついた。

「きゃ…」

 小さく挙がった彼女の悲鳴の方に振り向いた、食堂にまだ残っているほぼ全員が硬直した。リムリムは何をしているのかと目を疑った。

 自分達の仲間であるアキラとは、魔力も今までの経験も違うのだ。元女王である。元が付くとは言えど、自分達が遠く及ばないほどの偉い人である。その人を相手に――何を、初対面にもかかわらず抱きついている?

 ミュウはリトル・スノーの胸に顔を埋めている――身長差でそうなったのだが――リムリムを引き剥がそうとしたが、それよりもリムリムがリトル・スノーの胸からちょこんと頭を出す方が早い。

「やーらかくていいにおい〜」

 うっとりとした表情でリトル・スノーの体にしがみ付くリムリムを、更に気まずい思いで必死になって引き剥がそうとしたミュウである。同時にその思いはナギやヘレネにも感染し、真っ青にならながらリムリムの説得に取り掛かる。

「リムリム!スノーさまに失礼でしょ!」

「初対面の人に何してんの!ほらとっとと離れな!」

「リ〜ム〜リ〜ム〜…お風呂入るんでしょ?早く行かなきゃ混むよ!」

 肩だの頭だの腕だのを持って、リムリムを引き剥がそうとする三人。しかし、リムリムは頑として離れようとしない。リトル・スノーは困った顔をしながら自分にしがみ付いた少女を見た。

「リムリムちゃんって言うの?」

「うん。あなたは?」

「リトル・スノーって言うの。覚えておいてね」

 覚えておいても何も、異界の魂リトル・スノーという名前は、学園内の筆記テストで必ず出る問題のうちの一つである。ミュウですら覚えているのだ。なのに、なんでそんなことを今更リムリムが言うのかと内心ひやひやしながら、いい説得の言葉が思いつかなかったノーラ・ノーラを含め四人は二人のやり取りを見ていた。

 そして、リムリムは四人のそんな思いをよそに、天真爛漫そのものの笑みでリトル・スノーに笑いかけた。

「ママみたいだからママって呼んでいーい?」

 それを聞いた四人は、それこそ心臓が凍った気分だった。

「だっ、だめだよリムリム!」

「あんたのママはどうなんのよ!」

「母親と呼ぶ存在が二人いる場合はどちらかが死亡している場合、又は結婚した相手の母親がいる場合です。貴女はそのどちらにも該当していないはずですよ」

「みたいだからって、もの凄く薄っぺらい理由じゃない!」

 猛反対に遭ったリムリムではあるが、彼女は勿論、そんなことは気にしない。それらの言葉を一応聞きはしたが、体をリトル・スノーに擦り寄らしたまま、上目遣いで彼女を見た。

「だめ?」

 リトル・スノーはミュウ達ほどではないが、ちょっと困ったような顔をする。とは言っても、本気で困っているわけではない。おねだりをする子どもに対し、肯とするか否とするか、迷っているような表情だ。

「そうねえ。わたしは構わないけど」

 構わないのか。

 ミュウとナギががっくりと肩を落とす。

「けど、リムリムちゃんのお母さんが、それだと困るでしょう?それにリムリムちゃんも困ると思うわ」

「なんで〜?」

「さっきの魔族の・・・・ハーフの子も言ってたでしょう?リムリムちゃんのママは今世界に一人しかいないのに、リムリムちゃんがそんなすんなりママって呼べる人をわたしに決めちゃってママを増やしたら、ママが可哀想だもの」

「うー」

 ある意味、世間一般の考えとしては当然のことである。それがリムリムに通用するものなのかと少し驚いていたミュウ達ではあるが、他の大きな理由にも気がついた。

 リトル・スノーの表情である。

 別段、とても悲しそうだとか、泣きそうだとか言うほどではない。しかし、やはり美しい人が痛ましい表情を見せる姿は、こちらの心も痛みを覚えるものなのだ。白銀の柳眉は潜められ、白い瞼から見える青の瞳が持つ光は悲しげに揺らめいている。ただ、言ってみれば少し悲しげな顔をしているだけである。なのに、その表情には見ている者の心を支配するほど美しく、同時に痛々しい。

 それを見て、自分が悪いことを言ったらしいということは、リムリムにも充分伝わっているのだろう。誰かの思惑通りの行動をしたことがない彼女が、反省したようにリトル・スノーから手を放し、それから人形のような動きで、ぺこりと頭を下げた。

「ママごめんなさい」

「ええ、ママにごめんなさいしなきゃね。けどそれは心の中でいいのよ?」

 謝る仕草が可愛らしいと感じたのだろう。リトル・スノーは先ほどとは反対に暖かな笑みを浮かべると、慈しむように細く白い手で彼女の頭を撫でる。カシミアのような肌触りの桃色の毛皮と、ごく細く柔らかなリムリムの髪、そして柔らかくすぐに傷付いてしまいそうな額の感触に、リトル・スノーは小さく吐息をついた。

 そして、同じく小さくため息を吐いたのがリムリムだった。リトル・スノーの細く柔らかく、血に塗れたことのないような白さとしっとりとした冷たさを持つ指先が、彼女の額をくすぐり、それがとても気持ちいいらしい。また、リトル・スノーに甘えるように寄りかかる。

「けどほんとにママみたい〜」

「リムリム・・・・・あんた、スノーさまの話聞いてた?」

 ナギのあきれ果てたその言葉にはリトル・スノーも苦笑するしかない。頭を軽く撫でてやると、リムリムの体を軽く方向転換させてやった。

「甘えるのはあとでも出来るでしょう?今はお風呂に入ったほうがいいわ」

 そわそわと彼女と自分を見ているミュウ達に視線を移すリムリム。確かに風呂に入ったほうがいいのだろうが、それでも彼女はこの気持ちいいひとから離れるのが名残惜しくて仕方なかった。

 上目遣いで、柔らかい体の母親のようなひとを見た。

「一緒に入っちゃだめ?」

 そこまで初対面で懐かれて、リトル・スノーは驚いたらしい。それでも、彼女も悪い気はしなかった。

 赤ん坊のように柔らかく、素直で純粋で醜い葛藤を知らないこの少女のことを、とても好ましく思っていた。それは、この食堂に集っていた若い人たちに共通して言えることではあるのだが、やはりそれぞれに微妙に個性が現れ出ている。伸び伸びと自らの性格が表に出せ、そしてそれを受け入れてくれる誰かがいる。

 愛しかった。その空間を作り出せる彼らが。自分のように、どうしようもない悩みや葛藤を抱くことなく、この世界に希望を抱きながら前進できる彼らが。

 そっとリムリムの丸い頬を包み込もうとしたリトル・スノーの背後から、紅色の羽根が縫い付けてある黒い皮の篭手を着けた手が伸びて、彼女を掴んだ。

「だーめっ」

 その軽い調子の声と篭手は、リューンエルバしかいない。どんな人物かを十分に知っていながらも背後からリトル・スノーに抱きつけるのは、同時にこの人ぐらいなものだろう。

「女王陛下は大人達と一緒に入るの。みんなはまた明日からにしなさい」

 既に先約済みのような言い方をするが、当然ながらそれは嘘である。それどころか、ヒロがリトル・スノーの部屋に押しかけた以来、リューンエルバはリトル・スノーとまともな会話すらしていない。

 後ろで眉間を抑えながらため息をついたイグリアスを気にも止めず、リューエンルバはリトル・スノーの肩に両手を回しながらリムリムと唖然としているミュウ達にそう言ってやる。そして、そのまま強引にリトル・スノーを食堂から出す。それを見て、ナギやヘレネはひきつった笑いを口元に浮かべ、リムリムはさも残念そうにしょぼくれ、ノーラ・ノーラはリトル・スノーに深くお辞儀をし、ミュウはリトル・スノーに小さくだが手を振った。

 リューンエルバ達が姿を消した後、食堂はちょっとした議論場のように盛り上がった。ただし、彼女たちの会話は全く噛み合っていなかったが。

 そしてリューンエルバに二階のテラスへと連れて行かれたリトル・スノーは、苦笑しながら自分の肩を押す女性に声をかけた。

「ヒロのときも、あんな風だったんですか?」

 少し主語の詳細に欠ける言い方ではあったが、それでもリューンエルバは意味が分かった。否と首を振る。

「いいえ。彼女、人見知りでしょう。目立ってはいたけど、貴女ほどじゃなかったわ」

 そうですか?と意外そうに声をあげるリトル・スノー。自分の魔力は、今のヒロとほんの少し違うぐらいではないのだろうかと思っている彼女にとって、その言葉は実に意外だった。しかし、目立つ点において、彼女は自分の外観の考慮が欠けているようだ。

 そんな彼女に、リューンエルバは笑った。

「だって、貴女とは別物だもの、彼女は。と言うかあれよね。貴女たちのきれいさは、彫刻と花を比べてるようなもんよ、うん」

 どうやら美しさを比べる種類が大きく違うと言いたいらしいリューンエルバの顔を、不思議そうに眺めるリトル・スノー。その視線に気付いたイグリアスは、呆れたように腐れ縁の同級生を見た。

「自己満足してないで、リーエ。なんで彼女を強引に連れてきたの」

「聞きたいことがあるからよ。それ以外に理由らしい理由なんてないでしょ?」

「何がですか?」

 リトル・スノーの声は気軽だ。自分が話す相手の雰囲気に考慮しての軽い口調に、リューンエルバはにっこりと笑った。

「あの子達の第一印象を知りたいなあ、と思って」

 それこそ、イグリアスは不思議そうに眉をしかめた。そんなどうでもいいことを聞く必要がどこにあるのか。それを聞くためだけに、強引なこんなところまで連れ込んだのか。

 何かと一言言いたい気分のイグリアスを手で遮って、リューンエルバはリトル・スノーに向かい合った。浮かべるのは笑みではなく、真剣な眼差しで。

「ミュウちゃんを見ていた貴女の目が、ちょっと気になったの。あと、スカーフェイスって言う不良もいるんだけど、彼への目も、他の生徒を見たときとはちょっと違ってた。その理由、教えてくれないかしら」

 リトル・スノーも口元に笑みは浮かべていない。しかし、視線は穏やかなままだった。

「それは貴女が彼らをとても大切に思っているが故ですか?単なる好奇心ですか?」

「どっちも」

 とても素直かつ率直な返答である。それに、リトル・スノーは目を丸くしたが、それでも無論、気分を害することはなかった。

「分かりました。お教えしましょう。――けど、それはお風呂のときに話せませんか?」

「いいわよ。そうしたほうがよさそうだしね」

 リトル・スノーまで急に何を言い出すかとイグリアスは混乱した様子で二人を見ていたが、二人に笑みを向けられることですぐに分かった。風呂場は一種の密室だ。誰にも話を聞かれなくて済むし、誰かが入ってきたことはすぐに分かる。その上、ここの風呂場は性別で別けられているのは勿論のこと、天井を通して声が聞こえることはない。ここにいては、陰に潜んで聞き耳を立てれば簡単に盗み聞きされてしまう。

「そうね。そうしましょう」

 咳払いをしたイグリアスの言葉を聞いた瞬間、リトル・スノーはテラスにしゃがみ込むと、至ってあっさりとテラスの床に声をかけた。

「あなたも一緒に入る?ヒロ」

「え」

 その発言に固まったリューンエルバとイグリアスに対し、リトル・スノーはにこにこと笑いながら、テラスの下で苦虫を噛み潰したような顔をしているヒロの返事を待つ。

 そして長い沈黙の間、聞こえてきたのは一言。

「・・・・・・・・・入る」

「そう。ならちゃんと下着の着替えを持っていきなさいね。運動してないからいいとか言っちゃだめよ。なかったら貸してあげるから」

 なかなかにしっかりしている。いや、それは先ほどからリトル・スノーの言動を見ていればよく分かっていたことだが。

「・・・・・・・・わかった」

 ヒロの返事を聞くと、満足そうに頷いたリトル・スノーは、ぱたぱたと軽い足取りで新しい自室に入っていった。どうやら着替えを取りに行ったらしい。

 それを茫然としながら見ていた教官二人の間に、テラスの下から這い出てきたヒロが現れる。そしてリトル・スノーに引き続くように着替えを取りに自室に戻っていった彼女は、小さく舌打ちをした。

「やっぱりあいつに見つからないようにするには至難の業だな…」

 やっぱり、と言うことは以前に何度か挑戦したことがあるのか。

 茫然から唖然に表情が変化したイグリアス達は、ただただ二人の偉大な人物における呆れるしかないかくれんぼの結果を見せられ、どう動くことも出来ずにいた。

 

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