The crown of Casablanca

 

「起きるっち!いい加減起きないとワシが餓死するっち!」

 そんな言葉で目覚めるのはあまりいい気持ちではないと思いながら、とりあえずアキラはゆっくりと目を開けた。うつ伏せになったまま寝ていたらしく、朝になっても左側が何となく明るい程度にしか感じられない。――だから、起きるたびに何度も寝ていたのだが。

 正直に言って、今日はまともにこの部屋から出たくなかった。いつもの仲間に会うことすら億劫だった。理由は簡単だ。『異界の魂リトル・スノー』が、この宿にいるから。

 自分と同じ『異界の魂』。けれど、自分よりももっと凄い『異界の魂』で、恐らく自分がどんなに頑張ったところで追いつかない存在。彼女が優雅で美しく空を飛ぶカワセミなら、自分は地上を這いまわることしか出来ない鵞鳥。カワセミ自身は何も思ってはいないかもしれないが、鵞鳥はカワセミに対し劣等感を抱き、周囲もまた美しいほうを愛でる。

 自分のように周りが好奇心から彼に近付いてくるのではない。ただ彼女が美しくて、凄い力を持って、いい人だから、ミュウやナギは近付いていく。同じ『異界の魂』なのに、何故そうも違いが現れるのか。

 それを考えただけで、ただどうしようもない怒りが込み上げてくる。誰に対する怒りかも考えたくない。彼女に嫉妬もしているが、それと同時に自分が無力で幼稚であることを思い知らされるのがまず嫌だ。

「・・・・くそ」

 胃が底冷えするように熱い。なんでそんなくだらないことに苛立っているのかと自分に言いたくなり、けれど必死になって怒っている自分が情けない。こんな状況では穏やかに寝れもしない。

「お!やっと起きたっちか!早く食べに行くっち!」

 背中ではぱたぱたとシロが足を動かしているらしいのが分かる。一気に上半身を起こすと、その重みがぽてんぽてんと音を立ててベッドの下に転がっていくのが分かった。

「ぁあぁ〜れぇえ〜!」

 間抜けな叫び声を聞くと、アキラは小さく息を吐く。この謎多き白いヒヨコ虫だけは、いつも通りの反応であることに少し安堵した。下手をすると、このヒヨコ虫もあっさりと彼を裏切るかもしれないが。

 ――裏切る?誰が、誰に対し、何故?

 そう、裏切りなんてありはしない。自分の勝手な思い込みだ。そりゃあ、夕食以降はみんなしてあのリトル・スノーを気にしていたが、だからと言って自分を裏切るなんてことはしない。仲間であり、一緒に戦う同士だ。大体、自分を裏切ると言ってもそこまで馬鹿な奴はいないだろう。あの人のほうがいいからと言って、彼女に付いていく仲間なんて、いるはずがない。

 そうやって自分の思考に冷めた反論を投げかけ続けながら、アキラは上着のボタンを慎重に止める。シロが言うように空腹だし、もう既に目は冴えているが、それでも気分は足枷を付けられたように重く苦しい。

「待つっち!えぇい、薄情なヤツっちね!」

 考え事をしていた彼の足のほうへと、のろのろとヒヨコ虫は進んでいく。それにやっと彼は気付いて、立ち止まってやった。

「悪かったな。考え事してたんだよ」

 足元に来たシロを掬い上げて肩に乗せると、シロは偉そうに胸を張ってため息をつく。

「失礼な奴っち。ワシのような可愛いヒヨコ虫を忘れるなんて、薄情にもほどがあるっち」

「ならこのまま置いていくか?別に俺はそれでもいいけど」

「あ、嘘っち。ちょっとしたおちゃめっち」

 必死になってアキラに置いていかれまいと、ヒヨコ虫は彼の頬にすり寄ってくる。それがアキラの頬にのめり込むほどの勢いなので、可愛いどころか痛い。しかし、そのやり過ぎなところは、別に嫌いではなかった。あくまで心の中では。

「・・・・・鬱陶しい奴だな」

 そう。こんな、自動的に思っていることと反対のことを言う口さえなければ。

「ひどいっちね。そんなこと言うとワシの小鳥のような繊細なココロが傷だらけになるっち」

 しかし、このヒヨコ虫はそんな言葉を簡単に弾き返す。それどころか呆れを通り越すほどの利己的な態度を取っているのだから、憎みに憎めない。否、憎むどころではなく、本当にそんな性格をしているからこそ、救われているような気がした。

「小鳥のほうがでかいんじゃないのか」

「あ」

 彼の指摘に、ヒヨコ虫は一瞬不意を突かれたように硬直する。それからむむう、と唸る姿に、彼は何だか笑い出したくなった。こんな小さなヒヨコ虫一匹のおかげで、かなり自分の気持ちが楽になっているのが分かってきたから。

 とりあえず慎重に下の階に降り、妙に静かなフロントを通って洗面所に行く。そこにも、勿論と言うべきか、誰もいなかった。昨日は寝坊して慌てていたから静かなことに気付かなかったらしいが、今日は気を張り詰めているせいもあって、このような状況になるのは少しありがたかった。

 顔を洗い、寝癖を水につけるだけで直す。足音を立てないように、ゆっくりと食堂のほうに行くと、そこには昨日と大して変わりのない景色があった。

 がらんどうの食堂に、相変わらずてきぱきと働くそばかすの娘。四十を越える席はほとんど誰かが座った形跡を残し、そのうちの何人かは既に使用している。その何人かは、イグリアス、リューンエルバ、マックス。

 なにやら真剣に話し合いをしているらしく、自分に気が付いていないらしい。それに少し安心しながら、カウンターに顔を覗かせた。

「おはようございます」

 娘が彼に気がついてそう挨拶すると、てきぱきとトレイに何かを盛って、それをアキラに渡す。今日はドライフルーツや他にも麦や粟が入ったシリアルと、それにかけて一緒に飲む牛乳。さやいんげんとゆで卵のサラダには胡麻の風味がするソース。気持ちもあまり前向きではないので、このくらいのすっと胃に収まりそうな朝食はありがたかった。

 マックス達に背を向けるような位置の席に座ると、彼は黙々とそれらを食べる。シロは自分と同じくらいの大きさのゆで卵を丸まる一つ平らげると、いつもより更に腹部をまんまるにしてだらしなく寝転んだ。とは言っても、ただたるみきった犬のように、情けなく腹を見せて仰向けになっただけだが。

「行儀悪いぞ」

「大目に見るっち。もとはと言えばヌシがずっと寝てたせいっち」

 確かにそうだが、そこまでずばりと言われると――しかも理由が理由なだけに――、アキラとしてはうやむやに返事を濁らせてしまう他にない。

 少しシロから目をそらして、黙々とサラダを食べてることにすると、大きなあくびをしながら誰かが入ってきた。

 適度に引き締まった俊敏性のありそうな細い体に、ゲイルとはまた違う、遺伝からの色であろう褐色の肌に濃い茶の髪。いつもは常に何かを面白がっているような目で、口元にも余裕のある笑みを見せているのに、現在はその目はどことなく濁っており、口元には再び大きなあくびが漏れる。

 本人曰く砂漠地帯の生まれらしい、俗っぽい親しみと滲み出る気高さが融合した、不思議な空気をまとった少年であった。名前はガラハド。考えてみればミュウ達やエンオウよりも、アキラとは付き合いが長い。

 猫を思わせるようなゆったりとした、けれど最小限の動きでカウンターの少女に挨拶を返し、トレイを受け取る。

 それからアキラを見かけて、やはり宿屋の娘と同じように片手で挨拶をする。昨日のことで少し身構えたアキラではあるが、ここでつっけんどんな態度を取っても大した意味はない。見とめると、軽く挨拶をした。

 それからガラハドは彼の斜め向かいに座ると、また大きなあくびを噛み殺して、ミルクを遠慮なくシリアルにかける。

「・・・・・・眠そうだな」

 なんとなく、間近で見れば見るほど睡眠不足に見えるガラハドに、恐る恐る声をかける。睡眠が原因で人格が変わることは、ヒロという忘れられない代表がいる。今の彼のその類かと思って少し遠慮気味だったが、ガラハドはいつもより少し鈍い程度の反応だった。

「・・・・・ああ、まぁな」

 大雑把にスプーンでミルクとシリアルをかき混ぜながら、焦点が定まっているのかも分からない目で返事をする。

「・・・・仕方ないっちゃ仕方ないんじゃないのかね。騒ぎ立てるのはあいつらの十八番だしな」

 力のない声で、独り言のようにそう呟く。普段のガラハドからすれば、とても珍しい状態だったが、生憎、それに対しのんきに目を見張るほど、アキラは穏やかな気持ちを貫ける器ではなかった。

 誰かは知らないが、その誰か達が騒ぎ立てる理由は、充分に思い当たる節がある。ガラハドがその一人と言うわけではないが、一瞬でも忘れていたことをまた思い出させた彼に、アキラは腹を立てた。

「・・・・・俺には関係ないだろ」

「このレーズン、ラム入ってないな」

 結局寝言のようなものなのだろうか。ガラハドは虚ろな目のまま、そう呟いて薄緑色の干しぶどうを見つめる。一気に脱力したアキラだった。

「・・・・・朝っぱらから酒の入ったもの食べてどうするんだよ。それに、お前、まだ未成年だろ」

「酒は飲んでも呑まれるなってな。周囲が認めて自分も自覚があって、行動に責任持てりゃあ何でもありだ」

 そういうものなのだろうかと思うと、ガラハドの隣にいつの間にかもう一人、アキラよりも遅い朝食を取りに来たらしい。

 涼やかな目元にまっすぐな金髪、姿勢も口元もきりりと引き締まった、騎士見習いを自称するフィーゴが、ガラハドの隣に座った。彼は普段とあまり変わりがない表情をしているが、完璧な身支度はしておらず、鋼の鎧と鎖帷子は外している。そう言えば、彼とガラハドは昨日の夜は同室だったか。

「おはようございます」

 相変わらずの態度に、アキラはこちらの方が話が通じそうだと思いながら挨拶を返す。

 自分からあの話を持ち出すのは少々癪に障るが、それでも話題に触れないと不自然だと思う自分もいる。とりあえず、それとなく世間話をするつもりで――あまり世間話をする相手に適してはいないが――、フィーゴの方を見た。

「・・・・あんたら、昨日は寝れなかったのか?」

 少々突然の問いかけに、少しフィーゴは驚いたらしいが、隣のガラハドの様子を見ればそう訊ねたくなるのも分からなくはない。苦笑しながら頷いた。

「ええ。昨日は隣の部屋が女子でしたから。女王陛下と一緒に外出する予定の何人かが集まって、夜の遅くまで喋っていたようです」

「・・・・だから、二人共今日は寝坊したのか」

「はい。恥ずかしい話です。騎士は滅多なことがない限り、生活を乱してはならないと言うのに…」

 別にそのくらいはいいだろう、と思いながら、アキラは一口四分の一にカットされたゆで卵を口に放り込む。それを食べ終わると、昨日の夜から思っていたことを口にした。

「・・・・・あんたらは、恐くないのか?」

「何がでしょう」

 フィーゴは丁寧にも、口に含もうとしたスプーンを一端止めて、彼を真正面から正視する。その視線にも怯まずに、アキラは厳しい目つきをする。

「だって、死人が甦ったんだぞ。それで、まともな姿で、いくら有名人って言っても、結局死人じゃないのか。そんなのが身近にいて、あんたら、不思議に思ったり、恐くなったりしないのか」

 それを言われて、フィーゴは少し驚くように目を見開くと、少し感心したようにアキラを見返した。

「ああ…。確かに、そのようにも感じ取れるのですね。私はそうは思いませんでしたから…。――そうですね、死人が甦ったと、思うほうが自然ですね」

「・・・・あんたは、そうは考えてなかったのか」

 訝しげにフィーゴを見るアキラに、彼は笑いかける。

「はい。歴史的に偉大な方が身近に現れたことに対する驚きと喜びが、まずありましたから。それに、死人と言ってもアンデット類のモンスターではありません。あの方が私たちを襲うような真似はしないと思います」

「それは俺も分かる。けど結局は死人だ。本当に死んだのかは分かってなかったけど、冥界王って奴が説明してきた以上、死人なんだろ?そんなのが近くにいて、恐いと思わなかったのか」

「魔力の保有量が凄いんなら、なんでもありだと思うがね」

 突然口を挟んできたガラハドに、少し驚きながらアキラはその方向を見る。やっと目覚めたのか、普段のガラハドに戻っている。姿勢はだらしないが、眼光は確実な力を持っている。

「あんたの前ではあんまり言うのは何だが、異界の魂ってのは、本来カミサマを越える魔力を持ってるって話だろ?あの女王さまが本物なら、復活ぐらいは簡単じゃないのか」

 少々強引な話の結びつけは、やはりまだ完璧に目が覚めていない証拠なのか。フィーゴもそれを思ったのか、とりあえず規則的にスプーンを口に運ぶガラハドに声をかけた。

「起きていますか?」

「失礼なこと言うな。あんたより先に来ただろうが俺は」

「しかし、少々話が突飛です。それに、彼はそんな答えでは納得しないと思われます」

 そうだ、と深く頷くアキラ。それに、ふむ、とガラハドは自分の顎を持った。それと同時にテーブルに肘がつくことになるので、フィーゴは少し眉間をしかめたが、説明を先に聞きたかったらしい。何も言わないでいた。

「俺の実家の近所は黒い噂が聞きやすいところだったからな。何でも、ごく一部の偉い魔族は死者蘇生が可能だとか何とか、そんな噂も流れてた。真偽のほどは分からないが、ガキの時分に聞いたせいで、それだったら人間より遥かに魔力を持ってる奴は、そういうことが出来るのかもしれないと納得出来た」

「・・・・・じゃあこの世界は、死人が甦ってくるのはあり得ないことじゃないのか?」

 驚愕に目を見開かせながら、疑い深くそう訊ねるアキラに、フィーゴが慌てて首を横に振る。

「まさか。そんな簡単に死者が甦ってくることなどありません。蘇生が可能なら、第二次大戦が起きることはなかったはずです」

「まあな。ついでに、葬式なんざ意味がなくなる訳だ」

「・・・・・・いえ、そういう問題ではないと思われます」

 冷静にそう告げるフィーゴに、ガラハドは少し驚いたように彼を横目で見る。

「・・・・・しかし、一度勇者に倒されたと言われる魔族が何者かの手によって再び戦場に姿を見せたと言う話は、確かに聞いたことはありますし、歴史書にも掲載しています。――そうですね。そこから、特別な魔族や人物は、誰かの切望さえあれば、再び現世に現れるのではないかと、私たちは予備知識のように植え付けられているのかもしれません」

「確かにあんたの言うとおり、変なことだと思うが、恐怖は感じないな。実際にあったかもしれない出来事だからだ。あんたの世界では、ありえないことなのか?」

「絶対にな。もともと、神や魔法さえ信じられてない世界だぞ。――死人が甦ったとか、あの世の王がいるなんて、信じたくない」

 本心からのアキラの呟きに、フィーゴは少し呆れたような顔を見せた。ガラハドさえ、少し表情が苦い。

「なら、貴方の言う恐怖は、貴方の常識から来るものなのではないでしょうか。確かに死者が甦ったことは恐ろしいかもしれない。しかし、偉業のある自然の摂理さえ飲み込めるような力を持った方ならば、奇蹟が起きても不思議ではありません」

「――奇蹟な。まあ、魔法が信じられてない連中には、恐くて仕方ないことなのかもしれないか」

 鼻の脇を掻きながら呟くガラハドの言葉に、アキラは改めてこの世界が自分の常識とはかけ離れた世界だと実感させられる。魔法が信じれないなら世界にいたのなら、死者が甦ることも信じられないという理屈がまかり通る状況が、よっぽど奇妙なことらしい。同時に、そんな世界なら死者が甦ることに恐怖を抱いても仕方ないなどと、妙な納得をされる。この世界こそ、奇妙な世界ではないか。

 小さく嘆息しながら、ぽつりと呟いた。

「・・・・・魔法って、そんなに何でもありなのか」

「ありっちゃありだ。俺は詳しくないから、その辺のことは魔法使える奴に聞いてみてくれ。それに、あんたも戦ってる以上は分かるだろ?」

 確かに、ヒールをすれば体力が自然に回復する。回復魔法以外の呪文を唱えれば敵に攻撃となる。ただ単純に「唱えるだけ」であると言うのに、勝手に何らかの力が働いて、それが自分達の戦闘の手助けとなる。重傷を負った仲間も、特別な魔法を唱えれば起き上がってこれる。

 魔法自体が、便利ではあるが不思議な存在だった。同時に、得体の知れない、恐ろしい存在でもある。

「魔法の恩恵に授かる者としては、何でもあり、と言うわけではありません。使用毎に精神を磨耗します。それに、魔法が使えなくなったり敵に対し威力の弱い魔法しか発揮できない魔法使いなど、彼らからすれば屈辱的なこととなるようです」

 つまり、魔法を主軸に戦う者は気位が高い、ということになる。アキラと共に旅をしている『魔法使い』であろう少年少女達はそうは見えないものが大半だが、自分に力を示せなどと言い出した偉そうな老人たちはその類なのだろう。

「昔の魔法は今のよりもっと威力も反動も物騒なもんだったらしい。使える奴が体術よりも限られる以上、利かない魔法しか使えない自分が憎たらしいのは当然だな」

「・・・・・色々あるんだな」

 何だか難しい話を聞かされそうになっていると感じたのか、アキラは強引にそう纏めた。自分から訊ねておいて何だが、魔法の話はここで終わりにしたかった。自分がますます得体の知れない世界にいるのだと、現実味というものすら曖昧な世界にいるのだと思い知らされてしまう。その上、それに慣れて生活していた自分に、どうしようもなく嫌悪の感情すら芽生える。

「じゃあ、あの女王のことは、あんたら、不気味に思ったりしないのか…」

「不思議だとは思います。けれど、怪しいものではないとも思います」

「同意。あんたの言う恐怖ってのは、あんたの常識の内での得体の知れなさだろ?率直に言うと、アンデットだの怨霊だのの類じゃないのかと怪しむのと同じだ。それなら、あの別嬪さんは怖がる対象じゃない」

 軽く手を挙げてフィーゴの意見に続くガラハドの言い方に、少し引っかかるものを覚えたらしい。アキラは更に訝しげな表情で呟いた。

「・・・・・あんたは、信じてないのか?」

「何が?」

「あの、女王が、本当に異界の魂で、ルネージュの女王だってやつ」

「状況証拠はそれなりにある。俺は魔力がないから実感は湧かないが、それでもあの別嬪さんが凄いらしいことは分かる。ならそれでいいだろ」

 つまり、彼女の存在は信じているが、彼女が本物の『異界の魂』であろうが有名人であろうがどうでもいい。と言うことなのか。

 未だに言葉を反すうするアキラを差し置いて、フィーゴも彼の言葉に少し頷いた。

「私もそう思います。私たちにただ親しくしてやってくれと言うことだけを頼まれた以上、あの方をどう捉えるかは個人の自由です。ならば私は、あの方を個人として敬い認めればいいのではないかと受け取りました」

 アキラはそれを聞くと、またも眉間に皺を寄せて二人を凝視した。一晩でそんなにあっさりと割り切れる二人が信じられないのだ。

 その視線を受け、少し面白そうな顔をしたのはガラハドである。容器に付着したごまのソースをさやいけんげんで掬いながら、アキラの顔を覗き込む。

「大体な、俺らは魔族の怖い姉さんで目一杯混乱した末に、さっきの答えを出したんだぞ。今回でそれが二度目だ。なら嫌でも慣れるだろ」

「・・・・ヒロのことか?」

 深く頷く二人。不思議そうな顔をしているアキラに、暗い表情で、フィーゴが口を開いた。

「あの方は――言ってみれば、リトル・スノー様よりも恐ろしい方です。父である大魔王を倒した人間を恨み、一次大戦では彼女から戦争が勃発したと言われています。そんな方が仲間になるなどと言われても、私は最初は信じられませんでした」

「別嬪さんよりも、かなり物騒な人生を歩んでる。正直、あれと比べれば今回の話なんてまだ優しいもんだ。仲間になるわけでもないし、一ヶ月同じ宿ってだけだろ?」

 そう言われればそうかもしれない。けれど、アキラは彼女たちの歴史上の相違点など知らないも同然である。活躍は一応聞いたがこの世界での有名人だという認識で済ませている。だから、また一人、少し風変わりな人物が仲間に入ったと受け取ることと、仲間にはなりはしないが成功した『異界の魂』が身近にいることになったということは、自分にとって全く扱いが違う。それに、『異界の魂』が仲間になりもしないのに、自分達に近付いていくことが、そして仲間たちの注目を一挙に集めることが何よりも腹立たしい。

 アキラの不満そうな顔を、からかうようにガラハドは見た。

「そう言えば、あんたはどうなんだ?」

「え?」

 急に言われて視線を上げたアキラに、彼はにやりと笑いかける。

「あんた、あの別嬪さんのことかなり気にしてるじゃないか。俺らはとりあえず言ったが、あんたはどう思ってるんだ?」

 その笑みは、どう見てもか女王に対して複雑な気持ちでいるアキラをからかうつもりでいるらしい。

 一気に機嫌が悪くなったアキラではあるが、言われた以上は答えねばならない。もう既に空になったトレイに仰向けになったまま寝ているシロを放り込んで、アキラは立ち上がった。

「嫌いだ」

 そう短く、はっきりと言うと、アキラは早歩きでトレイを返しに行く。

 彼の背中を唖然と見ている二人の視線を受けながら、アキラはそう、自分の中に区切りをつけるつもりで告げた。――つける、つもりで。

 

 とりあえず、五人はガラハドやフィーゴのように、切り替えがとても早かったと言える。自分がそういう面に関して言えば実にさっぱりしていたことを自覚していたから尚のこと、その女性を好きになっていた。勿論、有名人だからというわけではなく――昨晩は悲しいことに色眼鏡で見ていたことは事実である――、個人として彼女のことがとても好きになっていた。

 実際、その女性はとても美しい。自分達と背丈は大して変わらないのに、全体的にすらりと細くて華奢で、まるで何かの精霊のように清らかな印象を受けた。髪だって肌の色だって瞳の色だって、ぼうっと見惚れてしまうほど素晴らしい色彩だった。性格も立ち振る舞いも落ち着いていて、理想とする女性像のようにしっかりしていて、常に控えめな態度で、優しいけれどちょっと厳しい。話も面白いし、どんなことでも嫌そうな顔をせずに楽しんでくれた。

 微笑みも、月の光りがこぼれるようにきれいだった。――ほんの少し、その微笑みが少し寂しそうなところが、また何とも言えず彼女の神秘性を物語っているようで惹かれ難い。同時に、まるで全部完璧に見えるその女性の表情が、唯一の蔭りに見えて、その人がただ完璧な女性として存在しているわけではないことが分かり、少し安心できた。

 朝から陽が沈むまで喋って歩いて、普段ならくたくたに疲れるはずなのに、その日は全く疲れなかった。その女性がすぐ近くで微笑んでいたからだと思う。なんだか本当に子どもみたいで、少し恥ずかしくなった。

 そして夕飯を過ぎると、今日のことを思い出しながら五人はまた集まった。件の女性は、今度はネージュやグリューネルト達と一緒になってロビーで会話を楽しむらしい。少し残念ではあるが、反面安心した。甘えたいという気持ちと、十七にもなってそんな子どもっぽいことをしたくないという気持ちで板ばさみになり、妙にかしこまってしまうからだ。

 大きく吐息をついたのは、まずナギだった。

「あー疲れた」

 はしゃぎ疲れた、という意味だろう。ぐったりとテラスにもたれかかる彼女を見て、ミュウが笑う。

「けど、ボク楽しかったよ。あんな人と一緒に、これから一ヶ月も一緒にいられるなんて、すごく嬉しいもん」

 その能天気な言い様に、リュートが呆れたような目をした。ちなみに彼女は今日の同行は辞退したが、ミュウ達に無理矢理引っ張られる形で一緒に街を回ることになったのだ。

「あなたはそれで結構ですけどね、ミュウさん。わたくしはあまり嬉しいとは思えませんわ。わたくし達は演習で遠出をしていると言うのに、あのような誰にでも優しくするような方がいられては士気が下がる一方ですもの。そのうち、戦いに出たくない、あの方と一緒にいたい、なんて言う人もいるかもしれません」

「よっく言う。顔真っ赤にしてかちこちに緊張してるあんたが、嬉しくなさそうに見えたとでも思ってるの?」

「猿の尻笑い」

 ずばりと言ったナギとノーラに対し、リュートがぐっと詰まる。慌てて彼女達の方を振り向き、必死に抵抗の言葉を返した。

「あれは…当然でしょう!?ほぼ初対面の方に対し、あからさまに嫌そうな顔をするよりはあのような顔をしたほうがいいでしょうが!」

「けど演技には見えなかったよ。あたしとか、ミュウ並のドジ踏んじゃってたし」

 まったくの無意識なのか、ヘレネがなかなか鋭いところを指摘すると、リュートは軽く鼻で笑う。少し、虚勢を張っているようにも見えなくはないが。

「それはわたくしの演技が完璧だっただけだと言うことです。それに、あのような行いにはあなた方と言ういいお手本がいますから、参考にさせて頂きましたの」

「そりゃあ、手に汗掻くまで完璧な演技は見たことないからねぇ。あたしもかんっっぺき騙されたわ」

 意識的に意地悪くそんなことを言うナギを、きっとリュートは睨み付ける。それ以上自分のことを突っ込まれれば、ぼろが出るのは時間の問題であることはよく分かっていたからだ。

 当然、ナギもそれがよく分かっていたが、ここではリュートをからかうことを目的としているわけではない。大袈裟に怖がってミュウの肩の後ろに隠れた。

「けど、あたしはリュートの意見も一理あると思うな。そりゃあ、スノーさんってきれいだし、優しいし、なんか凄いオーラ出てる感じはするけど、ちょっと疲れちゃう。首の後ろが嫌な感じになったな」

 ヘレネが少し真剣な表情でそう頷くと、ミュウは不思議そうな顔で彼女を見た。

「そう?けどヘレネ、今日は楽しかったよね?」

「うん。すっごくね。けど、それとこれとは別かな。なんて言うかな――あんまりにもすごい人だと思いすぎちゃって、簡単に自分の思考の中に入っていっちゃいそうって思ったのよ。その、スノーさんがそう言ってたからそのほうがいいんだろうなーとか、そういう感じの」

「ああ、それは分かる。あたしもそう思った」

 ナギも、少し表情を険しくして頷く。

「アキラみたく『異界の魂』って言っても、結構普通だと思ってたけど、初対面から全然違ってたでしょ?それだから、あいつはあんまりそういうの気にしないでもいいけど、あの人はなんか違う感じがした。一緒にいて楽しいし、嬉しいけど、無意識にそうなっちゃう自分が不思議になるくらい嬉しくて楽しくなっちゃう。――それって、怖くない?」

「湯に入りて湯に入らざれ」

 恐らく同じようなことを言いたいのだろう、ノーラも案外深刻そうな顔でそう頷くと、ミュウも少し真剣な表情になって眉を寄せた。

「そうかなあ。そんなに自分の考えを押し付けるような人じゃないと思うけど…」

「違うな。なんか凄そうって頭ごなしに思っちゃうぐらいの人だから、自分から影響されたがるって言うの?何か、そういう感じだよね」

「ええ。確かに、あの方はカリスマ性があり過ぎますわ…しかも、ご本人が気付いているかどうかも不明ですし…」

「うんうん。光が強すぎてこっちがやられちゃうって言うのかな。あたしもスノーさんもそんなつもりじゃないかもしれないけど、教祖と信者になっちゃう感じ」

「ふぅん…」

 少し納得がいかないような顔でミュウが相槌を打つ。その生返事に更に表情を険しくして、ナギが彼女を見た。

「ミュウが思ってる通り、あの人は凄くいい人だよ。あたしもそれは間違いじゃないと思う」

 慎重に言って、ナギはそれでも小さく頭を振る。

「けどね、多分、――近付きすぎちゃいけないんだよ」

 

 

「――あの、どうかしましたか?」

 一瞬何か物思いに耽るような表情を見せたその女性に、ホルンがそっと声をかける。それに彼女はすぐさま気が付いて、相変わらず月夜の下に咲く鈴蘭のような笑みで返事をする。

「明日はどうしようかと思って。…ここ数年の歴史が分かる場所はあるかしら」

「図書館なら…確か、ここにはあったと思いますわ。リトやオルルのほうが大きい町ですけれど、文化面ではこの町が一番発達していますから」

 グリューネルトの言葉を聞いて、女性は嬉しそうに頷く。

「そう。だったら明日から図書館通いになるわ。市民権がないと入れない場所じゃないといいんだけど…」

 それを聞いたネージュが、女性に対しはっきりと首を横に振る。

「いいえ、そんなことはありません。出入りは自由だし、宿屋の滞在票を見せれば、滞在期間内に借りることはできます。一応旅人だからって言うのもあって、一週間だけですけど」

「そう。よかった」

 安心するように微笑む女性に、どちらかと言うと大人しい少女達がほう、とため息を吐く。自制心の強い彼女たちが思わず感嘆の声を漏らしてしまうほど、その女性の笑みは温かかった。

 そんなやり取りを陰で見ると、アキラはまた彼女に対して明らかな劣等感を抱いてしまう。フレデリカだってネージュだって、確かに『異界の魂』である自分に気を使ってくれていた。中には、自分の能力を使ってでもチキュウへと戻す言う少女もいた。けれど、それは明らかに同情である。その厚みはともかくとして、自分に気を使う理由は感情はまず同情にあった。

 けれど彼女は違う。同情などと言う後ろめたい気持ちもなく、少女たちはただ純粋に彼女に惹かれていく。理由があるなら単純な好意。彼女の外観の印象そのままが、ぴたりと当てはまってしまう戸惑いと、更なる敬愛の念を抱きながら、彼女を自分よりもっと素晴らしい存在だと捉える。

 ――そんなことは分かっている。ああそうだ。自分に比べて『異界の魂リトル・スノー』は、自分よりもっと素晴らしい存在なのだ。

 けれど彼女に対し定規に使われる自分は、同じ『異界の魂』であると言うのに不完全な自分は、一体どうなる?彼女という完璧な存在がすぐ傍にいる以上、それまで同情され、被害者であった自分は更に存在を失ってしまう。

 戦えるのが何だ。旅の方向性を決めるのが何だ。皆にとって仲間の一人でしかない自分は、彼女よりも勝る何かがあるとでも言うのか?

 今までの自分を省みても、そんなものはなかった。それよりも、今までの自分がどれほど被害者意識に酔い痴れて、周囲の好意を素直に受け取られなかったのかが気になって仕方がない。だからこそ、焦ってしまう。いつか皆の中で、自分よりも彼女の方が、素晴らしい『異界の魂』として定着するのではないかということが。自分より彼女が旅で一緒だったらいいのにと思うかもしれないことが。彼女は完全だから人格も完璧で、自分は不完全だから人格も不完全なのだと思われるのではないかと思うと、怖くて仕方がない。

 妙な焦りを感じながら階段を上っていくと、テラスに一人、誰かがいた。興味はなかったが、暗闇の中に誰かがいると一瞬でも驚く。同時に彼は深い物思いから我に返って、その人影を見た。

「あ、アキラ」

 夜が深け、街が少しずつ眠りによって支配されようとしている時間、テラスにいたのはミュウだった。何かあったのか、少し落ち込んだ様子で深海から見る空の瞳をアキラに向ける。

 一瞬身構えたアキラではあったが、いつも元気な彼女が珍しく落ち込んでいる姿はあまり見ない。黙って、ミュウを見た。

「ね、ちょっと相談に乗ってくれない?さっきまでボク一人でずっと考えてたんだけど、なかなかいい方向に頭がいかなくってさー…」

 ぽりとぽりと頬を掻き、少し元気のない笑みを見せながらそう上目遣いで訊ねてくる。それに、今まで重い気持ちであったアキラは簡単に頷けなかった。

「・・・・・内容による。俺も今は、あんまり明るい気持ちじゃない」

 それを聞いて、ミュウはむう、と顔をしかめる。その目は、相変わらず冗談でも本気になって考える彼女らしい真剣な色を見せたので、少し彼は肩の力を抜いた。

「うーん…それがね、スノーさんのことなんだけど・・・・・・」

「――っ!」

 しかし、不意打ち。今現在、一番考えたくない人の話を、油断した相手に持ちかけられる。彼女にその意思がなくても、彼には大きな裏切りだった。同時に、一瞬でも油断した自分が、とてつもなく馬鹿に感じた。

「そいつの話はするな!」

 もう何人もの生徒が二階の自室に戻って、思い思いの時間を過ごしているにも関わらず、それが頭に入っていたにも関わらず、アキラはそう叫んだ。腹の底から、ミュウに対し敵意に近い怒りを持って。

「・・・・・え?なに?なんかボク、悪いこと言った?」

 勿論、ミュウにはそんなことは分かりはしない。急に怒り出した彼を心配そうに見るが、激しい自己嫌悪と被害妄想に囚われている彼にはそんな気遣いも分からない。まるで、自分が何も分かっていないように――部外者であると言われたように、彼は再びミュウをきつく睨んだ。

「ああそうだよな。俺はお前らみたいに素直でもお優しいわけでもないからな。あいつに仲間になってほしいんなら本人にそう言えよ。俺のことなんか気にする理由はないだろ。勝手にやってろよ、自分達の好きなように」

 珍しくもアキラが一気にそうまくしたてたことにも驚いたが、それ以上彼が何か激しく誤解していることにも驚いた。そう唖然としてるミュウをどう思ったのか、アキラは更に絶望的で皮肉な笑みをミュウに向ける。

 彼の中では、自分の言ったことは半分は当てずっぽうで半分は最もなってほしくなかったことなのに、それがずばりそうだったのだという、自分にとって最も絶望的な答えが導き出されていたのだ。

 思わず口調が荒々しくなっていることにも構わず、彼は笑った。絶望が間近にあると、もう笑うしかないのだという新たな発見に乗せられたまま。

「なんだよ図星か?俺は不完全で、むこうは完全。そりゃあ、あいつが全部完璧なら、俺みたいに変に手間がかかる奴なんて見捨てたくなるよな。ああいいよ、俺なんか見捨ててあの女のところに行きたきゃ好きに行ってろよ」

「違う…違うってば!そんなことじゃない!」

 ミュウは必死に首を横に振る。その目は事実、アキラの言っていたことを否定しようとしていたが、彼にはそうは見えなかった。まるで自分を無理にあやすように、自分に少しでも落ち着いてもらって、ミュウの望み通りの言い訳を聞かせたがっているように見えた。――しかし、そんなわけにはいかないのだ。

 あくまで、彼の心の中では。

「嘘付けよ!俺よりもあの女の方がいいんだろ!?それなら俺なんか無視しろ!」

「違うってば!アキラ!」

 ミュウの、これ以上ない悲痛な叫びが二階にいた全員に聞こえたのか、二階全体が妙に静かな空気に包まれた。しかしその静けさはまるで全身に枷をつけられたような圧迫感を持つ。

 アキラもやっと我に返ったのか、愕然とした表情でミュウを見ていた。しかし、彼は少々前が見えなかったのだろう。彼女の声に崩れ落ちそうな悲しみが聞こえた時に、すぐさま謝ってしまえばよかった――普段の彼ならそれが出来たはずなのに。

「・・・・・悪い」

 アキラが俯きながらそう呟くも、ミュウにはそれが聞こえていたかどうかも分からない。息をするにもぎこちなくなってしまうほどの空気の中、少女は一つ、目元から雫を落とした。心地よい湿気を含んだ闇に光るそれは、流れ星に似た儚い光を持つ。

「・・・・・・・・・アキラの馬鹿」

 そんな嗚咽が漏れる。その声を聞いて、更に彼は居た堪れない気持ちになったが、その涙を止める方法などない。こればかりは、本当に彼が悪いのだから。

「・・・・・ボクは、そんなこと、考えてないよ。みんなだってそうだ。アキラは大切な仲間なのに、見捨てるとか、無視するとか、そんなことするつもりはない・・・・・」

 彼女からすれば、錯乱したアキラの言葉はあまりにも意外すぎた。それと同時に、そんなことを考えてしまうほど彼が自分を追い詰めていることなど知らなかった。それに気付かず、昨日からずっとリトル・スノーとの会話を能天気に楽しんでいた自分が悔しくてならなかった。―― 一番、自分の馬鹿さ加減が彼女の中で辛く響いた。

「・・・・なのに、なんでそんなこと思ったのかな。ボクたち、そんなにアキラのこと、信頼してないように感じたのかな」

 自分にとって当たり前に、正しいことをしてきたつもりだったのに。けれど彼は自分を信じれなくなるほど、自分を追い込んでいたのだろうか。それを思うと、自分の不甲斐なさに涙が出る。

「・・・・・悪い」

 それしか言えない自分が、アキラは憎かった。いつも明るくて悲しそうな顔すらしないミュウが、今自分の目の前で肩を震わせ泣いている。それに戸惑っているばかりで、けれど妙な意地もあって、素直に謝れない現状が憎い。

 それを聞いてどう思ったのか、まだ少し涙のあとが伺える顔に強い意志を持って、ミュウは大きく前を向いた。

「分かった。ならアキラがそんな誤解しないように、ボク、スノーさんと一緒に遊ぶのやめる!」

「なっ、馬鹿!」

 あまりにも予想外過ぎる言葉に、逆にアキラが慌ててミュウを見返す。確かに先ほどまでの彼が望んでいたのはそれかもしれないが、それこそミュウの行動に自分が直接口を出すものではない。しかも、強制的に。ただ自分の方がいいと言うわけでもなく、自分がそんな誤解をしないようにするため、だなんて――。

「馬鹿なこと言うな!俺はそこまで馬鹿じゃない!お前がそう言ったんなら、俺が納得するのが普通だろ!?

「けどアキラはさっき分かったって言わなかったじゃないか!ならボクがアキラにむりやりにでも納得させる。アキラが不安になるくらいなら、スノーさんと遊べなくってもいいよ」

「分かった!分かったからそういうのは止めろ!俺はそんなことしてもらいたい訳じゃない!」

「なら何してほしいのさ!」

 ほぼ売り言葉に買い言葉の勢いでミュウがそう訊ねると、アキラはぐっと詰まった。――ミュウの言葉は突飛だったが、その反面、少し嬉しかった自分がいる。けれど、それだけは駄目なのだ。そんなことをしてもらっては、更に自分が馬鹿に見える。

「そんなこと知るか、馬鹿!」

 急に出てきた貶し言葉に、ミュウは真剣に驚いて、真剣に怒った。それはもう、引きずっていた涙も一瞬にして枯れる勢いで。

「馬鹿ってなんだよ!ボクが真剣に聞いてるのに、急に馬鹿って言うことはないでしょ!!

「五月蝿い!お前が馬鹿なこと言うから馬鹿なのは事実だ、馬鹿!」

「また馬鹿って言ったー!知らないの、馬鹿って言う奴の方が馬鹿なんだよ!」

「そんな話持ち出してくる奴が一番馬鹿なんだよ!」

「それじゃあいーよもう、ボクは馬鹿で!けどそんなこと言ってるアキラも馬鹿なんだからね!」

「違うな、馬鹿はお前一人だよ。馬鹿!」

「はい、馬鹿馬鹿合戦はそこまでだ」

 と、露骨にも呆れた顔で二人の肩を叩く者が一人。この上なく疲れたようなため息すら吐き出して、ファインがアキラを見た。

「幼いとは言え女性を貶めるようなことは言うものじゃないよ少年」

 そして、ミュウの方を振り向いて、アキラよりも少し優しい顔で言ってやる。

「お友達を心配させるようなことは止めておいたほうがいい。下の階にまで聞こえていたからね」

 はっとしてうな垂れるミュウを見ると、ほぼ強引にアキラをマックスの部屋に放り込む。マックスは銃のメンテナンスをしていたらしく、小さなデスクは何かの部品で散らかっていたが、先ほどの話はしっかり聞こえていたのだろう。投げるようにファインがアキラを部屋に入れると、それを見事に受け止めた。

 ミュウは、さっきからファインの後ろで戸惑っていた女子何人かに囲まれて、ホルンとル・フェイの部屋へと入っていく。

 それを見届けた後、イグリアスは眉間を押さえながら、更に後ろにいたリトル・スノーを振り向く。

 彼女は少し笑ったが、その笑みには明らかに悲痛なものを感じさせていた。

 

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