Sweeter than honey

 

 彼女とこんなに早く再会するとは思っていなかった。

 正直なところ、彼はまた逢えて嬉しいとか、きれいになったのだろうとか、そういう感想以前に、そんなことをまず考えた。

 事の始めは、今回の旅でこんなに人が集まると思っていなかったと、苦笑しがちに褐色の踊り子――ハーフエルフで、確かニヴァと言った――が言っていたことから始まる。

 そんなに増えたんですか、とフレデリカが訊くと、こっくりと頷いた傭兵くずれの男は、新参した引率者側が持ってきたらしいリストに書いてあるらしい名前をざっと述べる。

 その中に、彼女がいたのだ。それどころか、在学している元同級生のほぼ全員が、この風変わりな一行に加わってくると言うではないか。ヘレネとキュオは、早速彼女たちが待っていると言う宿屋に向かっていった。

 自分も行っても誰も咎めはしまい。冷やかすこともないだろう。元副級員として、在学者に顔ぐらいは見せるのは当然なのだろう。

 けれど、何らかの後ろめたさがあるのは事実だった。相手が友達などではないからだろうか。では何なのだろう。彼女の存在は、自分にとって何だったのだろう。

 答えは実に簡単だった。恋愛対象であり、気心の知れた同級生でもある。

 故郷に帰っても、黙々と自分に分け与えられた仕事をこなしていても、村の年頃の娘に憧憬の目で見られていても、ただ思うことはそれだけだった。

 正直に言って、学園への憧れと勇者への道はもう既に自分の中で終わっていた。自分にとって最後の試験が終わった瞬間に、ああやっぱりそうなのだと思えたあの安堵感はまだ胸に残っている。やっと自分は、勇者の可能性を事実上捨てることが出来たのだと。誰かを蹴落とし、誰かに裏切られることなど、なくなったのだと。

 けれど、ただ一つ捨てきれないものがあった。甘い菓子の香りを体臭にした、優しい少女の笑顔。朝焼けの空を髪に映し、真っ白な肌に茶色の瞳を持つ少女。

 あそこから離れ、自分の体がじょじょに少年の姿を失っていくと同時に、心まで少年というものを失っていくことを、少しずつ感じさせられた。単なる憧憬や、一緒にいたいという思いより、あの体を抱きたいと、彼女自身を自分のものにしたいという念が強くなっていく。

 四年もただ一方的に思い続ければ、そうなってしまうものなのだろうか。それとも、自分が欲深いだけなのだろうか。

 そんな不安は募りに募り、そしてまた彼女への想いもまた強くなっていく。

 自分では到底操ることの出来ない欲望に、彼はただ振り回されるしかなかった。彼女を泣かせたくないと思いつつ、彼女の思いなど無視して彼女を独占したいと思う。双方の思いは彼にのしかかり、ついに彼を安定していた故郷からの脱出にまで追い込んだ。異界の魂に言ったことは嘘ではない。けれど、故郷から逃げた理由の一つに、それが隠されていることもまた事実だった。

 そして今、その理由が解消されつつある。いや解消なのか。会えば、更に欲望のせめぎ合いが生まれそうな気がする。

 苦いため息をついた彼に、ガラハドが反応する。

「辛気臭いツラしてるぜ、元副級長」

「悪いかい?元々こういう顔なんだが」

「そいつぁご愁傷さまだな」

 口の端に皮肉な笑みを浮かべ、どこからくすねてきたのか、コインを指で弄びながら彼の横を通り過ぎる。

 それを見て、彼はぽつりと呟いた。

「君はいかないようだね」

「ん?」

「在学生のみんながいる宿に」

 褐色の肌の少年は少し複雑そうな表情を浮かべ、浅く頷く。何故、と彼が目で問うと、苦笑しがちに答えた。

「そこまで仲良しこよしとやってきたんじゃないからな。一応俺はあそこから出て行ったわけだし、戦闘中に挨拶するぐらいで済むだろうよ」

「顔見せぐらいならすべきだと思うけどね。何の因果か、いるということを知らせないと盛大な文句を頂きそうな女子が多い」

「まあな」

 少し笑うガラハド。しかし、本気で行くつもりはないらしいと判断した彼は、そのまま軽く別れの挨拶をして、ガラハドと別方向へと向かう。

「――まあ、男上げるんなら焦らずな」

 軽く肩を叩いて、そんなことを言うガラハドに、一瞬きょとんとした彼は自分より少し背の高い黒髪を見た。

「・・・・・なんの話だい?」

「さあなあ」

 薄ら笑いを浮かべながら、悠々と軽い足取りで去っていくガラハド。その背中がやけにゆっくりと自分のほうを向けていることで、かの賭博師が何を言いたいのかが分かってくる。

 勘と運で今まで生きてきた男である。自分の感情など、学園にいたときから知っているのだろう。そして、それを敢えて分かったときに指摘せず、今自分が心なしか緊張している最中に言うのだ。

 ――趣味が悪い。

 確かに今の自分が望むものは、若い女性の心や言葉より、肌なのかもしれない。けれど、他の女性ではなく、彼女でないと何の意味もないのだ。そしてそう自分とガラハドに心の中で言い聞かせるも、ではもし今日、彼女を抱くことが出来たなら、という仮定に自動的に入ってしまう。あの細い手首を、あの華奢な肩を、自分の手で包み込めたら――?

 それを想像すると、体中の血が急に循環がよくなりすぎていくのが分かって、彼は少し焦った。

「・・・・・・・そんなこと」

 あるはずがない。むしろ、あってはいけない。

 久しぶりに会って、今まで学校でどんなことがあったのか、聞くだけだ。自分のほうの話は面白みがないものばかりだから、ただ彼女の話を聞くだけでいい。きっと彼女は相変わらずあの穏やかな微笑を浮かべて、威勢のいい連中のことを楽しそうに話すだろう。その声を聞けば、その笑顔を見ることが出来れば、それで自分は満足だ。

 そう言い聞かせながら、黙々と石畳を歩く。行き交う人々は自分を見ているようで見ていない。ただ、通行人の一人としてしか、認識していない。そういうものなのだ。

 なのに、きっと、自分はあの紫の豊かな髪をこの中に見つければ、その存在を特別に思うだろう。その背中を見て、慌てて追いかけようとするだろう。そしてその背中に声をかけようか迷う。または、その背中に追いつけなくて、見失った瞬間に、自分の中に、言い知れない不安と自虐心が芽生える。

「シュウ」

 澄んだ声がした。背筋をまっすぐにのばして、はっきりと腹部から息を出して発声したような声音。

 何もそれは本人の意図することではなく、その人の周囲の人々が昔から彼女にそうするように教えたのだろう。気が付けば自分は公園の角に来ていて、その背後に声の主はいた。

 毛先にカールがかかっている、豊かなハニーブロンド。髪留めのつもりなのかその金髪の上に、白い冠を黒いリボンで留めている。血色のよい顔に輝く二つの目は、彼女の性格にふさわしい晴天の青だった。一見すると地味だが、実はたっぷりと金をかけているピンクと白のドレスの上に、鋼と金の装飾の鎧をまとった少女がいた。

「久しぶりだね、グリュールネルト」

 彼は相手なりに会釈をすると、グリューネルトは少し驚いた様子で彼を見る。が、すぐに破顔した。

「本当にお久しぶりですわ。随分背が伸びましたのね」

「四年前と比べられると少し困るんだが・・・・・」

 何しろあの時はやっと男女の体格に違いが現れ始めた頃だ。既に成長期を終わろうとしている彼が、未だにあの時と相対して変わらない身長ではそれこそ困る。

 苦笑する彼に、グリューネルトはそうでした、と何でもないように答える。この貴族の令嬢にとって、それよりも驚くべきことがあったらしい。

「それに、愛想も四年前に比べてよくなりましたのね。前は挨拶をしても、こちらを軽く見るだけでしたのに・・・・・」

「それは昔の過ちと思ってもらえないかな。あの頃は余裕がなかったんだ」

「ええ、存じています。あの時はわたくしも常に気を張り詰めていましたから。・・・・けれど、今の貴方はそれとは別に違いますわ」

 そこまで強固に変わったことを強調されて、彼は苦笑した。確かに自覚はある。あの頃はまだ閉鎖された学園という社会でそこそこ優秀な成績を収めて、教室内でもリュート程ではないが一目置かれる存在だったのだ。それを鼻に持っていた節はあるし、同時に陰の努力が無駄になることを恐れ、虚勢を張っていた面もなくはない。

 けれど結果的に蹴落とされて虚勢を張る必要もなくなったし、更に広い社会に出ることで現実の厳しさを知った。使えない者と運の悪い者は、実社会では意味がないのだと教え込まれた。

 その経験があの時の棘を丸くしたのなら、それは当然とも言える。しかし、彼の前に立っている金髪の少女はそんなことを知らない。閉鎖された学園という社会に身を置いて、知識と演習で自らを鍛え上げていく。それが彼女にとっての日常的な経験なのだ。彼の経験とは次元が違う。そしてそれはいいか悪いかの問題ではなく、それぞれがそうなることを肯定し、本人がそれに自ら適応しての結果だった。

「そこまで言われると少し辛いな。僕はそんなに刺々しかったかい?」

「ご安心を。わたくしに比べれば、ずっと社交的でしたわ」

 社交性が大切な貴族の女性であるグリューネルトがそんなことを言う。それはない、と彼が笑った。

「それこそ謙遜だ。君も以前から礼儀を重んじているのはよく分かったよ。特に、今と比べると」

「あら。今はお転婆かしら?」

「いいや、以前よりも明るい淑女になられた」

 その言葉を聞いて、グリューネルトはにっこりと微笑む。夏に咲く薄桃色の薔薇のような、豪華でありながら楚々とした美しさを持つ笑みだった。ならば彼女が笑う姿は、コスモスか鈴蘭のようなものなのだろうかと薄ぼんやりと想像する。

「それを言うなら、貴方も立派な紳士になられましたわ、シュウ」

 善意の笑みでそんなことをきっぱりというグリューネルトに、彼は内心苦笑した。どこの世界に、好きな女性に対し醜い欲を抱く紳士がいるのだろう、と。

 しかし、そんなことはグリューネルトは知りもしない。急に何かを思い出したように、公園の方を向いた。そして叫ぶ。

「ネージュ!」

 一瞬、心臓の鼓動が耳に刻まれるように大きくなる。公園の方に背を向けている彼には、内部の様子はわからない。けれど、彼女がいるらしいということは分かる。

 それだけで、彼は耳障りなくらい大きい心音と硬直が体中を襲い、彼女と会えばどうすればいいのか全く分からなくなってしまう状況に陥る。何かを考えようとしても落ち着きというものをなくし、気絶か失神でもするように、思考能力がなくなっているも同然なのが分かった。

 軽い足取りが聞こえてくる。まだ若い、明るすぎない、おっとりとした足取り。

 その足音を聞くだけでも、彼は頬が赤くなっているのが分かった。それどころか、耳まで赤い。

「どうかしたの?」

 前よりも、落ち着いたトーンの声。霞みがかった月のような、控えめな優しさが感じられる声。四年前は怯えているようでもあったが、今は違う。安定した、柔らかな調べを持つ発声だった。そう言えば、女性でも声変わりはあると聞いたことがあった気がする。けれど、男ほどのものではないから目立ちはしないらしいが、それでも彼には四年の違いははっきりと聞こえた。

「懐かしい人と会いましたのよ。シュウ?」

 声をかけられ、さすがに棒立ちのままでは異様かもしれないと思い、ゆっくりと体をグリューネルトと同じ方向に向ける。そして顔を上げたその瞬間に、鮮やかな紫の髪が目にとまった。

 四年の違いは、彼女にもはっきりと見て取れた。グリューネルトと比べれば赤みが強い気もするが、それでもばら色の大理石に似た肌は美しい。顔のパーツはほとんど変わりはないが、輪郭や首筋はあどけなさを失い、代わりに女性としての柔らかい線を描いている。軽く三つ編みにしないとまとまらなかったすみれ色の髪は、更に豊かになり彼女の背後を覆い隠す。瞳は艶やかになり、まるで食べごろのざくろのように輝いている。華奢な肩や腕も薄く肉付いて柔らかさを増し、過去にあった、力いっぱい抱きしめれば壊れてしまうような印象はない。逆に、抱きしめればどこまでも柔らかく受け入れられるような包容性を感じられる。体全体の線はスカートで分からないが、相変わらず華奢だと思わせるのは、細いリボンの靴で包まれた足首だけだった。

 そして以前よりも質量が豊かになった胸元に目をやってしまい――その証拠にゆったりとしたワンピースのスカートとは違い、上半身を包む箇所は胸元だけ窮屈そうな印象を受ける――、赤くなった耳を思わず手で冷やそうとする。

 その彼女はきょとんと自分を見ていたかと思うと、次ににっこりと、少しはにかむような笑みを見せた。

「・・・・・お久しぶり、シュウ」

「ああ。久しぶり」

 恥ずかしさと緊張のあまり、自分の口から彼女の名前を出すことですら難しい。

 何より、彼女の視線はまるで自分の心のうちを見透かすようで目も合わせることができない。完全な混乱に追い込まれた彼に、グリューネルトは訝し気に彼を覗き見た。

「どうかしましたの?」

「・・・・・・・いや、何も」

「そうは見えませんわ。熱があるみたいですもの。体調が悪いなら無理をなさらない方がいいですわよ」

 余計なお世話である。しかし、彼女達に内面を晒すわけにはいかない。あまり二人の自分の顔を見られないよう、ゆっくりと後退する。

「・・・・・そう見えるんなら、そうさせて頂こう。じゃあ」

 急いで踵を返そうとする。彼女の姿は一応見たのだ。何の準備もなく、心構えもなく彼女に逢ったものだから、彼の精神はまるで砂の城のように脆くなっている。こんな精神状態ではまともな口は利けまいと思い、宿屋に帰ろうとした彼ではあるが、その歩みを止める声がかかった。

「待って!」

 無論、彼女の声である。そして彼はその声を振り切れるほど自我が強いわけではない。その声の通りに足を止めると、彼女を見ないように体を後ろのように向けた。

「何かな」

「あの・・・・・あなたたちの泊まってるお宿はここからじゃ遠いと思うから。わたし達が泊まってるところのほうが、この近くにあるの。そこで休んでいって」

 尚更休めない。

 しかし、彼女たちは自分の体調が悪いと信じているならそれを辞退するわけにもいかなかった。グリューネルトはそれは得たりと言わんばかりに張り切っている。

「そうですわね。では、わたくしは宿場の主人にもう一室開けるように言っておきましょう」

「そうしてもいいけど、きっと手間が掛かるわ。わたしの部屋だけは確か個室だから、そこで休んでもらうほうが…」

 冗談ではない。彼女が寝泊りしている部屋などに足を踏み入れた時点で、今晩は寝ることすら困難になりそうだ。何より、その場で何事もなく休めることなどできるはずがない。

「そんなことをしてもらってまで休みたい訳じゃない・・・・。帰るよ」

「駄目ですわ。少しでも早く体調がよくならなければ、戦いで足を引っ張ることになるかもしれませんもの」

「そうよ、シュウ。ファーストやリムリムちゃんもいるけど、大人しくしてもらうように言うわ。だから安心して、遠慮しないで」

 ここまで言われてはっきりと断ることはできるとしても、彼女達を納得させる理由が思いつかない。ただでさえ精神的に混乱している彼に、いつも以上の頭の回転を自らに求めるのは無理な話である。

 曖昧に言葉を濁す彼の意思をきっぱりと無視して、一見大人しく優しげな少女二人は強引に自分達の宿のほうへと彼を連れて行った。その理由が、純粋に彼女達の優しさから来るものである以上、連れられていく彼は文句も何も言えない。

 そして本当に熱でもあるのか――恐らく極度の緊張のせいなのだろうが、意識朦朧となった彼は、気が付けば少し広めの一人部屋にいた。傍ではネージュが彼女の分らしい荷物をまとめていて、簡単にベッドを整理している。

「ちょっと待ってね。小物とか、出しっぱなしにしてたから…」

 苦笑しながら、お手製らしい麻布の袋にブラシやリボンを入れていく。それをぼんやりと見ながら――緊張しすぎたのか、もう既に混乱はしていないものの放心状態になっている――、彼はふと気が付いた。彼女は、そんなにものを散らかすような性格ではなかったことに。

 在学中のときは隣の席だったのでよく見えた。自分は整理整頓に関しては少し大雑把で、メモやプリントは自分の中で決まった場所に仕舞い込んだだけ、というパターンが多かったが、彼女は全く違った。女子が好きそうな淡い黄色や紫のファイルを作って、重要度や期間別に別け、きれいにファイリングしていた。筆箱や机の中もきれいなもので、整理されているその空間は、無駄がなく、けれどどことなく女の子らしさも感じられる雰囲気を感じ取れた。

 なのに、今の彼女は必死になって小物類を片付けている。ベッドの周囲にもヘアピンやノートの切れ端、小説や料理のメモ、可愛らしい栞が散らばっており、本当に彼女の部屋なのだろうかと思わされる。

 茫然としている彼に、見られているのが少し気まずいとでも思っているのだろうか。苦笑しながら、ネージュは彼の方を向いた。

「ごめんなさいね、汚くて…。昨日、なかなか眠れなくて…色々自分を落ち着かせようとしたんだけど、そうしてるうちに眠っちゃったみたいで・・・・」

「なぜ?」

 まだ軽い放心状態になっている彼の問いに、彼女の頬が火をつけたように赤くなった。それから、彼を見ないように俯いて呟く。

「・・・・・・・なぜって、あの・・・・・き、緊張してたの。その、昨日、知らされたから」

「何を?」

「・・・・・えっと、ほら、キュオとか、ヘレネとか、・・・・あなたに、会うの、久しぶりだから」

 消え入りそうな「あなたに」。

 それを聞いた瞬間、ネージュの頬の赤みが増し、同時に自分の顔がまた赤くなるのを、シュウは感じた。そしてまた、恥ずかしさと居た堪れなさが自分の胸のうちに生まれる。

「・・・・・やっぱり帰るよ。もう、大丈夫になったから」

「だ、駄目っ!」

 立ち上がった彼の腕を、彼女が思わず掴む。

 それを見た驚愕の表情の彼に気付いて、彼女はまた赤くなって、彼の腕を掴んだ手を離した。

「・・・・・あの、ごめんなさい」

 彼が自分に向けているであろう視線に耐えられなくて、彼女は思わず俯いてそう謝る。

 四年前とちっとも変わっていない。

 あの頃を思い出すたびに、彼女は胸が針で刺されるような痛みを感じていた。だからこそ、今度いつかまた彼と会うときが来れば、その時は素直になろうとかたく心に誓ったのに。なのにまた、遠慮する癖が出て自分の感情を押さえ込んでしまう。けれど自分から進んでいって、もし拒絶されたらどうしようと思うと、もうなかったことにされてしまったらどうしようと思うと、――昨日からずっとそれが、怖くて怖くて仕方なかった。

 彼がどれだけ身長が伸びたのだろうと思うと、どれだけ男性らしくなったのだろうと思うと、緊張して、興奮して、眠ることはともかく大人しく床につくことすら困難だった。だから色々な落ち着く方法を試してみても、いつもの自分になれはしなかった。逆に、自分はこの四年でどう変わったのだろうかと言う戸惑いの方が、頭の中を占めていった。

 体の方は、まだなんとなく四年前とは違うなということが分かる。もともと自分は発育のいいほうだったから気にしたことはないが、体操服に着替えるときに、ミュウがぶすっとした顔で自分の胸が羨ましいと言ったことがあった。そんなことはないと笑って否定したが、内心、そうなのだろうかと恥ずかしかった。だから多分、自分ではそう思ったことはないが、完全な女性の体へと近づいていっているのだろう。

 けれど、心の方はどうなのだろう。

 彼と会わなくなって四年間のことを考えると、あまり自分は四年前と比べて変わっていることがないんじゃないのかと思った。いつもミュウやリュートの明るくはっきりとものが言えるところに憧れていて、それに比べて自分はなんてあやふやな態度ばかり取っているのだろうと思っている。何も変わらない。いつも、何かに憧れていて、彼に今度会った時は――そう考え続けている。それだけだ。

 性格の変化がないと自分で思うことに、愕然とした。変わろうと思ったのに結局変わっていない。変わることばかり望み続けている。自分で歩もうとしない。――最悪だと、彼女は自分を責めた。

 だから、なるべく彼には会いたくなかった。彼に会って、昔と何ら変わりのない自分を見られることがいやだった。彼は失望するかもしれないと思うと、泣きそうになった。

 けれど今日、会ってしまった。四年ぶりに再会した彼は、四年前に比べて大人になっていた。態度も、体も。きっと心も。

 羨ましかった。そして、更に彼のことが好きになっている自分に気付いた。そんなことはだめなのに。自分はどこも変わっていないのに。自分は彼に向き合う資格がないのに。

 その上、彼が気分が悪いらしいからと言って自分の部屋に連れてきても、昨日のことでいつもと違って部屋は散らかっていた。片付けながらなら冷静になれるかもしれないと思ったのに、何も落ち着いて話せない。それどころか、彼は迷惑らしく帰りたがっている。最悪だった。自分の知る限り、自分は誰よりも最悪だった。

「・・・・・ごめんなさい」

 いつの間にか、涙が目尻に浮かび上がってくる。最悪だ。迷惑がっている彼を、涙で引きとめようとしている。こんな自分は最悪だ。

「・・・・・・ごめん、なさい・・・・・・」

 嗚咽が彼女の唇の端から聞こえてくる。泣くまいと、必死に堪えようと結んだ唇から漏れる声に、彼はいつかのデジャ・ヴュを見る。

 彼女と同じくらい優しい風が吹く中、涙を流しながら必死に自分に詫びる、脆い肩をした少女。空は穏やかに晴れていて、自分の心も晴れていて、彼女だけが泣いていた。優しい彼女が、自分のためだけに感情を乱していた。

 あの肩を抱きたいと、思い出すたび思っていた。そして同じものを漂わせる肩が、今自分の目の前にある。

 そして気が付けば――彼はその肩を抱きしめていた。相変わらず華奢い、けれど想像以上に温かく柔らかい肩。そして、酔ってしまいそうな女性の、彼女の甘い匂い。菓子の香りだと思っていたそれは、菓子よりも甘く、心地よく、彼の脳髄を刺激する。彼が今まで匂ったことがない、人くさく、優しく、喩えようがないくらい濃厚な甘さを持つ香り。

 その匂いを胸いっぱいに吸い込むように大きく息を吸うと、彼は呟いた。

「・・・・・ごめん」

 硬い胸に、――安定した力強さを持つ体に抱かれながら、ネージュは彼のその言葉に驚いた。悪いのは自分のほうなのだ。せっかく休ませるつもりだったのに、もたもたと待たせてしまった自分が悪いのだ。

 彼女は動けないまま、ふるふると首を振った。

「シュウは、あなたは悪くないの!わたしが・・・・わたしが、情けないから・・・・・」

「そんなことはない」

 彼の凛とした声が彼女の言葉を遮る。その腕だけではない力強い言葉に、彼女は声を止めた。

「・・・・・泣かせてごめん。悪かった」

 彼は謝らなくてもいい。また彼女は自分の不甲斐なさに泣きそうになるが、彼が自分の方を向くことで、その涙が止まる。

「・・・・・・あんまりにもきれいになったから、何も言えなくなったんだ。君を不安にさせて、ごめん」

 ネージュは初めて、彼のその表情を見た。

 彼は少し赤くなりながら、自分を大切そうに慈しむように見てくれている。ぎこちないが、それでも照れたような笑みを口元に浮かべ、自分を抱く腕の力を緩めてくれた。

 自分を好きだと思ってくれる。こんな自分をきれいだと言ってくれる。こんな自分を、まだ想っていてくれる。

 ネージュは泣きそうになった。今度は、あまりにも嬉しすぎて。

「・・・・・僕は男だから。君を傷つけるのが怖くて仕方なかった。何か言って、君を泣かせてしまったらと思うと怖かったんだ。・・・・・なのに、泣かせてごめん」

 ふるふると、首を横に振る。彼が悪いんじゃない。自分が悪いのだ。

 嗚咽交じりに、彼女は唇に篭めた力を緩める。

「・・・・・ちがうの。わたし、シュウが変わったのに、わたしだけ、変わってなくて・・・・四年前とおんなじで、馬鹿みたいって思って・・・・・」

「変わった。さっき会った時、四年前みたいに怯えてなくて、驚いたよ」

「・・・・うそ」

「四年前は、僕が目を合わせようとしてもちょっと目線をずらして避けてたけどね・・・・今は僕の方が目を避けるようになった」

 それどころか、今抱きしめていることが嘘のように緊張し、動揺していた。しかし、あの時彼女は少しはにかむ程度で、笑みすら見せて自分に笑いかけていたのだ。大した差だと、彼は思った。

「そんな、ちがう・・・・」

「君は変わった。誰かに言われていないだけだ。僕も、自分では昔と変わっていないように思える。むしろ昔のほうが、まだ素直だと思う」

 今の彼が見せている笑みは、穏やかで落ち着いていて、子どもをあやすように自分を抱いているのだと彼女は感じていた。そんなこと、四年前の彼には想像がつかない。いつも冷静沈着であろうとし、誇り高く、極度の馴れ合いを避けていたあの頃の彼からは。

「違うわ・・・・・シュウは、大人だもの。四年前より、ずっと大人になった」

 濡れたざくろの瞳が彼を覗き込む。彼女の柔らかい唇が、自分の名前を告げる。それだけで、自分の体の芯が狂ったような熱を持つ。

 彼はその現実に、自分の体が求める欲に、ため息をついた。こんな汚い箇所を、彼女に知られたくない。けれど知ってもらわねば、彼女は自分を避けようとしない。

「なったかもしれない。いやな部分で」

「そんなことないの!」

 必死で彼の裾を握り締める彼女。彼は違う。自分の知るいやな大人になんて、近付いていない。そう言いたくて。

「なってるんだよ、ネージュ。僕はもう、君が知るほど、優しくなんかない」

「あなたは優しいの。・・・・なら、なんでわたしを放っておかないの?泣いてるわたしを放っておけば、シュウは逃げれたのに…」

「逃げなんかしない。・・・・・逃げたら、勿体無いから」

「何が?」

 そう正直に訊ねる彼女の唇を見ると、彼は少し躊躇った。ほんのりと湿り、ふっくらとした柔らかさを持つ薄紅色の唇。

 これが犠牲になれば、彼女は自分を避けてくれるだろうか。そう思いながらも、結局はこれぐらいはしたいと思ってしまう自分がいる。それこそ最悪だ。

 苦笑しながら、彼女の自分への憧憬を壊すつもりで、彼女の唇を親指で軽く触れ、それから自分の唇を底に重ね合わせた。

 

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アトガキ(まだ続くけど一応)

 一番最悪なのは俺よっ…!_||

 なんつーかあれですね。欝になりますね。なんだ昔っからわだかまりのある男女の打ち解け方法ってそれしかないのかよっつう。泣いた女を慰める男という方法しか俺の頭にはないのか…。もっと捻ろうよ俺…。あ、あと最後シュウたんがチューしてしまったので続きは発禁になります。予想は付くだろうから幻想夢見てる人は見ないように。